Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

舞茸ご飯

2022年10月28日 21時15分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 眩暈が起こりそうな雰囲気にはならずに夕食を終えることが出来た。心配だったので本日はアルコールは口にしなかった。健康的な夕食。昨日の舞茸の炊き込みご飯の残りを1膳。これで炊き込みご飯は無くなってしまった。また食べたいものである。
 もう21時を過ぎたが、これより本日の読書タイム。

 明日は10時30分からみなとみらいの神奈川大学の新校舎で「「沖縄1972年」考 返還・復帰・再併合」の第4回目の講座。「「ヤマト」からみた1972年」というテーマとなっている。どのような内容か、興味深い。

 明日は晴れ、最高気温20℃を超えるらしい。読書用の眼鏡を忘れないようにしないと、何のために講座に行くのか、わからなくなってしまう。


眩暈?

2022年10月28日 18時29分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 喫茶店にて本を読もうとしてリュックから読書用の眼鏡を取り出そうとしたら入っていない。出かけるときにリュックに入れ忘れてしまった。
 やむなく、外歩きの時に使っている遠近両用の多焦点レンズで本を読み始めたが、これは近点が60cmに合わせてあるので、細かい字はとても読みにくい。緊張した眼で15分も読んでいたら、眩暈が起こりそうになって、せっかく始めた読書を断念。眼の過度な緊張が眩暈を誘発しかけたのだろうか。そりとも他に原因があるのか、私にはわからない。
 眩暈の発作が起きそうもないのを確かめてから、早々にバスに乗って帰宅した。帰宅後は、以前に耳鼻咽喉科で処方してもらった眩暈の薬を服用し、30分ほど横になって静かにしていた。今はすっかり治まったと思われる。今月初めてのことである。実際には眩暈は起きていないのが救いである。

 眩暈というのはまた発作が起きたらどうしようという不安がどんどん膨らんでくるものである。体を軽やかに動かしたり、体を回転させるとフラっとなることがある。また眼を閉じたまま耳かきをしたり、数歩歩いただけで眩暈が起きそうな不安に駆られる。

 こういうことが続くと、不安で杖を手放せなくなる。またしても「歳は取りたくない」という愚痴が出てきてしまう。


行き当たりばったり

2022年10月28日 13時11分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中に記事を1本仕上げながら、おもて面の割付の変更を実行。それなりに時間のかかった作業となってしまった。
 しかし裏・おもて面合わせて面積的には87%の出来上がりとなった。あとはメイン記事を1つを仕上げればできあがる。最後に割付の微調整はいつものことながら必要である。それを考えると労力的には80%のところまでこぎつけたことになる。一応計画通り。
 素人である私が入稿前にあまりに細かな割付をしてしまうと、印刷会社の担当者がプロの目で見て訂正すべきと考えてくれても、変更の幅が限られてしまうのでは全体が良くはならない。



 世の中はハロウィーンなるものでお祭り騒ぎである。昨日も記載したが、このお祭り騒ぎが私には馴染めない。小さいころから、クリスマス・誕生会・運動会・卒業式・入学式・成人式・夏祭りなどと言われるたびに喧噪や大人の大はしゃぎをいつも「眺めて」いた。「私が主役」のイベント時も本人の気持ちとは関わりなく周囲が楽しんでいるのを呆然と「眺めて」いた。かわいげのない子どもだったのだろうと想像できる。

 午後からは昨日のコーヒータイム&読書タイムでのんびりしたい。本日はどこの駅で、どこの喫茶店にするか、数少ない選択だが、まだ決めていない。こればかりは行き当たりばったりである。