明日は昼前に出かける予定。このごろ忙しさにかまけて読書タイムが取れていない。本日は電車の中で読書できたはずだが、その気力が湧かなかった。渋谷から座って横浜まで来たし、空も曇り空で、外の光が眩しくて眠くなることもなかった。リュックにも「絵画の政治学」は入っていた。それでもリュックから本を取り出さなかった。
反省・言いわけばかりではいけないのだが・・・・。
これより追悼誌に掲載する追悼文をひとつ入れてから就寝準備。
明日は昼前に出かける予定。このごろ忙しさにかまけて読書タイムが取れていない。本日は電車の中で読書できたはずだが、その気力が湧かなかった。渋谷から座って横浜まで来たし、空も曇り空で、外の光が眩しくて眠くなることもなかった。リュックにも「絵画の政治学」は入っていた。それでもリュックから本を取り出さなかった。
反省・言いわけばかりではいけないのだが・・・・。
これより追悼誌に掲載する追悼文をひとつ入れてから就寝準備。
先ほど新古今和歌集の仮名序の最後の部分の書き写しを終えた。この次は石牟礼道子の俳句を写すつもりでいる。明日は出かけるので明後日以降から実施したい。ノートは既に購入している新しいものを使う。
「おくのほそ道」で10ミリ角の升目の漢字練習帳を1冊、そして同じ升目の漢字練習帳を使い、古今和歌集の仮名序と真名序の読み下し文、今回の新古今和歌集の仮名序で1冊の9割を使用した。
大きな字とはいえ、こんなにノートを使ったのは何十年ぶりだろうか。ひょっとしたら高校生の時以来だから、53年ぶりかもしれない。何という不勉強であろう。もっともノートは使わなかったけれども、他にたくさん勉強したという自負はあるが、それはあくまでも自負。自分だけの自己満足の域を出ていない。
本日の代々木公園の集会とデモ、私は集会だけでお暇した。右膝の調子が今ひとつ万全でないような気がして、行く時から杖を突いていた。
集会が終わると同時にデモと反対側の渋谷駅に向かった。来た時と同じコースで帰宅。渋谷から東横線に乗ったのだが、相鉄線への乗り入れが始まったばかり。行先をちゃんと確かめないといけなくなった。昔は、渋谷始発だったので、急行を1本待てば確実に座れた。しかし副都心線への乗り入れ以降、渋谷から確実に座れることは無くなり、今後は行先も確認しないと不安である。
便利の裏側には必ず不便も付いて来る。多くの人は目の前の権力者やメーカーのうたい文句である便利さばかりに気を取られる。その裏には大切であるのに「捨て去られたもの」が多くあることに目を閉ざしてしまう。原発も同じである。じっくりと見極める冷静な目がいつも必要である。
本日は退職者会の仲間14名ほどと代々木公園で開催された「さようなら原発全国集会」に参加。大江健三郎も呼びかけ人であったことから、黙祷から会は始まった。
久しぶりの代々木公園、NHKの建物が解体されていてまずびっくり。その工事現場の仮囲いの外にはハナモモが2本美しく咲いていた。1本は赤の花だけだったが葉も美しかった。1本は白が多く赤がとても少なく、そして葉は出ていなかった。同じハナモモとはわからないほどであった。またステージ横のソメイヨシノが見頃を迎えていた。
集会の式次第の最後に私の大学時代の同級生が登壇し、柏崎刈羽原発の現状を報告していた。学生当時と変わらない穏やかな話し方で、とてもわかりやすい発言で感銘を受けた。