Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

寒い一日-ジョセフ・クーデルカ展

2014年01月10日 11時25分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は晴れ渡っているが、寒いとの予想。東北・北海道の寒さとは比べものらならないが‥。乾燥・強風注意報とのこと。

 これから国立近代美術館に出かけようと思っている。ジョセフ・クーデルカ展が13日までである。実は私は初めて聞く名前だったのだが、1968年の「プラハの春」が写真家としての評価を高めたと聞いた。匿名で西欧に配信された写真は、私の目に触れていたことは間違いはないと思う。その後の写真家の関心の行方も知りたい。この事件は私の社会に対する関心の契機となった事件だ。忘れることはできない。
 この展覧会は見逃したくないと思っている。本日行かないと終わってしまう。

何とかその日のうちに帰ってきた

2014年01月10日 01時39分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
先ほど24時前に帰宅。なんとかその日のうちに戻ることができた。
23時少し過ぎに横浜駅に到着、少しだけ遠回りをして歩いて帰ってきた。

しかし風が強く、とても寒かった。

本日はもう寝ることにした。

振込め詐欺対策といっても‥

2014年01月09日 14時33分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日からの雨は上がったが、曇り空である。夜には雨、ひょっとしたら雪となるかもしれないという。乾ききった空気に湿り気が戻り、顔はひんやりするものの気持ちがいい。乾燥している大気は鋭くきつい感じがするが、湿り気のある大気は柔らかく感じる。外を歩いていても大気に肌が馴染むようだ。風もあまりないので空気が顔を撫でていく感じもする。
 南岸低気圧が北上しているので、雪が降ることもあるのだろうが、これから春先にかけてこの低気圧が次から次に通り過ぎていく。ひとつ過ぎるごとに春が近づく。

 本日は3月末のオーロラツアーの代金を支払った。参加者が振り込んでくれた金額をまとめて支払った。銀行の窓口で大枚を引き出そうとしたら、「身分を証明するものを見せてほしい」という。やむなく健康保険証を見せた。次に「この口座は何に使うものか、この文書にチェックをしてほしい」という。「何で口座を作るときに聞かずに今更そんなことを聞くのか」と言おうとしたが、「まあまあ」という声が頭の中に浮かんできてとり会えずチェックをした。しかし不思議なことに「住所・氏名」欄があったのでそこに記載しようとしたら「そこには書かなくていい、生年月日だけ書け」という。これも変な言い方だと感じたし、勝手に署名されたら困るので氏名と生年月日だけは記載した。住所面倒なのでそのまま記載しなかった。しかしこれで文書として有効な文書なのだろうか。何とも不思議な気になった。
 さらに警察からの文書のコピーを示して、「何に使うか具体的に教えてほしい」という。いわゆる振り込め詐欺対策ということなので、わからないことはないが、これには「それは言いたくない」と拒否をした。「支払いですか」と聞くから、行員と喧嘩したくもないので「それも答えたくない、しかし家に眠らせておくわけではない」と答えた。一応これで引き出すことはできた。

 しかし警察の「協力依頼」も少しおかしいな、と感じた。それは公務員ならば守秘義務は法律で決まっている。しかしこの手の守秘義務は銀行員について法的に規制ているのかどうか私はとっさに判断できなかった。もし社内の規定程度の守秘義務ならばこれに基づいて「何に使うか」という質問に答えるのはまずいのではないかと感じたのだ。銀行員の守秘義務はどの範囲で、どの法的根拠があるのか、警察の文書には記載されていない。
 さらに口頭である。文書にチェックを入れるようなものでもない。行員に見せるのではなく、封書に入れて警察宛のチェック文書ならわからないでもない。窓口で、しかも人前で何に使うか具体的に答えよ、というのはあまりなやり方ではないだろうか。頭の中ではかなりカッカした。顔色に出ていたかもしれない。

 しかし7桁の金額を引き下ろすなんてことはないので、今回はこれでおしまいである。引き出した後の私のヘソクリの預金通帳はいつものように五桁の数字にさびしく収まっている。できればもう一桁多い金額が並んでくれるとうれしいものである。


