Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

柚子の香り

2014年03月21日 22時15分16秒 | 料理関連&お酒
 彼岸の中日、日差しがあり風が無ければ暖かい日和であったと思われるが、風が強く、時々全天を低い雲がおおってしまい、寒く感じられた。
 喉の調子が戻ったとはいえまだ完全ではないので、長時間のウォーキングも再開するのはまだ早いと考え、古代史セミナーを受講後はそのまま寄り道はせずに帰宅。結局歩いたのは自宅から横浜駅までの往復を中心に13000歩だけとなった。

 それでも誘惑に負けて帰宅後は焼酎を1杯飲みながら、オーロラ撮影のノウハウ本をめくった。鴨肉のスモーク160グラムの残り50グラムほどをナイフで切りながら口に運んでいたら、焼酎がなくなる頃には全部食べてしまった。300円で3回に分けて食べたのだが、価格の割には味もボリュームも十分であった。

 鴨肉がおなかにもたれたようなので、夕食はみず菜とシイタケを入れた湯豆腐というあっさりとしたものにした。Kさんにいただいた柚子の内2個を絞ってポン酢がわりに使ったが、香りがよくうれしかった。
 この柚子なかなか香りがいい。鼻の利かない私にも立ち上がってくる香りがうれしい。他の人にはもっと強い香りなのだろうが、私にはほんのりとした香りである。お風呂にそのまま入れて手でもみながら割ると、皮から立ち上る香りに加えて実からの香りが加わる。皮からの香りよりもみずみずしい柔らかい感じがするのは気のせいだろうか。
 庭を持たない我が家では何よりものいただきものである。

 彼岸なのでそろそろ墓参りの日程を決めなくてはいけないのだが、今年は寒い。なかなかその気にならないようだ。オーロラツアーから帰ってからということで、4月になってしまいそうである。
 サクラの見ごろの時期には遅れるかもしれないがやむを得ないであろう。八重桜の季節に近くなった方が暖かくて良いかもしれない。



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「木簡から見た日本の古代社会」

2014年03月21日 20時48分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 古代史セミナー3月講座の2回目。今回は2回で終了。
 先月、横浜市歴史博物館の講座で木簡についての講義があったが、まったく違った視点で大変興味深かった。
 これまでは贄などの税や貢納物に着けられた荷札等の木簡の解説が私の拙い知識であったが、今回解説を受けた資料には、国名の一覧、間違いがいっぱいある九九の練習帳のようなもの、論語の文面を記載したもの、暦、万葉集や漢詩を記載したものなども含まれていた。
 特に龍を描いたり女性像を描いたものに4神名を記した木簡と、朝鮮半島の人型の木簡との比較、各面に論語の一節が記された四角柱・五角柱の木製遺物のような木簡などは、呪術的な側面も垣間見せるようであった。説明では、人身供御のかわりにこのような人型あるいは人の絵を描いたものを祀ったらしいとのことであった。
 そのようなものも木簡の範疇に入るとのことである。
 暦の解説では、木簡で記された689年の暦が、実は中国ではその当時ではとうに使われていない古い時代の445年の元嘉歴というものであるとのこと。当時の朝鮮半島の百済で使われていたものが伝わったらしい。
 当時の倭が中国よりも朝鮮半島からあらゆるものを学んでいたかがうかがわれた。つい中国との外交関係史などから倭を語りがちだが、朝鮮半島の政治・文化動向が如何に直接倭の動向を左右したかを実感もした。

 大変得るものが大きかった講座であった。


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ストライキ(2)

2014年03月20日 22時42分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕刊を見たら相模鉄道と関東バスのストの記事が全国版に掲載されていた。その記事の最後の方に神奈川県内の大和駅の状況を記していた。そこには「午前6時前から窓口や改札に人だかりができ、振り替え輸送ができないと分かると「自分で行けというのか」「料金返せ」などと怒号が飛んだ。ストの張り紙をはがして投げつける男性もいて混乱した。」との記載がされていた。

