Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

古事記と西行

2014年01月17日 21時10分11秒 | 読書
 久しぶりに読書の話題。最近読書量がガクッと落ちている。美術展に行って図録を購入したときは図録に一生懸命目を通す。また講座の資料も目を通す。だから最低限の読書はこなしてはいるが、読むことの楽しみからは遠ざかっている。それを今年は思い出したいと思った。

 何を読むか、年が明けてから本屋でいろいろ眺めていた。その時、おとといの講座で古事記・日本書紀関連のものに応募したことを思い出した。
 日本書紀は昔通勤電車の中で、岩波文庫で全5冊を読み通したことがある。意外とスラスラと読むことができた。源氏物語などよりずっと楽であった。一度は通読してみるといいものだと思った。壬申の乱のところは昨年受講した講座をきっかけに通読したが、大筋で誤読はしていなかったと思う。理解の足りなかったところはむろんたくさんあったが‥。
 日本書紀や古事記などの古い文献についていえば、私たちには誤解・誤読のない読書などはあり得ないし、大学生のように精読する必要はないと思う。せっかく手軽なテキストがあるのだから誤解・誤読など恐れずにとりあえず読んでみた方がいいと思う。読めば天武朝やその直後の新たな日本という国家形成の頃の息吹が、何となく伝わってくる。
 その物語を無批判に受け入れたり、自分の思い込みに引き付けて敢えて誤読に近い解釈や牽強付会はよくないが、とりあえず読んでみるという姿勢は必要だと当時も今も思っている。最初はやはり読みにくかった。特に神話の部分は読みにくい。だから最初は継体朝以降から読んでみた。その後文章に慣れてから最初に戻ったのだが、これが良かったようだ。どこまで理解できたかは別として‥。
 中国や朝鮮半島の国際関係を念頭に、国家というものをどのように成り立たせようとしたか、また他の氏族との関係をどう整理しようとしたか、どこに腐心しながら国家を成り立たせようとしたかそれとなく匂ってきたようには思う。随分と他の氏族に配慮しながら、その危うい均衡の上に天皇制を構築しようとしたか、類推する刺激を味わったと思う。



 その後、今度は古事記に挑戦しようと思ってそのままになっていた。本日岩波文庫の古事記を手に取って、再度挑戦してみようと考えた。



 そしてもう一冊、実は岩波文庫で「西行全歌集」というのが目についた。昔久保田淳の編集による西行全集全一冊を高価であったが無理をして購入した。全体を目を通したわけではないが、聞書集、聞書残集、山家心中集を鉛筆で印をつけながら読んだ。今となっては何に感動したのかはわからない。否それ以前にどれだけ意味をくみ取っていたか、まったく自信がない。ただ印だけが残っている。「たはぶれ歌」も何回も読んだ。しかもこの全集、とても重くて電車の中や喫茶店に持ち込んで読むことはできない。
 今回見た岩波文庫の「西行全歌集」は持ち運びに便利だが、原文と注釈だけで読みこなす自信はなくなっている。そこで昔の感を取りもどすよすがとして、訳のついた注釈書が他の文庫にないか見てみたら、角川ソフィア文庫に「西行-魂の旅路-」というのがあった。全60首の解説である。



 当面この二冊と、もう一冊「不朽の名画を読み解く-見ておきたい西洋絵画70選-」(宮下規久朗、ナツメ社)を並行して読んでみることにした。
 先日このブログに記した「名画の謎」(中野京子、文芸春秋)は読み終えたが、少々私にはくどいというか、饒舌すぎる語り口に閉口した。(著者にはゴメンナサイとあやまるしかないが‥)読んでも心に残らないのだ。歴史から美術史から、描かれた当時の逸話まで、私の知らないことがこれでもかこれでもかと書き並べてあった。博識であるが、どうも記憶に残らない。
 切り口を変えて、入門書的・教科書的なものとして今回この本を選んでみた。この本はだいぶ以前に購入はしていたが、積ん読の状態であった。

 この三冊、同時に読むとしても最近読書量・スピードも極めて低下してきたのが心配だが、とりあえず挑戦してみることにした。いつまでかかるやら。こうやって宣言しないとなかなかはかどらないようだ。




空気の湿気と気分の相関関係

2014年01月16日 20時06分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日・今日と寒さが続いているが、昨日は曇り空で空気は湿気を含んでいた。冷たい空気であったが、湿気が空気に多少の柔らかみを与えていたと思う。しかし本日は乾燥注意報が再び出て、空気が肌に痛かった。
 昨日は講座の終了後に新横浜まで地下鉄に乗った後、新横浜駅から自宅まで歩いてみた。いつものウォーキングコースの折り返し地点に近いところからの出発である。新横浜の篠原口というのを利用したことがない。数年前に竣工した駅の改修工事でかなり駅の様相がかわり、以前に利用していた蕎麦屋さんを含む小さな横丁のような一角が見当たらなくなっていた。この改修工事でその一角はなくなったと思っていた。
 ところが昨日篠原口に出るために構内を突っ切ろうとしたところ、その懐かしい一角が目に飛び込んできた。いつも利用していた蕎麦屋さんが残っていた。5~6件ほどの居酒屋が連なっている一角だったが、居酒屋は残っている。同じ店かどうかは自信はないが‥。
 懐かしくてしばらく様子を見ていたのだが、以前は構内を利用する人々がかなり立ち寄っていたが、昨日見る限りは構内の通行人が立ち寄る雰囲気はない。構内を通過する人はまず通らないはずれになってしまったのだ。篠原口は人があまり利用しないところだが、その篠原口を利用しないかぎりその一角を通ることはない場所になっている。
 居酒屋の雰囲気は垢抜けた昔のイメージから、地元密着型の気さくな居酒屋のような雰囲気に変わったような気がする。私にとっては好ましい変化に見えた。ただし人が多数立ち寄ってにぎやかかどうかは夜になってみないとわからない。
 こんど機会があったら是非立ち寄ってみたい一角になったことは確かだ。反対側の大型商業施設が並ぶ一角とはまったく違う雰囲気がいい。