 本日は月に一度の飲み会で大久保駅傍まで。新年会になる。忘年会では蒲田駅から川崎駅まで歩くことになったが、今回はちゃんと本日の内に我が家にたどり着きたいものである。

横浜は久しぶりの雨

2014年01月08日 21時12分15秒 | 読書
 今日は友人と軽く新年会。
 夕方4時過ぎから横浜では雨が降り出した、と思う。建物の中にいたからいつ降り始めたか、はっきりはしないのだが‥。
乾燥しきっていて、喉や鼻の粘膜がつらいと思うこともあったが、この雨で少しでも解消するとありがたい。インフルエンザや風邪の蔓延も和らぐであろうか。



 先ほど帰り際に横浜駅の有隣堂に寄ってみた。購入したい本は山ほどある。でも持ち合わせのお金もあまり無かったので結局やめようかと思ったが、ふと棚にあった「名画の謎-陰謀の歴史編-」(中野京子)が目についてカウンターまで持っていってしまった。
 これは実に無意識のなせる業であった。支払う段になってふと我に返り、財布をかき回したらなんとかギリギリ間に合った。
 「お金が無いので買うのは辞めます」とレジで恥をかかずに済んだ。そういえば昔、何度かそんなことがあった。あるはずのヘソクリ用の財布がリュックに入っていなかったり、前日に飲み代で使ってしまっていたのを忘れて買おうとしたり、という情けないこともあった。これからもひょっとしたらやってしまうかもしれない。頻度が高くなるかもしれない。
 午前中に家電量販店で文具を見るついでに、生活家電のフロアーを特に目的もなく歩いてみた。そこにごく小さなUSB接続の加湿器が並んでいた。オフィスや自宅で身の回りの加湿のためのものであろうが、随分と便利なものが製品として存在していることにびっくりした。しかも1980円という値段である。
 時々このように世の中ウォッチングのつもりで商品を見渡すことも悪くないと思った。しかし、この加湿器を見た後に、予報通りに雨が本格的に降ってお湿りになるとは‥。

「吉岡徳仁-クリスタライズ」展

2014年01月07日 22時18分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 東京都現代美術館に初めて入った。「吉岡徳仁-クリスタライズ」展が面白いと聞いていた。私は初めて聞く名前だが、1967年生まれというから今年47歳になる。公立美術館では初めての大規模個展となるとのこと。
 白一色に飾られた展示室にまずびっくり。ウォーターブロック、白鳥の湖-結晶の絵画、ローズ、蜘蛛の糸、虹の教会、レインボーチェア、ハニーポップと7つの作品が一部屋ずつに配されている。
 水とガラス・プリズムと光と結晶、これがこの作家の作品のコンセプトになるようだ。プリズムによる光の分光がもたらす微かな色の配合が美しい。また何の結晶かなのかは明らかにされないが、糸などに結晶化した造形などが作品として展示されている。結晶化にあたり音楽という振動を与えたりする作為などで自然結晶の形状を変化させる試みなどもある。
 「「クリスタライズ」には、「自然のエネルギーを結晶化し作品を生み出す」という意味が込められている」という。
 自然から生み出されるという言葉、自然の力という言葉が語られるが、この「自然」という言葉が独特なイメージである。そして人為と自然が分離していない。チャイコフスキーの白鳥の湖を鳴らしながら結晶作用にどのように作用するのか、という命題からは「自然」と「人為としての音楽」が明確に分離した発想となっていない不思議な自然観が語られる。
 「自然から生み出された、人間の想像を超えた造形。その作品は、人の心を動かす自然と、そこに潜むエネルギーに感応して、自らを造化します。それは、造形や技法という概念からの解放です」作者は語っている。