 いつの時代も悪意のある人はいるのだが、ストライキが死語となっている時代であるとはいえ、このような混乱が生ずるのはとても悲しい気分となる。ストライキや春闘に対して誤解に基づく悪意が蔓延している。記事を書いた記者も勉強不足があるようだ。
 経営側が労働組合に対して争議による損害賠償請求することを平然と主張するだけでなく、影響をこうむったと称する第三者までが損害賠償を求める事態にまでなっている。これが許されるなら労働三権など非合法扱いと同じである。

 しかも春闘相場の底上げによる波及効果というものが目に見えなくなっている。組織労働者の割合がどんどん少なくなり、サービス産業やホワイトカラーの組織率が極めて悪い中で、このような事態が慢性化するのがとても怖い気がする。

 今の時代、労働組合にとっては要求を提出するにあたっても組織内だけでなく、組織外に向けての事前の宣伝が重要となっている。まして行動を伴う場合はなおさらであろう。めったに行われないストならば、労働組合相互の支援活動なども入念に準備しなければならない。そこが産別組織やナショナルセンターの大きな役割であるが、単組にとっても、産別やナショナルセンターにとってもそこまで手が回らないというのが現実の力量なのだろう。

 当該の相鉄労組はこれまでも神奈川県内や横浜市内でも有数の組織率と行動力があった。このような労働組合が、地域で孤立しないような取組みが今後求められるのではないか。




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休肝日明け

2014年03月20日 20時14分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 講座終了後、オーロラツアーのための買い物に出かけた。衣類の圧縮袋はさいわいに100円ショップで手に入った。厚手のウールのシャツなどが二枚ほど入る大きさの袋を4枚購入した。他の店では3枚ほど入って1000円以上していた。ただし空気の遮断能力がどの程度か、しばらく様子を見る必要はありそうだ。しかしこれでリュックは随分と入るようになった。

 夕食のメインディッシュは昨日購入した「博雅シウマイ」。妻と二人で6個というのはなかなかの量である。豚の脂身のコクが食欲をそそる。ホタテの味がするが、強すぎないのがいい。病みつきになりそうな味である。
 そして夕食時に久しぶりにビールを飲んでみた。のど越しは問題ない。ほろ酔い気分になっても具合は悪くならない。ということで、焼酎のお湯割りを1杯だけ追加することに決めた。

 明日からは三連休だが、私は明日の午後は古代史の講座、明後日の土曜日は横浜美術館の「魅惑のニッポン木版画」展での学芸員による説明会に参加する予定になっている。三連休は現役世代の家庭サービス・子供サービス、あるいは息抜き、気分転換の貴重な時間でもあろう。われわれ現役を離れた人間は、交通渋滞に拍車をかけたり、人の集まるところでさらに混雑に輪をかけて、現役世代のレクリエーションの邪魔をするわけにはいかない。定年後も働かざるを得ない高齢者にとっては体を休める貴重な連休かもしれない。静かに勉学に励んだり、家の周囲でのんびり過ごすのがいい時間の過ごし方ではなかろうか。

 もっとも今は労働時間の流動化、24時間休まない企業活動が常態化している中で、まとまった休暇とはならないのかもしれない。生きにくい世の中、むごい社会に加速度的になっている。それでも貴重な休日が、精神と肉体の疲労回復、健康な人生と円満な家庭生活の支えであってほしいと心から思う。



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ストライキ

2014年03月20日 10時43分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は相模鉄道と相鉄バスが7時までのストライキ。関東バスもストライキのニュース。春闘のストライキという報道を実に久しぶりに聞いた。
 ストライキが今では死語になり、迷惑行為というバッシングがまず前面に出てくる時代になってしまった。いかがなものか。労働法がまったく有名無実になってしまった。ひどい時代である。そうような雰囲気こそが、国民自身の首を絞めている。
 バッシングの先頭に立つマスコミ報道に出てくる「学者」「評論家」の待遇に、嫌味のひとつも言いたくなることも多い。しかもバッシング報道をつくる現場の労働者も嫌な気分であろうと同情するばかりである。