 そんな発見をしてからおもむろに歩き始めた。初めは寒く感じたが空の分厚い雲が次第に薄くなり、一時間後には雲が空に占める割合も3割ほどになっていた。日はもう暮れていたが、かろうじて青い空が見えてきた。
 沿道の街路樹や庭木の樹木は冬枯れの様相を色濃くしているが、時々山茶花が咲き、時季外れに桜が少しばかり咲いている庭があったり、冬とはいえなかなか見飽きることのない木々の様子である。

 本日も講座のあるMM地区まであるき、さらに「道」展をやっている馬車道を経由して家に戻ったが、空気がこれだけ乾燥していると街路樹や庭の木々を見るゆとりが失せてしまう。昨日の方が気分的にはおおらかであった。
 本当は冬とはいえ、本日の講座で取り上げた

 奥庭もなくて冬木の梢かな(発句=露川)
 小春に首の動く蓑虫(脇=芭蕉)

のようなゆとりが欲しいのだ。気持ちのゆとりと空気の乾燥とはひょっとしたら相関関係があるかもしれない、そんな思いが頭をよぎった。

 明日以降は昨日のようにもう少しおおらかな気分でいたいものである。


追悼!松井英明君・・第28回道展

2014年01月16日 18時05分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 毎年行っている「道」展が今年も本日から開催された。会期は来週21日(火)まで。横浜の関内駅の傍、馬車道アートギャラリーの7階である。
 吉崎道治(一水会)門下生絵画展ということであるが、私が見に行くのはいつも、中学・高校の頃の美術の先生であった菊池洋二先生(もう退職されたが)と、先日亡くなった中学・高校の同級生松井英明君の絵も展示されているからである。
 松井英明君は美術部で菊池先生の指導を受けて、その関係でこの「道」展にいつも出品していた。
 今回は松井君が亡くなって、遺作を展示している。
 許しを得て、松井君の絵と、菊池先生の絵の写真を撮影させてもらった。撮影が許されると事前に知っていたら一眼レフと三脚を持っていってちゃんと撮ったのだが、急きょ小型のデジカメで撮影させてもらったので、照明が映り込み、キチンとした矩形にはならなかった。容赦してほしい。

 「サマルカンドのバザール」(松井英明)



 少しでも松井英明君の絵のタッチがわかるといいのだが‥。私は松井君の明るい陽光と色彩が好きである。それを画布に定着する感性が羨ましいと感じる。

「ナパーラの秋」(菊池洋二)


うーん、これは‥しびれた!

2014年01月15日 21時09分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
私の友人、「つかぽん」さんのツイッター(@cafeavant)からいただいた。

youtu.be/rgEdxk7GPN0

「幸徳秋水追悼歌(ギロチンの歌)・作詞:加藤一夫、土取利行( 唄・三味線・エスラジ・パーカッション)、大逆事件で虐殺された幸徳秋水を追悼する歌。歌詞は自由連盟の詩人・加藤一夫であろう­と小野十三郎らが推定している。大正11年に発禁となっている。曲は当時流行の「馬賊の歌」である。」
とのこと。