 現代芸術というのは、不思議な芸術である。多様な表現媒体を駆使しているが、作品には多くの「言葉」が費やされることが多い。吉岡徳仁もそうである。作品自体の衝迫力もあるにもかかわらず、雄弁に言葉が書き連ねられている。言葉が、文字がなければ作品が成り立たないと、その作者が思ってしまう根拠はいったい何なのだろうか。
作品自体に語らせるということは現代では不能なのだろうか。現代芸術を見るとき私はいつもこのことが頭の中を駆け巡る。
 しかもその言葉が不思議な難解さで迫ってくる。今回も「自然」という言葉は先ほども言ったように「人為」と明確に分離されていない。私の中では自然と人為は対立概念である。人間の作曲した音楽をかけて空気の振動を与え、結晶化に影響が出るとして、それが自然結晶の形状を変化させる試み、これも含めて自然過程と呼んでいる。
 私なら人為を極力排除することが、「自然」といものの成り立つ根拠と解釈してしまう。ここが不思議だ。そしてこの不思議が、現代芸術なのかもしれない。あるいは現代芸術そのものの不可解なのかもしれない。
 自然という言葉以外にも様々な概念が、私の概念と通じ合わないところまで変化してしまったのだろうか。そうかもしれないが、概念が違っていても作品の衝迫力は世代を超えて人に感動を与えるものと私は信じている。
 今回の展示でも、虹の教会・蜘蛛の糸・ローズに光の美しさを感じた。光の力を手に入れたいという作者の強烈な意志を感じた。その力と意志に「言葉」が必要であったろうか。饒舌に語られる「言葉」は私には不要・障害に感じられる。なのになぜあのように「言葉」が氾濫しなければならないのか、作者が「語り尽くしたい」意志とは何なのか、そこまで作品を固定化してしまいたい意志とは何なのか、そこが私には理解できない。このもどかしさが募ったまま会場を後にした。
 数時間が立ち、今チラシや写真を見ていても作品の印象は脳裏に明確に残っている。しかし言葉は残っていない。カタログに印刷されたままである。その言葉を読んでも作品は浮かんでこない。表題だけで十分なのである。そして脳裏に浮かんでくる作品に対しては肯定的な評価がなされている。


 なお、時間がなかったけれども常設展も駆け足で見てきた。1階のフロアーしか見ることができなかった。その中で浜田知明の「初年兵哀歌 歩哨」(1954年)と鶴岡政男の「重い手」(1949年)が展示されていた。この美術館の所蔵であったとは知らなかった。

   

   

七草粥

2014年01月07日 20時18分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 本日は朝10時に家を出て、大江戸線の清澄白河駅で降りて東京都現代美術館で開催している吉岡徳仁展を見てから、みなとみらい駅に急いで戻り、神奈川大学の講座に出席した。10時過ぎに家を出たため現代美術館では40分ほどしか時間がとれず、慌てて引き返したが、それでも講座開始に15分ほど遅れてしまった。
 吉岡徳仁展の感想は別途アップする予定。

 現代美術館近くの蕎麦屋で昼食を食べたが、帰りに「お年賀」ということで手ぬぐいを渡された。まったく予想していなかったので面喰ってしまったが、そういえば昔はどこの商店でも「お年賀」ということで手ぬぐいを配っていた。懐かしいしきたりに出くわしてとてもビックリした。

 さて本日は「七草粥」を食する日ということになっている。我が家でも七草粥を食したが、ハコベラはセキセイインコ用に初めから取り分けられてしまい、六草粥となってしまった。ただしかわりに鳥のモモ肉とエノキダケが入っていた。
 昨日飲み過ぎて頭痛が朝まで残った体にはおかゆはとてもうれしかった。

本日からの講座

2014年01月07日 19時25分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日から始まった全5回の講座は「海から見た日本文化」。神奈川大学の歴史民俗資料学研究室20周年記念講座ということになっている。
 第三回目の講師昆政明氏は前回の和船の歴史の講座を聞いた。とてもいい講座であったので今回も期待している。
 本日は沖縄を視点にして中国・日本とのかかわりを小熊誠教授の講座。交易国家としての琉球王国が薩摩の支配下で年貢貢納のため農業振興を図った蔡温の思想をもとに、風水思想から琉球の文化を読み解こうというものであった。ただし時間の関係から風水思想の解説はなく、これは残念であった。
 しかし神奈川大学に移った常民文化研究所の流れからして、この講座はなかなか期待が持てそうである。楽しみにしている。