 「賃金が上がれば会社がなりたたない」と働くもの自らが発言してしまう。しかしそれ以前に「生きていけない賃金水準」「賃金格差の拡大」「派遣労働の蔓延・恒常化」「ブラック企業の横行」「過労死・自殺者頻発」「メンタル多発社会」ではどうしようもないのである。賃金格差がこのように大きく開いた社会、労働賃金を上げることが罪悪視される社会、これはもう社会全体の構造がとんでもなく間違っているはずである。

 明確な社会ビジョンや経済・社会構造のビジョンを再構築しなくてはいけない。他人の足を引っ張ること、賃金水準の高い業種への攻撃が執拗に繰り返される。挙句の果てに「元凶のすべては官僚政治という弊害」といってすべてを批判しつくしたように錯覚する風潮をあらためないといけない。
 政治家が明確な政治ビジョン・理念・あるべき社会像を持たないがために「官僚批判」で逃げているとしか思えない。政治家がまっとうにビジョン策定できないから「官僚に頼っている」としか私には思えない。「官僚政治」を招いているのは政治家自身である。「官僚が唖然とする」政治家、災害時に市民をほったらかしてツイッター投稿による選挙にうつつを抜かした政治家が開き直って吠え続ける社会、どう考えても日本の社会は病んでいる。「官僚」がすべて正しいとも思わないが、かといって「官僚が作った案だからダメ」という意見には組することはできない。
 社会に対して責任ある政策案をだれが、どう練り上げるか、実りある議論と政策決定への道筋を示してもらいたいものである。



 喉の炎症は随分とよくなった。起きたばかりの時は痰がつまって鼻と喉に痛みがあったが、すぐにうがいをしたら痛みがすぐに消えた。まずはお見舞いをいただいたこと、感謝します。
 喉には乾燥がよくないといわれるが、さいわい本日は雨、冷たい雨だが、それでも乾燥注意報が解除されている。乾燥注意報が解除されたのはうれしいが、でもとても寒い。

 うがいの最後に、うがい液を規定よりさらに薄めてスポイトで鼻腔に数滴たらすことをしている。ひどく鼻がつまっていると喉まで液が垂れてこないが、何回かすると鼻が通って息苦しさもすぐに解消する。10年ほど前、喉と鼻腔の炎症がひどい風邪様の症状で悩んだときに試してみた方法である。症状を和らげるのに有効だった。それ以来そんなことをしている。スポイトは100均の、習字道具のコーナーの墨汁の近くにたいがいは置いてある。

 本日は午後の講座の前に、衣類の圧縮袋とカメラの電池を購入する予定。夕方再度荷づくりに挑戦。まるで子供の遠足の前日のよう、と妻に笑われている。




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午後は在宅

2014年03月19日 22時35分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後は出かけることなく在宅した。
 喉の具合はうがいを繰り返したためか、随分と良くなった。遊び過ぎが原因と諭されたが、多分そのとおりだと思う。この回復の状態ならば明日の朝にはもっとよくなって欲しいと思う。

 本日オーロラツアーに向けて第一回目の荷づくりをしてみた。着るものの嵩が多い。少し着るものを減らすか、圧縮袋を購入してくるか、悩みどころだ。カメラはやはり嵩張る。カメラの電池の予備をひとつ購入した方が良さそうである。使い捨てカイロも購入した。
 そうして薬・洗面用具・お金・ガイドブック・パスポート・筆記用具・電源用電池・充電器などの小物類を用意することなどの準備がまだ残っている。
 最終的に荷物の準備が出来上がるのを25日を目標にしてみた。何度かやり直しながらリュックに詰め込んでいくのが楽しみといえば楽しみである。山行ならば慣れているのだが、初めてのことなので想定が難しい。

 喉の具合が悪いので、あまり根を詰めては出来なかった。

 夕食後は「荒地詩集1951」の序文にあたる「Xへの献辞」と、鮎川信夫の「橋上の人」の連作、同じく鮎川信夫の「現代詩とは何か」を読んでみたが、なかなか読みこなせない。「橋上の人」、この作品を最初に読んだ時の感動は蘇ったが、それを記す力量が私には今もない。情けないと思う。
 最近は本を読めば読むほど、そのことの感想を述べる力量が自分にはないことがどんどん明らかになっていくだけである。悲しい話である。