雪は降らなかったけど‥

2014年01月15日 20時49分59秒 | 山行・旅行・散策
 雪は降らなかったけど、関東地方にしてはとても寒い日であった。昼間は4度。夜21時の気温の方が5度と高くなっている。昨日の予報では正午からは晴れるとなっていたが、黒く厚い雲がずっと空を多い、ようやく17時頃から空が見え始めた。しかしその頃はすでに日は大きく傾き、日の光を浴びることはできなかった。
本日は横浜市歴史博物館で午前・午後とも講座を受講していた。博物館の周囲は食事するところもなく、歩いて5分の地下鉄の駅舎のビルには飲食店は何件かあるのだが、お昼は混むので行きたくない。持って行ったおにぎりをどこで食べるか悩んでいるうちに午前の講座が終了した。
 博物館の中は飲食禁止だとばかり思っていたら、自動販売機のある休憩室は食事が可能であった。すべての椅子を使えば20人は座れるだろうか。結局10人ほどが お弁当などをそこで取ることになった。
 そのあと博物館に接する大塚歳勝土遺跡公園内を散歩してみた。この広い公園は環濠集落の復元や周溝墓の復元などが点在し、散策路にはベンチがしつらえている。近世の移築家屋や孟宗竹の林などがあり、いつきてもいい感じである。しかし本日はさすがに寒いので人はいないと思っていたら、70代前後の夫婦が2組と、70代の男性がベンチで食事をとっていた。
 いづれもポットから湯気の出る飲み物を手にして、お弁当を食べていた。近所のマンションの住人であろうとおもうが、この寒さの中、大したものである。
 ただ、歩いてみてあらためて気づいたが、手入れの行き届いた竹林はとても気持ちがいい。厚い雲に覆われた天候だが、孟宗竹の緑の幹がとても明るく感じる。古い竹やまがった竹は丁寧に切り取られきちんとまとめて竹林の端におかれている。適度な隙間で見通しもよく、手入された竹林の美しさというものを再認識した。このような美しい竹林を見ながらのお弁当は、寒いけれど魅力的なのかもしれない。そしてこれだけ手入れが行き届いているときっと筍はいいものが取れそうだ。しかし「竹の子採取禁止」の看板がいくつも出ていたた。
 だが、大塚歳勝土遺跡は弥生時代である。江戸時代の家屋が移築されているが、孟宗竹は薩摩藩が琉球を支配した時代に琉球を経由して日本にもたらされたものであるから、弥生時代の史跡公園の景観としてはふさわしくはない。といっても江戸時代からこの孟宗竹の林があるのだろうから、これを伐採するわけにはいかなったというのはよくわかる。
 私は薄着をしてきたので、園内とその周辺を少し早歩きで体を温めながら散歩を楽しんだ。
 戻ってからの暖かい缶コーヒーがとてもおいしく感じた。


明日は雪か?

2014年01月14日 21時42分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は会議と講座の時間が重なってしまって講座の参加は厳しいかと思っていた。しかし退職者会の幹事会をちょっと早めに中座させてもらって講座の会場に向かったら、遅刻せずに何とか間に合った。
 しかし朝、会議のある場所まで1時間半近く歩き、お昼も食べずに作業と会議をこなしてから、さらに講座の場所まで駆け足で向かったら、だいぶ疲れてしまった。講義を聞く間少しの時間だけだがウトウトしてしまった。ちょっともったいなかったかな?

 明日から横浜市歴史博物館での5回連続の講座が始まる。しかし朝から雪の予報が出ている。大した雪ではないようだが、市営地下鉄の運行に支障が出ると会場にたどり着けなくなる。
 お昼はおにぎりを近くの遺跡公園で食べるつもりだったが、雪と寒さでほぼ無理のようだ。どこで食べたらよいか悩みどころだ。

 さて本日別の友人から年賀状が届いた。年末から年始にかけて北欧へオーロラツアーで出かけていたそうだ。それによるとずっと曇ないし雪でオーロラはほんの少ししか見ることが出来なかったとのこと。また帰途の飛行機の中からオーロラを4時間見ることはできたとのことである。ただし、私どもの予定しているカナダの方が天候は通常はいいとのことも書かれていた。
 私たちのオーロラツアー、天候に恵まれてほしい。正月の初もうでで好天気であるよう祈らなかったが、まずかっただろうか?
 にわか信者ではだれも聞き届けてくれないばかりか、かえって逆効果だからこのまま成り行きに任せるしかないようだ。


本日の夕食とお酒

2014年01月13日 23時13分08秒 | 料理関連&お酒
 本日は妻と御茶ノ水まで出向いたので、帰りに東京駅の全国の駅弁を扱っているコーナーで駅弁を購入してきた。



私が購入したのは、「ぶりかまステーキ弁当」980円也。富山駅の弁当ということだ。これはとてもおいしいものであった。
 ぶりの切り身が3切れ。どれも柔らかくいかにも上質なぶりを焼いたもののような味わい。味付けもくどくなくてよかった。
 酢飯を使用している点、そして特に、その酢飯の上に含め煮のワカメがふんだんに載っているのがいい。このワカメがおいしさの秘訣かと思った。ワカメの柔らかい触感とぶりの触感が不思議に合う。甘酢の生姜の千切りとラッキョウのワイン煮というのが面白い。山椒の粉がついていたが、これは私の好みではないので、使用しなかった。 そして原材料名に比較的に合成のものが少ないように見受けられる。これもなんとなく好感が持てた。もっともそのような人工的なものが一切ないのがいいに決まっているが、駅弁という日持ちしなくてはいけないことを考慮するとなかなかそうはいかないのであろう。しかしできるだけ下手なものをいれないでほしいと思う。



 妻が購入したものは、札幌駅の「海鮮七福弁当」1000円也。海鮮弁当は数多くあり競争は厳しいと思われる。貝のヒモが売りかもしれない。ただ原材料にはかなりの人工物が使われていた。これはちょっと気になった。

 家についてみると先輩の方から日本酒四合瓶が2本宅配便で届いた。これにはビックリ。2本とも山形のお酒である。さっそく電話をしてお礼をいった。仕事以外の付き合いの先輩からだが、先輩から貰ってしまっては、後輩の私としてはとても立場もないし、かといってお返しをするというのもどもう私のこれまでの現役のころのことを考えるとうまく想定できない。
 さて貰ったものはとてもいいお酒である。とてもうれしい。今度会ったときに私の支払いを多くすることで許してもらおうと思う。