会計監査

2014年01月06日 11時52分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 正月早々だが、退職者会の会計監査、といっても会全体の監査ではない。私の属するブロックの監査である。私が幹事になってブロック費が助成されるようになって初めの監査を行う。年間10万円に満たない額だが、やはり緊張する。
 来年4月から本格的に予算を決めて会計執行するための一年間の試行をしてきた。この際会計規則や運営方針の概略も決めたいと考えている。
 必要な書類はとりあえず昨晩の内に揃えたはずだ。

 しかし昨日預金通帳に利子の記載をしてきたが、2万円をまるまる一年間預けておいて利子が1円であった。低金利の時代とはいえ、寂しいものである。
 まぁ預金利子が高いということは物の値段も上がっているということだからやむを得ないのだろう。間違って使ってしまうことの無いよう、安心を得ていることと通帳を作っているということの方が大切なことなのだと思うことにした。

 終わったら幹事二人と監査の方で簡単に新年会でもしようと思う。むろんこれは自費である。問題は安く入れて、15時過ぎからやっている場所を探すことである。

 ブログは無事に復帰していた。助かった。


内部サーバーエラー?

2014年01月06日 00時38分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
パソコンでgooのブログがどれも表示出来なくなっている。
スマホでは表示されている。
サーバーがなんかおかしいようだ。
いつなおるのかな?

それとも私のパソコンがおかしいのかな?
でも、他のブログはこれまでどおりキチンと表示されている。

ブツブツ・・・・


と思っているうちに回復したようだ。メンテナンスがなんかだったのかな?
通知を見落としたのかもしれない。

またダウン。今度はスマホもダメ。
回復とダウンがくりかえされている。

付き合っていたら大変である。
もう寝てしまおう。


手帳を復活してみた

2014年01月05日 18時23分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 このブログは、たわいもない日記風のエッセイと、美術館・博物館・音楽会・各種講座・旅行などの感想とが、綯い交ぜになっている。わざとそうしている。一日に日記風と感想とが一つずつ交互に記載するのがいいのだが、そうでない場合もある。
 私なりの構えた文章と日記風の文章とどちらか一方だけでは、自分でも疲れるし、嫌になってしまうから。もともと一つのことに入れ込むタイプの人間ではない。長期に結果として生涯こだわったものがあるとすれば、人間の作る組織というものに対する関わりである。私の場合はそれが社会運動としての労働組合であったと思う。政治組織はかなり近いところでジッと批判的に、そして自分のこだわりにしたがってある組織の崩壊と解体過程を見つめてきた。それが団塊の世代のもっとも時代の先端的な課題を探ろうとしていた組織だとその意志と意気に感じていたからだ。彼らは彼らなりに見事に今でも身を処していると思っている。

 しかし私個人の趣味としては一つのことに没入して一生ものというものはないし、これからも無いと思う。その様なものがあるとすれば、エッセイであり、評論である。これは自分を見つめるという観点から手放せない。また「芸」としての趣味はどうも好かない。勉強はして見たいし齧ってみたいとは思うが、それに自分をすべて同値することには耐えられない。
 生涯を終わるにあたって、自分が芸や趣味をとことん極めたことに満足を得るか、あるいは極めなかったことに後悔するだろうか・・。私はたぶんそのことは思い浮かべないと思う。
 あるとすれば人間の集団に対する寄り添い方への自分なりの誠実さを追求したか、ということに終始する感慨が、生涯を閉じるときに頭を駆け巡るかもしれない。それについては今もこれからも、自分なりに突き詰めてはいる。こだわりである。

 さて、そんな大上段に構えた話とはまったく関係のないところに話を持っていく。初めの思いつきの時には、出だしの話とこれから記載する話は繋がっていたのだが、その繋がりの環をキーボードを打っている間に忘れてしまった。忘れたということは、大した意味のない、単なる牽強付会・思い付き程度の論理だったのだろうから、忘れてもしょうがない。
 ここから本題である。手帳の話に、生涯を終わるときの想定エピソードなど鼻から関係なかった。そしてこんなに長文など必要ないのだが、いつの間にかA4二枚になってしまった。