 本日は友人のKさんにいただいた柚子を浮かべて柚子湯。気持ちよさそうである。喉がこの香りと揮発成分でよくなることを期待したい。いいものをいただいた。感謝。



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中桐雅夫「二月二十九日の詩」

2014年03月19日 20時06分53秒 | 読書
 中桐雅夫の「荒地詩集1956」の「二月二十九日の詩」という一連の5編の詩は、最後の長い詩「二月二十九日の詩」で終わるのだが、残念ながら私はこの長い詩が昔からなかなか理解できなかった。理解できないまま、いつの間にか忘却しかかっていた。今もって難しい。
 だが、不意に先週、意識の底から浮かび上がってきた。この間40年近く、詩そのものを読んだ記憶は忘却することはなくて、意識の表面に近くまで浮かびあがってきていたのかもしれない。
 この詩の最後、ということはこの一連の詩の最後でもあるのだが、次のような13行で締めくくられている。

 二月二十九日の詩 5 第三連

しかもわれわれは死に近づきつつある、そしてしかも、
近づきつつあることを忘れている、
獲物だと思っていたものが実は狩人で、
一心にわれわれを狙っているのだ。
だが、あせるか、何もするな、もう君の指には
最後の遺言状を書く力も残されていない、ただ
じつと待つのが君の仕事である、そして
「いまは死ぬのによい時だ」と言い得るには、
百冊の書物よりももっと重い心が必要だ。
その時、君は知るだろう、待つということが
どんなに重要な意味をもつたかを。そして
絶望のなかから、君が君の詩を発見するのは
ようやく、その時である。


 ここで注意しなくてはいけないのは、死が自然死であり、意志した死ではないということだと思う。つい自らの死に引き寄せてしまいそうであるが、ここではそう読んではならないと思う。
 「「いまは死ぬのによい時だ」と言い得るには、百冊の書物よりももっと重い心が必要だ」‥この言葉は本当に重い、とこの歳になって実感が湧いてくる。
 前回も記載したが、中桐雅夫という詩人は死を誠実に見つめ続けて表現した人ではないか。ポツダム宣言受諾・無条件降伏という事実によって1945年に敗戦を迎えたという、時代を真正面から体験してそこにこだわりながら詩という営為を続けてきた詩人である。死についての感覚はとても暗く、そして切実な体験なのであろう。
 この自分が抱え込んだ死のイメージにこだわる姿勢、死を引きずることをやめることができない、ある意味ストイックな生き方にたじろぎながら、私はどこかでこのような世界を絶えず反芻しながら生きてきたように思う。そんな原点に近い像が、この詩から得られたといえる。私の出発点だったのかもしれない。

 このブログ、この先どのような展開になるか、綴っている本人にもわからないのだが、自分の出発点に回帰する模索であるかもしれない。

 この詩は、いつまでも私は忘れることのできない、忘れてはいけない「詩の体験」であると感じた。



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博雅のシウマイ

2014年03月19日 13時27分33秒 | 料理関連&お酒
 土曜日からの喉の違和感、痛みが昨夜からひどくなった。朝は痰が絡んでいる。しゃべりすぎただけの違和感ではなく、炎症がひどいようだ。
・いわゆる風邪の症状が土曜日から出てきたのか、
・喉を使いすぎてそこで雑菌が繁殖して炎症をおこしたのか、
どちらかであろう。
 一般に「風邪」といわれるものは特有の菌があるのか、それとも、さまざまな雑菌が喉や鼻の粘膜で炎症を起こすのを一般的に「風邪」とよんでいるのか、素人の私にはわからない。
 そしてどちらかに決定して医師の処方が決まるというものでもなさそうである。いわゆる風邪といわれるものは、炎症を抑える薬しかない。原因の菌を抑え込むという処方は無いと聞いている。ということで今回はうがい薬に頼るしかなさそうである。
うがい薬が切れているので、いつもの内科で処方してもらった。
 本日も講座は無いので、一日おとなしくしていた方が良さそうである。