   

 本日封をきったのは、鯉川という銘柄のお酒。
ぬる燗用の酒ということだが、本日はストーブをつけた常温、18度位にして飲んだ。
 刺身やお寿司、味付けの淡い料理に合わせるといということで、妻の弁当にはうってつけのお酒となった。私のぶりかまステーキ弁当もワカメがツマミとしてもとてもよかった。また飲んだ後に食すには確かに酢飯はよく合った。
 鯉川酒造の会社のホームページを見ると、
「製造部長の高松氏42歳蔵人の平均年齢も30.7歳と若い蔵人6人を中心として800石を製造しております。仕込みに関しては、山形酵母を使用し仕込水に関しては上水道と月山水系の伏流水を使い分け醸造しています。鯉川酒造と特徴としては、先代の佐藤淳一氏が54年に庄内町(旧余目町)の小出新田の阿部家、阿部亀治氏の子孫が守り続ける種籾を分けて頂き56年から復活栽培を初め、58年に『夏子の酒』に掲載され一躍『亀ノ尾』の酒が脚光を浴びる。現在は『山田錦』以外の米は地元産の米に拘り、お酒の酒質としても純米酒に力を入れお燗しても美味しい酒質を製造しています」と記載されている。
 燗酒というのは最近まったく飲んだことがないので、明日はちょっとだけ燗をしてみようかと考えてみた。

不信心極まるような‥

2014年01月13日 21時58分27秒 | 山行・旅行・散策
 正月三が日は妻に連れられて6か所も初詣なるものに出かけたのだが、本日も妻に誘われて出かけた。
 妻は正月に玄関扉にかけた正月用の飾りを焚いてもらえるところに行きたいという。仙台出身の妻は、仙台では大崎八幡神社で毎年正月14日の夜に正月の飾りなどを燃やすどんと祭の思い出があるようだ。そういう私も学生のころ見学に訪れたことがある。裸の氏子が練り歩き、大きな炎で飾りを燃やす光景はなかなか壮観であった。深夜まで高く上がる炎を見ながら境内にいたが、炎というのは心が落ち着く。遠い昔から炎に対する人類の感情が根っこにあるのを思い出させる。
 キャンプをしたり、山で食事を作ると、炎と向かい合う時間を作ることができる。特に自然の中で炎を見つめていると、心が落ち着きいろいろな想念が駆け巡ってくる。
 むかしある労働争議の支援で会社の敷地を組合管理しているとき、一斗缶でたき火をしながら夜通し警備するのに付き合ったことがある。不思議なことに、初めての顔合わせであったが、当該の組合員や役員の方とざっくばらんにいろいろなことを話すことができた。昼間の公式の支援会議ではなかなか口に出せないような、争議や生活に対する不安、支援者の本音が聞きたいなどなかなかいい会話が出来たと思った。より身近にその争議組合の存在を肌で感じ取ることができた。
 炎というのは、人に本音を語らせ、互いの胸襟を開かせるものがあるかもしれない。そういえば夏の花火などもその変形かもしれない。妻があのどんと祭を懐かしむ気持ちが理解できる。
 そんなことを考えて、昼間だからその炎は見えないが、それに繋がる行為に快く付き合うことにした。といってすぐにどこの神社がいいなどとは思いつかない。妻は神田明神に行ってみたいと言い出して、それに従った。
 まず神田明神がどこにあるか地図で調べて、秋葉原駅から歩くことにした。一駅先の御茶ノ水駅まで行くと90円も余計にかかるという単純な計算である。

   

 不思議な街、秋葉原電気街から神田明神通りをのぼり、にぎやかな神田明神にたどり着いた。明るい境内には実にいろいろな神社が合祀されている。江戸っ子らしい合理的というか、せっかちな神頼みなのか、実に欲張ったものである。境内には銭形平次碑もあり、その隣には八五郎の小さな碑まであるのはご愛嬌。神事ということを除いても楽しい散策ができるようになっている。
 焚き上げのためと思われる一角に正月用の飾りを収めるて、境内を後にした。



 そのあとは湯島の聖堂に初めて足を踏み入れてみた。孔子廟は韓国でもベトナムでも重要な信仰施設でもあるが、日本では実に簡素な佇まいとなる。本日も訪れる人はごく少ないようでがらんとした敷地はとても寂しかった。
 御茶ノ水駅のすぐ前でランチを食してから、腹ごなしを兼ねて今度はニコライ堂を通って東京駅まで歩くことにした。



 ニコライ堂の横を通った時、ニコライ堂はいつも外から見るだけで一度も中を見たことがないということで、中に入らせてもらった。1923年の関東大震災で倒壊したものの6年後に再建されたこの聖堂は1962年に国の重要文化財に指定されている。松本俊介の絵にも出てくる建物で、外観はとても美しいビザンティン様式である。300円なりを支払って拝観させてもらった。特にミサなどは行われていなかったが、内部から見る塔の突き上げるような高さ、美しいステンドグラスを見るだけでもいいものである。蝋燭の炎に照らされるイコンも美しい。
 しかし神田明神という神社、孔子を祀る湯島聖堂、そしてニコライ聖堂と、これではいくらなんでも不信仰の塊、不信心の証である。お寺に寄らなかったのが不思議な気もするほどである。
 ここまでしては神もなにもあったものではないだろう。私の不信心・不信仰がさらに募って不敬になると困るが、しかし自分を静かに見つめる場としての祈りの場というのは、雰囲気は嫌いではない。否、騒がしい街の喧騒を離れて自省の場としては貴重な場所なのかもしれない。