 退職して、おととしの5月だったと記憶しているが、このスマホを購入した。そして現役の頃と違い手帳に予定を記すことも少ないと思い、スマホのスケジュール機能を利用して画面でスケジュール管理をしてきた。
 ところが、各種講座を受講するようになったり、退職者会の役員を引き受けるようになったり、同窓会の言いだしっぺになったりするうちにこのスマホのスケジュール管理が不便になってきた。
 スマホは常に身に着けて持ち歩くので、スケジュールを見たり、決まった予定を入力するのは簡単で楽である。これはとてもいいと思う。ところが、電話をしながら友人とスケジュールの話をしたり、予定を組むときに戸惑ってしまうのだ。
 予定表を見ながら電話をする、という行為ができない。電話をしているときはスケジュール表が参照できないのである。
 手帳ならば家に忘れてこない限り、手帳を見ながら電話をしたりメールを打つことができる。このことはもとより頭にはあったのだが、これほどスケジュールが立て込んでくるとは思いもしなかったというのが本当のところである。

 しかし今更1500円近くの金額を掛けて、現役の頃のような手帳を購入する気にもならない。12月から一か月ほどかけて手帳のコーナーを物色していたら、630円で文庫サイズの普通のノートのような表紙の手帳を見つけた。一週間見開きである。100円ショップのビニールの文庫本用のカバーすればちょっとした手帳に早変わりする。あるいは文庫本用の米沢織のカバーをすれば完璧にこだわりの手帳に見える。
 安いカバーと合わせて735円の贅沢を今年はしてみることにした。問題は常にこれを持ち歩く癖を身に着けないといけないということだ。
 いつもの17リットル用の小さなリュックに入れておけば良いというわけではない。妻と出かけたりする時や、団地の管理組合のお手伝いの打ち合わせやちょこっとした外出の時にも、この手帳を必ず身に着けて持参しなければ意味がない。もっと軽い別の小さなバッグなどを持つときにも忘れないようにすることが必要だ。
 そして昨晩2時までかかって、この新しく購入した手帳に3月末までの講座の予定などをごくごく小さいラベルに印刷して、これを手帳に貼って見た。
 見映えはなかなかいい。ハガキ大の用紙に39枚ものラベルがある型番も見つけた。とても重宝した。

 これでスケジュール表を見ながら日程設定ができる。いちいちいったん電話やメールを閉じてスケジョール表を確認してから、再度電話をかけなおしたりする面倒がなくなった。何より相手に迷惑を掛けなくて済む。時間もかからない。先ほど記載したようにあとは常に持ち歩く癖をはやく身に付けることが肝心である。


「三菱一号館美術館名品選2013

2014年01月05日 16時47分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨年12月22日に「三菱一号館美術館名品選2013―近代への眼差し 印象派と世紀末美術」展を見てきた。三菱一号館美術館の収蔵品展であろうか。
 行って三点ほど心に残った。二点はカミーユ・ピサロの「窓から見たエラニーの通り、ナナカマドの木」(1887年)と同じく「エラニーのロックおばさんの農園」(1893年)。以前にも記載したが、私はカミーユ・ピサロの絵が好きである。生涯にわたる絵の全体像を見渡せる展覧会が行われないのはとても残念であるが、今のところ目にすることができる絵はみな気に入っている。
 あの明るい農村風景は見ていてとても落ち着く。構図へのこだわりなどは感じさせず、色彩があふれるように農村の家の周囲を描いている。大きな風景を描いているのは思い浮かべない。身の回りのいつも目に触れるありふれた情景を描いているのだが、これが何とも言えずいい。
 是非とも生涯の全体像が見通せる展覧会を希望したい。
 次に目にしたのが、オディロン・ルドンの「小舟」。