 帰り道にはバスでちょっと遠回りをして買い物。ついでに隣にある「博雅」というシウマイを製造しているところでシウマイと中華麺を購入してみた。
 博雅のシウマイというのは横浜に長年住んでいる人間には懐かしい名前なのだが、ホームページには次のように書かれている。

「日本におけるシウマイ製造販売の歴史は明治に遡り、明治14年に中国広東省出身の鮑棠(バオ・タン)氏が横浜山下町に「博雅亭」を開店し、その後、伊勢佐木町に進出して二代目、鮑博公(バオ・ボオゴン)氏の時代に日本で初めて「焼売」が製造販売され好評を博しました。 時代は流れて昭和に入り「博雅亭」の二代目(鮑博公)の義弟が横浜野毛町に博雅亭の姉妹店として「博雅茶郷」を開店し、横浜高島屋創業時から焼売(シウマイ)を「ヨコハマ博雅」のブランド名で 50年余にわたり販売して来ました。
 その後、経営者が変遷するうちに平成20年2月に横浜高島屋店が閉店となり、博雅茶郷時代からのシウマイ職人が工場長となったポン・コーポレーション(有)がシウマイを製造するかたわら直販で細々と販売活動を行なって来ました。
 その際に機械による製造から伝統の「手包み」に戻して、食材も純国産の食材を用い伝統職人のノウハウと継承されてきたレシピーで幻のシウマイが復活しました。
 このたび新たに株式会社博雅として新生博雅がスタートし、フード・ビジネスで社会に貢献することを理念に掲げ、食材も吟味してさらなる「美味しさ」の追及を目指しています。」

 行間からはいろいろの紆余曲折があったようすだが、その内容は我々には伝わらない。とりあえずは昔ながらの味が続いていることを信用するしかない。

 今日の昼はこの中華麺を食べた。肝心のシウマイは明日にでも食べることにした。ボリューム満点のシウマイなのでお昼に食べるには手ごわい。
 


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春一番とオカメザクラ

2014年03月18日 22時01分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 春一番の風は横浜ではお昼過ぎから次第におさまってきた。14時ころ横浜駅まで歩いて出かけた。風が弱くなると同時に雲が厚く空を覆っていた。そして外に出て見てビックリしたのは、微かな、実に細かい雨粒が落ちてきている。40分ほど歩いて眼鏡の片方のレンズに10個ほどの小さな水滴が付く程度だからほとんど降っていないに等しかったが、道路が少し濡れたようになっている個所もあった。

 途中で団地の下の昔の川沿いの道に植えられたオカメザクラの小さめの花が満開の様子。鮮やかな赤い色が印象的であった。メジロも喜んでいた。

   

 喉は相変わらずいがらっぼい。嗽をしたが、痛みが少しある。家電量販店や本屋をぶらついた後、喫茶店に入り読書を始めたら1ページも読まないうちにすっかり寝入ってしまった。暖かい室温につられて1時間半ほど気持ちよく寝てしまった。
 目が覚めたときは少々恥ずかしかったが、客もたくさんいたので目立ってはいなかったと思い、ホッとした。飲み疲れのようだ。

 帰宅して先ほど「中桐雅夫」の記事を書き上げた。夕食前には書き上げたかったかが、いかんせん中桐雅夫という詩人についての基本的な知識は持ち合わせていない。しっているのは引用に挙げた一連の詩だけである。
 そこでネットで検索しながらほんの少しだけ知識を仕入れて、引用させてもらった。引用元には先ほどお礼の報告を当該ブログのコメント欄に投稿させてもらった。

 夕食時にテレビを見ていたらNHKで「ひめゆりを訪ねて」という30分番組がはじまり、最後まで見てしまった。
 このような番組が、今の総理大臣と、あの新会長などの役員によって日の目を見なくなったり、今後制作されるようなことの無いように祈らざるを得ない。なんという時代になったのだろう。
 中桐雅夫という詩人をたまたま取り上げたのだが、日本という国家はあの戦争をきちんと総括していないことにあらためて思った。
 情けないものである。