成人式の思い出

2014年01月13日 19時19分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は成人式ということになっている。成人式とは無縁な私であったし、これからも理解できない行事であることに変わりはない。どうもあのように皆が同じような着飾り方をする式典・行事というのに嫌悪感を抱いてしまう。あくまでも個人的な感想であるが。
 そんなことよりも、20歳という極めて私的な祝い事を、法的な権利義務の発生ということにかこつけて国家や行政というものがそこに関わってくるということにどうしても馴染めないのだ。国家の構成員であることをあらためて認識させるための儀式となっている。国家への帰属意識というのは国民国家としては重要な課題であるが、戦後の国家体制への違和感が強い人間の多い世代には、耐えられない押しつけなのである。それらの多くはすでに還暦を過ぎ、古稀に近くなって、成人式の頃の思いからは遠ざかっているが、違和感は抱え込んでいる。私はこの違和感には最後までこだわりたいと思っている。

 私が成人式の日、当時は仙台に住民票を移していた。そして住んでいた一人用の安アパートに成人式の案内はきていた。しかしそれは無視をした。そのまま新聞紙の束の中に放り込んで捨ててしまった。
 そして大学は正月明けから学費問題と学内問題がこじれて月末からバリケード封鎖になった。当時の成人式は15日であったが、記録によれば確かそのころはバリケード封鎖の前段の、自治会選挙の最中であったと思う。ビラ配りのために学校に行く途中で、当時の仙台市の成人式の会場である川内の青葉城址の下の大橋という橋のそばにあるスポーツ会館という施設だったと思うが、そこを歩いていると成人式会場から晴れ着姿の女性と黒い礼服姿の男性が大勢出てきた。その中に生まれたばかりのような赤子を抱いた振り袖姿の女性がいたのを鮮明に覚えている。その女性が赤子をあやしながら歩きにくそうに、バス停まで行く姿がとても印象的であった。
 私は自分の関わっている運動が、この赤子を抱えた女性の生活感あふれるたくましい仕草にはかなわないとあらためて思った。しかし関わりをやめようとは思わなかった。この運動の先にどこかで交わるものを夢想していたからかもしれない。この敵わないという思いが、その後の私の行動や内省のバネになったことだけは確かなことだ。
 その晩は確か、学内のサークル室かどこかで、ひとりで安い燗酒を飲みながら自分の関わっているバリケード封鎖に向かう運動の行く末への不安と、自分の生き方の不安に浸りながら、寝袋で寝てしまったことをようやく昨晩思い出した。ツィッターではバリケードの中で寝たと記載したが、まだそれ以前の状況であった。

 大都会で催される成人式というもの、もうそろそろ一区切り、廃止をしてもいいのではないだろうか。家族の中だけではない、成人という通過儀礼が必要というならば、もっと小さい単位の地域や集団を基本に、人の顔が見える範囲でするのがいいような気もする。
 むかし横浜市で「区長にも自治体首長並みの権限を」といって当選した中田市長は、横浜市主催の成人式だけは各区主催にすることは絶対にしなかった。自分の政治宣伝として自分の挨拶・メッセージを投票権をもつ新成人にどうしても届けようとする我執を捨てることはなかった。つまり成人式を政治宣伝の場として徹底的に利用した。言っていることとやっていることの徹底的な乖離、これを人には見せないように振る舞うのが政治家と思っている。随分自分勝手な政治家との印象を、当時私はさらに強めた。多分今の橋本大阪市長も同様であろう。中田が属する党の代表である。
 国家や行政に、あるいは政治家にこの成人式を利用させない方法を考えた方がいい。学区単位でやるのもいいだろう。何か別の方法があった方がいい。



スキャナーの嫁ぎ先

2014年01月12日 21時20分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の横浜は昨日よりは気温が高くなったらしい。しかし朝の内はとても寒く、団地の池が凍っていた。何年かぶりにこの池に氷が張っているのを見た気がする。

 朝の内は管理組合の諮問機関の会議の後、横浜駅まで歩いて、家電量販店におもむいた。昨日かなり消耗したプリンターのインクカートリッジ一式を購入した。
 来週の水曜日15日の天気予報が雪の表示になっている。先週雪の表示があり、いつの間にか雨から曇の表示にかわり、雨にまた変わり、とうとう雪の表示に戻った。この時期の雪の予報はなかなか難しいと聞いている。予報する方も大変であろうが、関東地方で雪となるときわめて大きな影響を与える。

 先ほど書き忘れたが、娘夫婦にはお酒のほかに生姜茶をもらった。これまで口にすることはなかったお茶だが、意外と美味しい。お酒の後に飲むとなかなかいい。これは癖になりそうだ。
 ということで、お酒と生姜茶のお返しに、このパソコンとは相性の悪いUSB接続のスキャナーを譲ることにした。私の新しいパソコンには合わないようだが、娘夫婦のパソコンにうまく接続出来て、動いてくれるだろうか。まだ新しいので存分に働いてほしいものである。