 ルドンの色彩のついた絵はこの「小舟」と有名な大作「グラン・ブーケ」の二点だけなのだが、それがかえってこの輝くような色彩を一層輝かせている。原色の赤と青と橙、そして白が何とも効果的に配されている。静かな物語を感じさせる、暖かい絵である。ルドンであるから、絵の背後、背景には物語の世界が深く広がっているのであろうが、それは私などにはわからない。しかし実に能弁にいろいろなことを感じさせてくれる絵である。女性二人なのか、青い服の人が男なのか、正しい答えはあるはずだが、そこまで詮索するのはとてももったいない。暗い海と小舟という舞台設定からは、不安の象徴も感じられるかもしれないが、黄色の帆の割合が大きく意外と安心感も感じる。そして花束と思われる丸い膨らみが温かみとともに二人の物語の結末を不安なく見せていると思うが作者の真の思いはどうなのだろうか。
 この絵は初めて見たような気がする。以前ルドン展があった時に展示されていたとすれば、見落としていたことになる。しかし今回この絵を見つけて、訪れた甲斐があったと思った。

横浜市歴史博物館古代史講座&近世史講座

2014年01月05日 12時02分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨年11月に申し込んだ横浜市歴史博物館の古代史講座「古事記と日本書紀、律令、木簡など」(1回1テーマ・5回、講師=平野卓治主任学芸員、柳沼千枝学芸員)と近世史講座「神奈川浦と野毛浦~二つの入江・入海の江戸時代~」(講師=斉藤司主任学芸員)の受講が決まった。それぞれ5週間の連続講座で各2500円、1回500円。
12月20日に抽選結果を知らせると応募要領にあったが、20日過ぎても返信用の通知ハガキが来ないので諦めていた。クリスマスプレゼントのようなもの。

 横浜の吉田新田が作られる前の野毛周辺は湊として賑わっていたらしい。戸部村の出村として戸部の背後の山を越えて村が形成されていたと昔何かの講座で聞いたことがある。戸部から今の伊勢山皇大神宮を超えた地域であると私は理解した。
 さらに神奈川湊は神奈川宿の基になったのであろうと思うが、江戸時代は江戸への玄関口として、また今の三多摩地区からの物産の集積港として機能していたらしいとも聞いたことがある。江戸末期からの八王子街道は明治以降の産業の動脈となったが、その基礎は江戸初期に遡るかもしれないと考えているが、そこら辺のことをぜひ知りたいと思っていた。
 また江戸時代の地図をみると野毛と神奈川のほかに、今の横浜駅傍の平沼のあたりにも船が描かれていた記憶がある。これは不確かな記憶なので確かめる必要があるが、このあたりにも触れてもらって、江戸時代を通じたこの地域の物資の流れ、経済活動などがわかれば面白い。きっとそれは中世にも遡るものがあるかもしれない。

 二つとも受講できたので、5週間は歴史博物館に10時半から15時までいることになる。この日はオニギリのお弁当を持参することにしよう。

正月のお酒

2014年01月04日 23時05分19秒 | 料理関連&お酒


 正月のお酒は、やはり東北のお酒が飲みたくなって、近くの酒屋で福島県二本松市の「奥の松酒造」の「奥の松」特別純米酒を購入した。4合瓶で1035円だから特に高いものではないが、口の中でべたつかない美味しいお酒であった。日本酒度±0、酸度1.4という表示であった。日本酒度±0というのは旨みが口に広がり味わい深い、と聞いたことがあるが、どうであろうか。
 確かにおせち料理といういろいろな食材が混在する3日間にはふさわしいお酒かもしれない。2合ほどはもったいないと思ったが、屠蘇散を一晩つけて飲んだ。2日目はそのまま冷で飲んだ。やはりお酒としてはそのままの方がずっと美味しい。屠蘇散を入れて飲むのはまじないのようなものだから、それで美味しくするわけではない。
 しかし元日も二日も、朝から赤い顔をして街中を歩くのがまた嬉しいのである。昼間の太陽を受けながら、のんびり歩くのはとても楽しい。
 三日にはもう飲んでしまったので、菊水のワンカップを2本コンビニで急きょ購入した。

