・【表紙】エリザベス一世 杉本博司
・大石貞夫小伝 永井荷風の主治医 嶋田直哉
・ゆうやけ七色 近藤ようこ
・「絶滅後」に生きてもらう 川端裕人
・日本人の「あの世」と平田篤胤の神学 山本幸司
「日本人の死後の世界は歴史時代を通じて、黄泉国はもちろん仏教の浄土信仰によっても統一化されていない多様なものだった‥。他方、仏教以外の観念はどれも史料が少なく、具体的な姿もほとんど知られいない。仏教の教説と異なる日本人の他界像は、麦僊として具体性を欠いている。‥いわぱすぐ隣にでもあるような身近な世界だったのではない‥。」
「篤胤の考えでは、来世に関する教説の欠如が復古神道の大きな弱点であり、それゆえに来世を説く仏教やいわゆる俗神道に対抗し得なかったのだとされる。」
「市井の常識人としての篤胤には、教祖的な資質自体がもともと欠けていたのではないかと疑われる。‥篤胤の流れを汲む国学者も多く参加した明治初期の大教宣布の官製運動は、結局さしたる成果なしに消えていくが、その要因の一つとして平田神学の内容も影響しているように考えられる。」
平田篤胤の名は中学・高校の日本史で知ったが、「国家主義的性格が原因」でそのころは、戦後教育では評価されなくなっていた。このような視点があるとはまったく知らなかった。
・ヤースヤナ・ポリャーナの瞿秋白 吉澤誠一郎
「瞿秋白によれば、ロシアの無政府主義は一八世紀末に自由主義と同時に生じ、1870年代にはトルストイの無政府主義が盛んになった。ロシアの社会と文化の特徴によってロシアの知識人は「空談の」無政府主義を好み、バクーニンやクロポトキンの「科学的」無政府主義はむしろ国際的に広まったという。」
「ロシア十月革命の成功は、「成功」であるがゆえに、他の多様な社会構想に無効を宣告していったからである。」
私は、日本の戦後の、特に60年代から70年代初頭にかけての運動についても、アナーキズム的視点と党派至上主義との桎梏の面からの検証が是非とも必要ではないか、と最近考えている。
・祖父のフハイカ 田中友子
本日は以上の7編に目を通した。
朝4時に強風注意報。瞬間最大風速が11mを超える南南西の風である。まぶしい陽の光と強い風が欅の葉に当たってまぶしくきらめいている。
時折り強い風の音がするが、空を飛ぶ軍用機の音を連れてくる。軍用機の音は低音で、人の心を不安に駆り立てるものがある。軍用機だから、というのではなく、あの低音の音そのものが心に波風を立てる音である。
こんなに明るく、湿度も高くない心地よい日に、あのような音が耳に入ってくるのは実に不快である。音が去っていくと風の唸る音すら柔らかに聞こえるように感じる。
我が家の上空を飛んだ軍用機とは無関係とは思うが、民衆の抑圧のもとに軍拡を進める北朝鮮政府のミサイルが、北海道から伊豆諸島までの広い範囲に落下する可能性があるという。しかし落下するのか、通過するのかすらわからず、日本という国の半分の範囲に警報をだす。こんな不確かなものは警報とは言えない。新幹線を止めても止めなくとも意味はまるでない。
不確かな情報で、国民を不安にするのは、軍事への近道である。政府が内政で行き詰ると外に敵を作り不安をあおる。安倍政治の延長である。統一教会の問題で出口のない自民党政府にとっては格好の材料とされた。
北朝鮮に君臨する政府は、駄々っ子のような政治を推進する。内部に緊張を強いることで常に何かを周辺国に求めてきた。緊張もエスカレートする。対外的緊張を演出することはオオカミ少年のたとえのようにそれが通じなくなると虚勢はさらに強くなる。そのような国の策に、日本の政権与党は子どものように右往左往で対応しているようにしか見えない。三流政治に三流政治で対抗しては、双方の国民にとっては不孝しかない。
ロシアのウクライナ侵攻、ビルマ政府の暴虐、中国の強権・膨張政策等々軍事が肥大化している時代、軍事に軍事で対抗する風潮が当たり前に大手を振ってきている。軍事を否定する議論、国家や軍事というものの肥大化に抗することが「悪」であるかのような風潮は戦後の理念の否定につながる。生きづらさがますます生きづらい時代に滑り落ちていく。不安の時代なのである。不安の時代に人は、丁寧な議論ではなく耳に心地よい強い言葉や飛躍した結論を求める。社会はますます生きづらくなる。
ある人は憲法で日本を守ることはできない、と居丈高にいう。しかし日米安保でも軍事同盟でも北朝鮮の軍事拡大も、中国の強圧も防ぐことは出来ていない。ならば経済的に負の効果である軍事力強化ではなく、相手に不信感を招くことのない平和外交の努力の出番ではないのか。
経済も政治も、負のサイクルからの脱出策はあるのだろうか。
風は強いが好天の日にこんなことでイライラしたくないが、記してみた。