Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

アナログ表示とデジタル表示

2022年10月11日 23時06分29秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 先ほどのツィートで「大飯を食らう」という題で投稿したら、どうも私が「大飯をくらった」かのように取られたようである。
 否、私は並盛でも多いくらいである。大飯を食らったのは、隣の女性であり、過去のアルバイト先での親方の元である。

 話題は変わる。



 このパソコンの部屋の壁掛け時計が止まっていた。急いで電池を取り替えたが、何と単2ということで、わざわざ本日出かけて購入してきた。
 さて、時刻はパソコンの下隅を見れば正確な時間がわかるが、どうしても壁掛け時計を見てしまう。理由は特にないが、パソコンと違うのはアナログ表示であることと、大きな時計であること。パソコンの下隅の時計はデジタル表示で小さい。
 むかし腕時計をしていた時はデジタル表示なので、特に私としてはアナログ表示でなければ困るというわけでもなかった。スマホもデジタル表示に設定してある。こちらは数字が大きい。

 以前職場にいたときは、高齢者ほどアナログの表示がいいと主張していた。不思議なことに歳を取ると自然にアナログ表示がいいという風に意見が変わってくることに気がついた。
 パッと見たときに、数字ではなく長針と短針の位置ですぐに時刻がわかるのはアナログの方らしい。針の位置だけで、時刻を納得している。「12:00」だからお昼なのではなく、長針と短針が重なっているから正午なのである。そういう風に認識していると思われる。
 デジタルで24時間表示だとほとんど人は頭の中で変換作業をしてから時刻を納得するようだ。

 私も遅ればせながら、71歳になってアナログ表示の時計の方が見やすくなったような気がする。今度スマホの待ち受け画面の時計表示はアナログに変えてみるのも悪くない。デジタル時計はデジタル表示でもアナログ表示でも切り替えができる。アナログ時計の表示はアナログ表示だけである。


絶滅危惧種

2022年10月11日 21時04分48秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 団地で咲いている萩も間もなく盛りを過ぎるようだ。萩の花期は一般的には7月から10月といわれている。もう既に10月中旬である。
 今年のように寒暖差や雨の状況が例年と大きく変わっていると植物も面食らうだろうとおもうが、やはりそう簡単にはいつものパターンは崩れないみたいである。
 植物よりも動物、動物の中でも哺乳類が、そして哺乳類の中でも人類が一番環境の変化に敏感、というか環境の変化に弱いようだ。
  その弱さが現生人類の異様な進化の原因でもあるらしいが、一歩間違えれば、絶滅の崖っぷちに立つことになる、という。その論が当たっているか、いないのか、それは誰も検証できそうもない。検証できる能力があれば、そもそも絶滅の崖っぷちには立たない。そして人類を絶滅危惧種として心配してくれる生物種が存在するということもなさそうである。

 


大飯を食らう人

2022年10月11日 18時06分37秒 | 思いつき・エッセイ・・・

引き続き退職者会の仕事を少しずつ。本日は1時間もしないうちに中断して出かけた。昼食とコーヒータイム&読書タイム。
 「画聖 雪舟の素顔」の第5章「豊後と美濃への旅」の2/3ほどを読み終えてから、早めに帰宅。

 昼食はフードコートにあるラーメン店でつけ麺。味があまりに濃いので、並盛の麺の半分はつけ汁を少し垂らしただけでそのまま麺を食べた。つけ汁はほとんど残ったまま。やはり私には豚骨だけでなく、最近のラーメンはくどく、味が濃過ぎて食べられない。今回も敗退といったところ。
 その店はつけ麺は、特盛も大盛も並盛も値段が同じ、ということであった。むろん私は並盛。その半分でもいいくらいである。隣に座った小柄な女性が特盛を平らげているのを見て、最近のラーメンというもの、私のような年寄りが食べるものではないな、とあらためて認識。
 やはりあっさりしたものがいい。特に昼食はときどき味の濃いものや、こってりしたものに目がいくこともあるが、いつも止めておいたほうがよかったと後悔する。

 昔、学生の頃に雇ってくれたアルバイト先で、私の担当となった親方が「体力を使う運転助手、土木・建築・造園などの職人は昼飯をおごってくれた。しかし「細い学生は使い者にならん」と「かつ丼」のご飯を私が残したのを見て、怒っていた。それでも夕食にお酒を飲みながら私がせっせと食べているのを見て、少しは見直してくれたらしい。
 そこの仕事はとてもきつくて、一週間の約束が終わった時点で辞めてしまった。50年前、仙台にいたときのことだ。当時重労働のアルバイトは一日1500円が相場。そのだけもらっても体が持たない、割に合わないと思うほどきつい仕事であった。翌年も生協に求人の貼り紙があったが応募しなかった。
 就職したときにも、職場に出入りしている土木会社のたたき上げの社長も同様のことを私に話していた。「昼食をたくさん食べる奴は体が持つから、何回も雇ってやりたい。だから大飯食いでもおごってやればまた来てくれる」とのことだった。
 しかし食事で人の特性を見極めたり、それで人をつなぎとめる、というのはもはや1970年代では時代遅れだと私は思っていた。いつの間にか、その会社は消滅していた。仕事はきちんとしていたのでもったいなかったが、やはり時代に乗り遅れてしまったようだ。

 隣で小気味よく特盛のつけ麺を平らげる小柄な女性を見て、ふとそんなことを思い出した。外歩きの仕事なのであろう。小気味よく食べて颯爽と席を立って足早に去るその女性を見て、何となく頼もしく思えた。同時にこんな味の濃いものを常食にしていたら、体を壊すよ、と余計なお節介も頭を過ぎった。そして私なら、午後は眠くなって寝てしまうだろうな、と情けない感想も持った。