 明日は、年末に行った元の職場のイベントの写真を整理して、CDに記録して月曜日には届けられるようにしたい。



妻に連れられて初詣(三日)

2014年01月04日 07時55分03秒 | 山行・旅行・散策
 3日は例年、箱根駅伝の復路を横浜駅傍の青木橋付近で見学する。
 特に応援している学校があるわけではない。上位に入る大学の多くの指導者・走る学生は割と明るい。他の競技団体のことはあまりわからないが、少なくともひどい前近代的な指導はあまり感じられないところに好感がもてるような気がする。そうであってほしいと思っている。
 今年は特に理由はないが、なんとなく行きそびれた。午後になってから妻が今日も初詣に行ってみたいと言い出した。
 思いついたのが、南区の弘明寺観音と、港南区の永谷天満宮と日限地蔵尊。
 ということでまず京急で弘明寺駅で降りて、弘明寺に行ったがなんと並んでいる人が4列で200メートルを超えていた。人が多いとは聞いてはいたが、3日にこんなに並ぶとはびっくりして境内に入るのは断念。横浜でも数少なくなった活気のある商店街の一つである弘明寺商店街を歩いて地下鉄弘明寺駅まで歩いた。途中大岡川を渡るのであるが、その橋では珍しくなった猿回しが行われて人だかりがしていた。元気のある商店街として有名でも、昔ながらの風物を継続する努力が必要なのであろう。
 元国大前の敷地前にある地下鉄弘明寺駅から上永谷駅まで行って永谷天満宮に詣でた。ここを訪れるのは私は実に7年ぶり。7年前はこのすぐ近くに職場があったので時々境内を見ながら現場周りをしていた。
 ここも人が多く、20分近く並んだ。しかし境内でふるまわれた甘酒は美味しく感じられた。また境内で古い破魔矢やどを燃やしていた。関係者が一生懸命に参拝のため並んでいる人のすぐ横で、苦労しながら分別して材木と紙を選り分けていた。見ていると大量のものを仕分けしている。ビニールや金属など燃やせないものが大きな袋いくつにも入れられ、テントの中にびっしり。丁寧な作業はなかなか好感が持てた。
 ここで時間がかかったので、日限地蔵尊は断念して、今年の初詣はこれで終了とした。
 懐かしい上永谷駅周辺を30分ほど歩いてみた。いくつかコーヒーカップや湯呑みを購入した九州の陶器を販売している小さな陶器店兼喫茶店を覗いてみた。まだ昔と変わらない店構えで健在のようである。話好きの店主も元気そうであった。探し求めていたご飯茶碗は見つからず店を出た。このような小さくてもいい物がある民芸陶器の店は得難い。
 駅前の4軒程のケバケバしいパチンコ店が妙に目に付いた。ことに今回びっくりしたのは視覚効果上かえって読みにくい朱色地に白字のネオンサインなど目に痛い巨大看板が現れていた。目がちらついてつらい。色彩の景観からは何らかの検討の必要性を強く感じる。見つめると残像が強烈に残り、目をそらすと一瞬だが、他のものが見えなくなる。はっきり言って危険である。
 駅前の植え込みに植えられ大きく成長した「藤」は、根元が相変わらずバス待ちや通行人の煙草やゴミのポイ捨て、子供の侵入でいじめ続けられている。今年もあまり花をつけずに過ぎてしまうのであろうか。この藤、1980年代初め、木がまだ若い頃は、バスターミナルを半周して一時見事な花を見せてくれたのだが‥。もったいないと思う。植えてからもう40年近くたった。囲いは景観上見苦しいが、お金をかける必要があるかもしれない。あるいは別の対策が考えられているのかもしれない。
 この上永谷駅、駅前の造成工事が真っ盛りの1976年に開発区域の中に職場ができて移ってきた。採用されて2年目の時である。近くに野庭団地という巨大団地もできた。この駅が出来、駅前広場・バスターミナルが整備され、大型商業施設が進出してきた。環状2号線も開通し、上永谷駅がこれほどにぎわう駅・商業圏になるとは想像もできなかった。街の変わり様を実に31年間も見てきた。愛着のある町である。環状2号線に接続するもう一本の放射道路が完成すれば交通量がさらに増えると見込んでいる。通過交通が増えることで、この町はこれからどう変わるのであろうか。
 この永谷村、永野村、野庭村などと言われた地域は、鎌倉時代から行く筋かの鎌倉道が近くにとおり、交通の要でもあり、江戸時代には近くに戸塚宿を控えた東海道の助郷村として潤ったり疲弊したりを繰り返したらしい。
 永谷天満宮にある各種の境内整備に伴う石碑に、当時仕事柄おつきあいをしてもらった町内会長・市会議員・老人会等の役員や企業の経営者などの懐かしい名前が刻まれていた。そのほとんどはすでに鬼籍に入っている。
 

