Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の読書と書き写し

2023年03月14日 21時34分34秒 | 読書

 本日フラワー緑道の一番横浜駅寄りをバスにて通過したら、ヨコハマヒザクラが開いていた。残念ながら引き返して写真を撮影するゆとりはなかった。しかし明日も晴れるので、コンパクトカメラを持って見に行きたいと思う。
 私は別にサクラのオタクではないし、サクラの花に浮かれるのも好みではない。私はサクラを出汁にどんちゃん騒ぎや酒宴や人混みに繰り出すのは好みではない。花狂いにも無縁でありたい。サクラを静かにゆったりした気分で眺めたいだけである。暖かい陽射しとサクラの花の下で、寝転んで、親しい友人と春の訪れを実感できれば、それでいい。それがサクラでもウメでもコブシでも菜の花でもなんでも構わない。ただし、サクラの散る風情は他のものに代えがたい魅力である。

 本日の書き写しが終わり、あと一回で古今集真名序は終了する。

   

 そして「絵画の政治学」は第4章「カミーユ・ピサロ 気取らない眼」と第5章「マネの《オペラ座の仮面舞踏会》」を読み終え、第6章「ファン・ゴッホ ルヌアールとリヨンにおける織工の危機」を読み始めた。「絵画の政治学」は少しずつわかりやすい表現担ってきている。具体的な作品の解説という方法を取り始めたことで、著者の言いたいことが少しずつ見えるようになってきた。最初からこのような叙述であれば、よかったのに、と思っている。

 


追悼 大江健三郎

2023年03月14日 19時56分55秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 大江健三郎が亡くなったとのニュースを昨晩聞いた。88歳と聞いた。死因が老衰とも聞いた。まだまだいろいろと発信をしてもらいたい人であった。

 中学3年の1966年頃に新潮文庫で『死者の奢り・飼育』を読んで始めて大江作品に接したが、特に感想は抱かなかったと思う。1971年頃に岩波新書の「沖縄ノート」、そして1972年に同じく「ヒロシマ・ノート」を読んだ。これはじっくりと読んだ。
 どちらかというと「ヒロシマ・ノート」よりも「沖縄ノート」のほうが衝撃が大きかった。沖縄の問題に真剣に目を向けるようになった。1980から86年頃にかけてようやく初期からの作品をまとめて読んだ。「遅れてきた青年」、「個人的な体験」、「万延元年のフットボール」、「洪水はわが魂に及び」、「ピンチランナー調書」「同時代ゲーム」は記憶に残っているが、その後「M/Tと森のフシギの物語」を途中で投げ出してから、読むのをやめてしまった。内容に着いて行けないもどかしさと、能力の限界を感じて、つらかった思いがあった。
 さらに天皇制を無化するに、周縁の、特に四国というごく狭小な地域の共同体を対置する方法論について行けなかった自分が今では恥ずかしい。
 また氏の独特の文体が、英語の時間にならう直訳の日本語のように鼻についてしまって先に進めなくなったことも大きな要因である。今でもあの文体に対する違和感が強い。それが理由で読まなくなってしまったのはとてももったいないことだとわかっているのだが・・・。

 それ以降は、政治的な場や、その他の集会での発言などに注目することばかりが多くなってしまったのは、自分ながらもったいないと思って来た。しかし肝心の文学を読み続けようという気力が湧かなかったのは返す返すも残念である。
 2011年の東日本大震災での原発事故以降の活発な発言には特に注目してきた。

 20代初めから今まで、私に大きなインパクトを与え続けてくれた方であった。