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中桐雅夫「海」

2014年03月18日 20時04分22秒 | 読書
 中桐雅夫という詩人に次の詩がある。「荒地詩集1956」の冒頭におさめられている詩である。1977年に新装版が国文社から出版されて購入した。



 湯河原に久しぶりに行った日曜日にうろ覚えながら、ここら辺の海岸を読み込んだ詩があったのではないか、と考えていた。「荒地詩集」のある年の冒頭ということだけは覚えていた。それで1951年版から順繰りにめくっていってやっと見つけた。
 そしてうろ覚えだった詩の内容を思い出した。
 海の鮮烈な色と、死んだ友の無惨な死が印象的である。戦後の詩はこのような出発をした。いや戦後の日本全体がこのような出発をしたのである、と私は教わってきたし、自分なりにこれに近いイメージを抱いてきた。1956年と云えば私は5歳。周囲の街の景色も、身の回りの大人の話題も、この詩の第二連のようなイメージを含んでいた。

 長い詩であるが、わかりやすいのでそのままここに掲載したい。「二月二十九日の詩」という5編の詩の冒頭に置かれている。


 海

根府川と真鶴の間の海の
あのすばらしい色を見ると、いつも僕は
生きていたのをうれしく思う、
僕の眼があの通りの色なら
すべての本は投げ捨ててもいい。
沖の方はパイプの煙のような紫で、
だんだん薄い緑が加わりながら岸へ寄せてくる、
岸辺にはわずかに白い泡波がたち、
秋の空の秋の色とすっかり溶けあって、
全体がひとつの海の色をつくっている、
猫のからたのようなやわらかさの下に、
稲妻の鋭さを隠している海、
ああ、この色を僕の眼にできるなら、
生きてゆく楽しさを人にわかつこともできるだろう。

希望が過ぎ去るように早く、その色は消える。
生きていたころのMの眼が
ちようどこんな色だったが、それもいまでは
泥土にうがたれた穴でしかない。
死は何と早く人と人とを引き離すものだろう、
前に君のことを思い出したのはいつだったかも想い出せないが、
ミイトキイナというビルマの地名を覚えているのは、
十何年か前、そこで君が戦死したからだ。
君が死んで、戦闘が終わった時、連合軍はビラを撒いた。
「諸君はよく勇敢に戦った、われわれ連合軍は
諸君に敬意を表せざるを得ない。」
そうだ、東京にいたころも君は勇敢な男だったが、
イラワジ川につかったまま二ヶ月も戦い続け、
ふくれあがった皮膚はちょっと指で押しただけで、
穴があいて、どろどろに腐ったウミが出てくる
そんな戦いにどのような賛辞が許されるだろう。

イラワジ川の水の色がどんなたったか、
僕は知らない、知ろうとも思わぬ。だが、
蜜柑の皮をむきはじめると
蜜柑のうえに涙が落ちた、君の好きだった蜜柑、
いちどきに十以上も食べた蜜柑。
僕の心はこわれかけた目覚し時計のように鳴りだし、
湘南電車はそれよりももっと鋭い音を発して
僕の心をえぐった。
いま過ぎたのがどこの駅か、
僕は知らない、知ろうともせず蜜柑の皮をむいていた。


 「会社の人事」という詩集は1979年に出版となった。実は私はこれを買いそびれ、読みそびれてそのままになっていたことを思い出した。実はそのころには私は現代詩に目をとおすことを止めてしまっていたのだから。
 そこでネットで「中桐雅夫」を検索したら、「渓流斎日乗(渓流斎高田朋之介の公式ブログ)」というのに行き着いた。そこに「会社の人事」からのいくつかの引用があった(2011.10.06の記事)。ふたつだけ引用させてもらうことにした。

・何という嫌なことばだ、「生きざま」とは、 言い出した奴の息の根をとめてやりたい、 知らないのか、これは「ひどい死にざま」という風に、 悪い意味にしか使わないのだ、ざまあ見ろ!(嫌なことば)
・新年は、死んだ人をしのぶためにある、 心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、 おのれだけが生き残っているのはなぜかとうためだ、 でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる?(きのうはあすに)