ベトナムのお酒 ネップ・カム

2014年01月12日 19時43分07秒 | 料理関連&お酒
 昨年の正月早々、われわれ夫婦でベトナムに行ってきたが、今年は年末から正月にかけて娘夫婦が正月ベトナムに行ってきた。
 私はベトナムで、ルア・モイとネップ・モイという焼酎を写真のとおりに街中の酒屋で購入してきた。このお酒については昨年記載するのをすっかり忘れていた。またこのお酒がどのようなものかも調べるのを怠っていた。
 昨晩娘夫婦に、ネップ・カムという蒸留酒をもらって、美味しかったので、このことを思い出して調べてみた。



 写真左のルア・モイというのはネットで検索すると、
・「うるち米からつくられるベトナムライススピリッツ。ベトナムでは庶民のお酒としてしられるポピュラーなもの。アルコール度数は45度と高いが、口当たりは柔らかくほのかな甘さが特徴」
・「うるち米から造られるベトナムの人気蒸留酒。クセのないきれいな味わいとほのかに甘い飲み口。すかっと爽やかな味わいはお料理とも好相性。搾りレモンをグラスに入れたソーダ割り、オン・ザ・ロック、フレッシュフルーツ等を使ったカクテルベースにも。無色透明」
という説明が出てきた。
 次に写真右のネップ・モイを検索すると、
・「黄色もち米とウイキョウ・シナモンなどを加えた麹を原料に造られるウォッカ。ナッツ類にも似た香ばしさとほのかに甘い味わいが特徴」
・「人気度NO.1。黄色もち米、シナモンなどを加えた麹使用のやさしい蒸留酒。無色透明ながら、豊かな香ばしさと、甘い香りはナッツ類やココナッツを連想。後味はアルコールを感じることなく、ほどよくさっぱり。喉の渇きやエスニック料理と好相性。ベトナム旅行のお土産でお馴染み。アルコール度数は40度」
と説明がされている。

 写真でも明らかなように私が購入したのはアルコール度はともに29.5度となっていた。
 説明にもあるとおり、ともに微かにシナモンの香りと思われる香りが特徴でとても飲みやすかった。小さな瓶を購入したので、一晩一本ずつで二晩で無くなってしまった。少しのミネラルウォーターで割って飲んだ。
 街中のレストランではビールとワインばかりがメニューに載っている。私にはこの種の蒸留酒の方がうれしかった。



 さて、昨晩に写真のお酒を貰ったのだが、貰うまでまでネップ・カムというものがあるというのは知らなかった。これを検索すると、
・「美しい琥珀の酒色とまろやかな口当たり。ベトナムでは赤は幸福を象徴する色とされ、製造過程でできる酒かすも病気やお年よりの栄養食として利用される等生活に欠かせないお酒。アルコール度29.5度)
・「赤もち米を発酵させて造ったお酒。一瞬、セロリや紹興酒のような香りがしますが、飲むうちに美味しさが明らかに。エキス分の豊かな赤い色と、やみつきになりそうな香味個性に富んだ香ばしい唯一の味わい。というアルコール度数を感じさせないサッパリした飲み口」
という説明が出ている。

 まず初めはこの色に驚いた。一見美しいのだが、透明な美しさというのではない。濁っているのでもない。不思議な落ち着きを見せる美しい色合いだ。ザクロか何かの色かと思ったのだが、香りはそのようなものではない。確かに検索で出てきた説明のように紹興酒のような香りというのはあたっているかもしれない。
 香りは特に嫌なものではない。とても飲みやすく、昨晩も三分の二にあたる200CCをひとりで飲んでしまった。ちょっと病みつきになりそうな口当たりである。

 美味しいお酒をもらってご満悦な一晩であった。そして今晩で、残念ながらこのお酒は私の体内に全部入ってしまう。


外付けのハードディスク

2014年01月12日 00時16分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先日来、家電量販店で外付けのハードディスクのコーナーを見て回っている。外付けのハードディスクは随分と安くなっているようだ。2TeraByteのもので1万5千円以下からある。昔は耐用性の関係で敬遠する人も多かったが、今ではそのような不安はほぼないということらしい。だが、私などは駆動系である以上、不安が常に先行してしまう。
 ごく小さなもので胸ポケットに入るものでも1TeraByteのものもある。昔2ギガのカード型ハードディスクを2万円くらいで購入したことがある。使っているうちにカード型の汎用性が無くなってきて、いつの間にか使い勝手が悪くなり使用をやめてしまった。

 様々な記録媒体が出てくるが私の予想はいつも外れてしまう。MOについてもこれがこれからの主流かと判断して、640メガのものを購入した。そしてMOディスクにすべてを記録したが、いつの間にかすたれてしまった。
 デジカメもスマートメディアかコンパクトフラッシュが主流になるかと判断したがいつの間にかSDが主流になっていた。