         



妻に連れられて初詣(元日・二日)

2014年01月03日 23時20分54秒 | 山行・旅行・散策
                           

 さて、妻は初詣の雰囲気が好みらしい。そういう私も自覚的に不信心であることが誇りのような生活を送っているが、他人の信仰そのものを否定するつもりもないし、初詣の雰囲気は嫌いではない。特に日当たりのいい神社・仏閣の敷地を訪れるのは悪くない。石碑などを読んだりするのも悪くない。
 そんなこんなで、妻に連れられて三が日の内2日間は初詣に出かける。妻は拝所にまで行って賽銭を出して何かを祈っている。またその年の干支の置物を買うのも趣味となっている。この干支の置物は一年間テレビの前に鎮座することになる。
 ことに我が家の傍の旧東海道神奈川宿にある大綱金刀比羅宮と、東京都の大森駅と大井町駅の間にある鹿嶋神社(神宮ではない)の干支の置物がお気に入りである。

 今年も元日は神奈川宿の洲崎神社と大綱金刀比羅宮にでかけた。ここは例年訪れる。まず洲崎神社で参拝後、干支の置物を毎年見るのだが、決まって気に入らずに出てくる。その足で金刀比羅宮で干支の置物を購入する。ここの置物はよそに比べて少しだけ大きめ。干支の動物の表情がなかなかいいという。
 参拝者は洲崎神社の方が多い。多いといっても並ぶのは5分程度。金刀比羅宮は数人待つ程度。しかし雰囲気は悪くない。金刀比羅宮の方が日当たりもいいし、横浜の港の方のビルも見渡すことができて明るい。社務所の中の人の顔も明るい。
 どちらも私は境内での参拝はしない。カメラのシャッターを押すことに専念している。

 例年この妻の参拝と干支の置物を揃えることが済むと、横浜駅周辺で開店している喫茶店を探して一服してから帰宅する。これが元日の恒例の行動である。



 二日目は、大体が親族のいる大森駅に出向いて親族と会食をする。その会食の前に鹿嶋神社を訪れ、金刀比羅宮よりは小さめの干支の置物を手に入れる。この鹿嶋神社は鬱蒼とした大木に囲まれていて決して広くはない敷地だが、いつも薄暗い。洲崎神社よりも少し広いかもしれないが、大森貝塚のそばにある。大森駅周辺とは思えない静かなところである。社殿の横にある大きな提灯の灯がいつも暖かく頼もしげについているのが面白い。こちらの神社元日はかなり人が訪れて、敷地の外まで長い列が続くが、二日・三日ならば10分と待たないで済む。いつも露店が2つほど出ている。
 亡くなった叔父が二日にいつも参拝していて、付き添って一緒に行っていた。近くに日枝社も成田山別院もあり、3か所続けて以前はおもむいていたが、最近は妻も鹿嶋神社だけに行くようになった。
 今年はこの鹿嶋神社に行く前に、上野の寛永寺に行きたいと言いだし、西郷象の横の観音堂と、不忍池の弁天堂に行ってみた。
 観音堂は思っていたほど人は並んではいなくてすぐに参拝できたようだ。干支の置物は気に入らなかったようだ。その足で弁天堂に行ったら100メートルほどの列ができていてここは妻も参拝は断念した。不忍の池を一周して御徒町駅まで歩いてから大森駅に向かった。