Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

唖然とした静岡市長の言い分

2022年10月15日 23時12分32秒 | 天気と自然災害

 先ほど某テレビを見ていたら、静岡市の先日の豪雨災害時の対応について扱っていた。静岡市が自衛隊の災害出動を県知事に求めなかったことを聞かれて「知事の携帯電話を教えてもらっていなかったから」という言いわけをしていた。これには、それこそ思わずお茶を吹いた。
 まるで小学1年生の言いわけである。知事の携帯電話を知らなければ、県庁の災害対策なり危機管理担当部署に電話をするなり、電話が不通なら防災無線を使うなり、そして同じ市内にあるのだから県庁に最悪の場合人を派遣すれば連絡は取れる。連絡を取ろうとする意識すらないことになる。また市長の承認のもと、副市長なり災害対策担当が県に連絡を取ればいいのである。
 こんな人間が政令指定都市の市長ということに唖然とし、呆然とした。また県知事の反論が「携帯電話を教えてくれと言ってこなかった」というのであった。このことにも私は驚いた。「なぜ県庁舎の担当部署に連絡しようとしなかったのか」と言えば最大の反論である。静岡市長の不作為に対する最大の批判になるはずである。どうしてマスコミや記者も市長にこのことを質問しないのだろう。さらにマスコミが頓珍漢であったのは、知事から市長に連絡を取らなかったのかという質問を知事にしていたことだ。この質問は市長に向かってするべき質問である。

 災害対策というのは、一刻も早い適切な判断が必要である。優先順位など、常に政治的な判断が必要でもある。市民や職員の生命に関わる一大事である。これが適切に行われるよう日々の心構えが必要なのが災害である。
 知事と市長が、嫌いとか好きとかの話では断じてない。首長同士がぎくしゃくしていても、担当部署は連絡を密にしていなければならない。その基本がなっていないのである。市長部局を適切に動かすことすら出来ない市長には即刻退場してもらわないと、市民にとっては不幸そのものである、と思う。

 私も長年災害対策の最前線にいた。たとえ私の所属長と区長、あるいは市長部局の局長がぎくしゃくしていても、あるいは双方が不在でも、災害対策の担当はオンライン、電話、無線等々で、被害箇所の連絡を常時行っている。それを集約して市長部局へ、そして被害が広範囲ならば県へも報告が行く。
 一人の人間の失態や、首長同士の不仲で災害対策が滞るような組織は始めから作り直さなくてはおかしい。もっともそのことは知事や市長が不在であったり、仕事をほったらかして他のことにうつつを抜かしてもいいという免罪にはならない。トップに陣頭指揮をしてもらわないと、危機に瀕している市民にも、命がかかっている末端の職員にも不実である。
 この市長の頓珍漢、市民不在の市政に私は呆然とせざるを得ない。日本の中央政治がおかしくなっているが、地方の自治体も危機的な状況であることに驚いた。

 


ちょいと弱気に

2022年10月15日 22時02分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 講座終了後、早めに帰宅して、午後からは昨日の打ち合わせでの宿題を片付け、夕方からは明後日の退職者会の幹事会の資料作成。明日も資料作成。
 退職者会の資料作成を始めると、ブログへの投稿が遅れる傾向にある。エネルギーの配分が資料作成の方にウェイトが傾いてしまう。そして読書タイムも確保できなくなる。致し方ないが、不本意でもある。

 神奈川大学の講座を2講座申し込んだが、欲張りすぎたかもしれない。頭も体も一度に多くのことはこなせないのだから、無理は禁物であった。つい無理をしてしまう。体を酷使してしまう癖と、同じである。どちらもブレーキが効かないのである。困った性分と妻にいつも揶揄される。

 夕食は妻と外食。歩いて10分ほどの定食屋まで急坂を下った。この急坂は杖を突いてもなかなか厳しい傾斜である。最近はここは歩かないようにしている。本日はそれほど膝に痛みはなかったので油断をした。途中で妻の肩につかまってようやく下まで下った。急坂は階段の下りよりもきつい。
 帰りの登りはそれほどつらくはなかった。しかし息が切れた。一年前は息を乱すことなくスタスタと登ったのが信じられない。膝痛だけでこれだけ体力が落ちてしまうのである。

 友人には完全に痛みがひいて元に戻る、ということではなく、痛みと付き合うことを優先して考えたほうがいいとも言われている。確かにそういう時が今の状況なのかもしれない。最近弱気になっている。

 


地理学の視点から見た沖縄の現状

2022年10月15日 17時09分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日の講座は「「沖縄 1972年」考 返還・復帰・再併合」の2回目で「「過去」が「現在」に重くのしかかる場所 戦後沖縄の空間編成」と題して、沖縄国際大学崎浜靖教授の講演。
  さまざまな視点から1972年「復帰」以降の現状が語られている。私も少なくはない講演を幾度か拝聴している。多くが現在大きな問題とされるべき日米地位協定の改定問題や、米軍による土壌汚染、辺野古の新基地建設、自衛隊基地・施設の新設などが語られる。
 本日の講演では、新しい視点の指摘があった。沖縄の人口増加にともなう都市膨張に対処する土地利用のあり方や都市計画が必要になるが、広大な米軍基地の存在によってそれが都市計画にいびつな影響を与えていることなどを、人文地理学の視点で指摘されていた。
 自治体の都市計画の末端で少しは関わって来た経験から、自治体が主体的に関われる範囲が狭められ、米軍基地という壁がもたらす障害があらためて浮き彫りにされたと思う。

 新しい視点を教えてもらったようで、有意義な講演であった。