 USBメモリー、これは随分利用した。これは便利であった。今はそれほど持ち歩くことはないのであまり使うことはないが、それでもコンビニでのA3スキャナーや、写真データーのやり取り、退職者会のデーターのやり取りなどはこのUSBは便利である。現在はSDHCカードとUSBメモリーでマイクロSDを差し込む形式の極く小さいものをいつも財布に忍ばせている。これでデーターのやり取りはすべて対応できる。
 この記録媒体に対する判断で、随分と金額的に損をしてきたように思う。
 
 記録媒体も淘汰が進み、媒体の整理が出来てきた。ブルーレイやDVDは確かに堅固な媒体であるが、汎用性はあるものの携帯性と記録のための操作性で敬遠されている。これからは外付けハードディスクが主流になりそうな気配だが、どうであろうか。
 
 そうはいっても大容量の外付けハードディスクを購入するつもりは今のところない。既存の350ギガのハードディスクで十分対応できる。早めにあたらしく且つ安い記録媒体が紹介されることを祈っている。

さすがに本日は寒かった

2014年01月11日 21時27分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は夕方近くになってから2時間40分かけて2万2千あまり、15キロ近くを連続して歩いてみた。時速にして5.6キロくらいだろうか。途中の公園で休憩しようとしたが寒いのでお茶を飲みながら歩き、結局休憩はしなかった。
 薄い上着1枚に薄いウィンドブレーカー1枚、薄いランニングズボンにやはりごく薄いオーバーズボン1枚に、手袋も帽子しなかったため、汗はかくのだが手が冷たい。18時を過ぎて気温がどんどん下がってきた。家について財布から鍵を取り出そうとしたがかじかんでなかなか取り出せない。やっと出したものの震えていたので鍵穴に入らない。
 やっと家に入ったものの、シャワーを浴びようとしたが今度はズボンの裾を縛っている紐を解くことができない。やむなく座り込んでようやく解いた。寒さを実感したひと時であった。
 普段は1日かけて2万数千歩を歩く。だからゆっくり歩いた歩数もカウントされるのだが、本日はウォーキングし通しの歩数なので運動量としてはかなり多くなっていると思う。最近少しだれ気味だったので、ちょいとハードに歩いてみた。

 夜にかけて退職者会のブロックの会報を印刷。やはり2枚裏表で4頁仕立てになったが、両面印刷は楽である。必要部数があっという間に印刷できた。


熊田千佳慕

2014年01月11日 11時35分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
  

 昨日国立近代美術館のミュージアムショップに立ち寄って見た。ここはショップは小さくてあまり商品の種類もない。ポストカードもほとんどない。現に開催している企画展のカードもいつも皆無である。
 そんな中で熊田千佳慕のカレンダーを見つけた。妻がもうひとつカレンダーを欲しがっていたのを思い出して購入してみた。大きさも欲しがっていたものに近い大きさであった。このカレンダー、カレンダーを販売しているところなら置いてあるようなものだが、今年に入っていくつかの店を見たが置いてはいなかった。熊田千佳慕のカレンダーを取り立てて探していたというわけではなかったが、久しぶりに見る作品と名前に惹かれた。
 熊田千佳慕さん、実は私の住んでいる横浜、しかも同じ町内に住んでおられた。今から25年ほども以前であろうか、テレビか何かで作品と人柄を紹介していたのをたまたま見ることがあった。いつも娘が小学校の帰り道に仲の良かった近所の子供と遊んでいたあたりの空き地が写生のフィールドであったようだ。見かけた空き地の風景がテレビで放映されてびっくりした記憶がある。略歴を見るとテレビで放映されたのはもう80歳近い歳の頃であったと思う。
 こんな近くにこのような方が居られると驚いた。子供が卒業近くになって小学校で招いて講演をされたこともあったようだ。
 妻はこのテレビの放映以来すっかり熊田千佳慕さんのファンになっている。
 4年ほど前にお亡くなりになっている。年譜では98歳であったとのこと。70歳を過ぎてから国際的な注目を浴び、一躍有名になったという。

 熊田千佳慕の絵の良さは、どこにあるのだろう。ファーブルの昆虫記の挿絵は昆虫単体の細密画である。熊田千佳慕の絵も細密で大きくクローズアップされている。しかも腹這いになって対象をじっくり見ている。しかし違いは、近景・動物・昆虫単体を異様ともいえるくらいにクローズアップするとともに、実に遠くにかすむような山などの遠景も克明に描きこんでいるところであると思う。近景と遠景が不思議なバランスで描かれていて、実在感を引き出している。不思議な風景画でもある。腹這いになって虫などの対象をジッと見つめると同時に、その低い姿勢から見る遠くの山並みの見え方というのはこうなのか、と不思議に合点してしまう実在感がある。対象の虫なり動物がこのような大きな風景の中で生存していることを表現しようとしているのだろうか。また遠景によって空間が実に広々と感じられる。開放感のある構図になっていると思う。構図としては稚拙に感じることもあるが、それが面白いところでもあるのだろう。

 生き方として、なかなか惹かれる。ひたすらご自身の生き方にこだわられた方と思われる。

    

ジョセフ・クーデルカ展感想

2014年01月10日 23時40分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 寒い中、ジョセフ・クーデルカ展に出かけた。正午少し前に家を出たときは急に雲が出てきて日差しがさえぎられて寒さが厳しくなった。横浜駅に着いた頃には空のほとんどが雲に覆われていたが、東京駅に着いてみると雲は横浜の方角だけに見えて、快晴。ただし風が冷たく気温はほとんど上がっていなかった。
 皇居一周のランナーはせ平日の昼間だけあってさすが少ないが、それでも竹橋まで歩く間に随分追い抜かれた。ほとんどが半ズボンであった。土日になるとランナーの数が多くて実に歩きにくい。私もジョギング・ウォーキングをするのだが、どうして皇居一周などという場所にこだわって走るのか、私にはまったく理解できない。
 自宅周辺で必ずいいコースがあるはずである。無いわけが無い。人通りが少なく、散歩する人間に邪魔ではないコースはどこにでもある。皇居を走る、ということが走ることに箔をつけたり、走る意欲につながるような運動ならやらない方がずっといいよと余計な声を掛けたくなる。

   

 さて、本題だがジョセフ・クーデルカ展、見に行ってとてもよかった。

   

 まず初期の段階から私の好みの写真が並んでいる。特に「1初期作品」「2実験」は造形的な視点の作品で、惹かれた。造形と言っても演出による作品ではなく、目に入った光と影の交錯する瞬間を固定している。私の好きな撮影方法でもある。二重露光やレンズの多様、その他様々な複雑なテクニックなどは駆使していないようだ。西欧でも東欧でも、全世界的に行き詰っていた戦後の社会の閉塞感。冷戦構造や、国家の力による市民社会への抑圧や過剰な関与、その一方で工業化の進展にともなって発生する社会矛盾に対する不作為、これらにより息詰まる社会生活の中で、何かに縛られているような圧迫感、どの作品にもモノクロームの陰影に強く滲み出ていると感じた。あの重苦しい気分は日本という国にいても私は強く感じていた。これが世界性ということなのだろうと思う。

      

 そして「5侵攻」という軍事介入への市民の抵抗の最前線での生々しい写真となる。しかし今回の展示ではこの写真は少ない。数は忘れたが10点に満たなかったと思う。しかしどれも視点がいい。市民の側の視点が生々しく伝わる。私も昔、高校2年の時だったが新聞の一面トップを飾った写真、戦車の上の兵士の無表情を装う顔と、抗議する市民の生きた目に、グッとくるものを感じた。その時の迫力が今も伝わってきた。
 兵士と市民に肉薄しながらも、クローズアップだけではなくきちんと周囲の状況も切り取っていて過不足ない説明が構図上できている、と感じる写真である。あの緊迫した状況下で、しかも肉薄した距離であっても実に冷静な視点を確保していると感じた。

 しかしこの写真家の真骨頂はチェコを脱出・亡命後の「6エグザイルズ」と「7カオス」ではないだろうか。多くの人は亡命によって、その芸術的な行き詰まりを示す場合が多い。
 1970年代を通して撮影された「6エグザイルズ」を見ていて、この写真家、亡命という故郷喪失・アイデンティティー喪失によって浮遊する意識、疎外感の亢進にも自己をキチンと見つめ続けていると感じた。
 この人が抱える「孤独を見つめる視点」が私の胸をうつ。撮影する対象が熱気ある不特定多数の大衆から、都会に寂しく行き来するひとりかふたりの被写体に移行していく。この移行、あるいは視点のあらたな獲得が実にスムーズだったのではないか。私なら新しい視点の獲得にきっと四苦八苦して放り出してしまうような内部葛藤をすると思うが、この作者はそれほど悩んだ形跡は見せていない。もともとの出発点の視点にそのまま戻ったような感じもする。
 「侵攻」という報道写真のような世界に踏み込んでいってそこで自分を見失うことなく、元の視点をもって新しい「亡命者」という立場で、西欧の社会を見つめたという理解ができるのかもしれない。同じ目で東欧と西欧、両方に共通する国家や都市、社会の病理を見つめていたといえる。当時のチェコスロバキアからみれば憧れであったろう「自由」は「人間の顔をした社会主義」という合言葉に込められていたと思う。しかし手本とされた西欧の社会の病理は、どこかで東欧の社会の病理と共通であったはずだ。作者はそのことを自覚的に視点として抱えていたと思う。
 1970年代から80年代に社会の底辺で、社会の病理を見つめ続けた軌跡がこのシリーズなのだろう。

   

 さらに「7カオス」という1980年代以降の造形的な視点をもったパノラマ写真が素晴らしい。パノラマ写真の広がり・奥行きのある形を獲得することで、この作者の出発点の視点がさらに豊かになったように感じる。あるいは、反対にこの作者によってパノラマ写真の奥行きの広さが発見されたと言い換えてもいいかもしれない。
 このシリーズにもはや人間はほとんど登場しない。あれほど「侵攻」で人間の極限の姿の一端を切り取ったにも関わらず、この地平では遺跡と都会と無機的な産業施設と自然の造形的な美に没入している。人間は施設や遺跡などを通して痕跡として自然に何らかの跡を残しているだけで、画面に躍り出てくることがない。それでも人間を感じさせる点が、このシリーズの魅力だと思った。