 またウィキペディアに、「彼の死は、自殺ではなく自死だという人もあるが、/死はいくら言い換えても死だ、/言い換えに浮き身をやつすのは、/中味の薄さをごまかすためにすぎぬ。/ことばは時とともに変わる、しかし忘れるな、/変える必要がないものは変えないことが必要だ。」(ことばの言い換え)という言葉が引用されている。

 これから想像するに、この詩人は出発点から「死」のイメージを誠実に追いかけ、生涯こだわった詩人であるらしい。

 今あらためてこの詩人の詩を追いかけて見たくなった。



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春一番

2014年03月18日 12時41分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は春一番とのこと。横浜でも風がとても強い。予報では11メートルの風となっているが、私の感じでは20メートルは超えている。気象庁のホームページでは10時までの観測で横浜の瞬間最大風速は21.6メートルとのこと。気温も20℃を超えそうである。
 この強風の中、団地の修繕工事に伴う足場の解体工事が行われている。見ていると実に手際がいい。植え込みで下の方の作業についてはよく見えないのだが、7人ほどが一組となって、どんどんはずして下にいる人が部材ごとに積み上げていく。強い風の中、「本日は作業が行われるのかな」、と見ていたが強風を感じさせないで作業が進行している。見ていて飽きないし、心地良ささえ感じる。
 この足場の技術、随分と進歩したと聞く。そういわれて昔を思い出したが、私の勤めた40年ほど前にはこんな風にシステム化された足場は組まれていなかったと思う。いつごろからこのようなシステムが確立したのだろうか。仕事柄関係はしないことはなかったが、はっきりとした記憶がない。人間の記憶とは本当に情けないものである。

 昨日までの3日連続飲み会で、特に土・日の宴会で喉がかすれている。もともと喉の酷使には弱い方である。おしゃべりが基本的に苦手だが、気の合う仲間との宴会は楽しくてつい声も出てしまう。組合での発言も大声は出さずにできるだけ語り掛けるようにしゃべるようにしてきた。学生時代煙草を吸ったが、いつも喉がいがらっぽくなっていい気分ではなかった。結婚してすぐに煙草をやめて、喉の調子が途端によくなった。
 どちらかというと普段もボソボソとという程度に声を出したい。もう仕事も組合役員も降りたのだから、大勢を前にした演説も挨拶もすることはない。あったとしてもマイクがある屋内でしかも1~2分という短時間だから喉を傷めることなどない。
 講座を聴く、美術館を巡る、感想を書く、読書、山登り、ウォーキングという生活ででは、言葉を発するということはまずあり得ない。とても気に入っている。
 しかし認知症に関する報道を聞くと、発語というのは脳にいい刺激となるとのことをたびたび耳にする。歌うことと会話をすることを奨励される。しかしこれが私には苦手である。だらだらといつまでも取り留めもなく続く会話、歌を歌うこと、これはどうしても嫌である。そのような施設に入れられたら、意識があるうちは黙りこくって頑なに拒否すると思う。
 きっと扱いにくい偏屈オヤジとして嫌われるのが目に見えている。



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湯河原

2014年03月17日 22時43分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 四半世紀ぶりに訪れた湯河原、昔のような賑わいがあるようには見えなかった。訪れたのが日曜日の午後であり、本日月曜日の朝には湯河原駅を出発したのだから、人の少ない時間帯ではあったと思う。しかし暖かい日差しの割には駅前の人通りは想像したよりもさらに寂しかった。もともと奥の方が賑やかであろうと思われたが、今回そちらの方にはいかずに駅から徒歩10分の宿であった。

 しかし暖かい春の日射しはやはり湯河原の印象にピッタリであった。賑やかな箱根や熱海よりは、湯河原の静かな雰囲気がいいという人はいっぱいいた。この歳になるとその言葉がよくわかる。昔から新幹線も止まらないので、どちらかというとマイナーであったことは確かだ。
 そして駅前の土産物店の立たずまいは昔と変わらない。こゆるぎ弁当というお弁当は懐かしかった。お弁当は三種ほどになっているので、多分内容が多様化して豪華になっていると思われる。東華軒という名前も懐かしかった。



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三日連続

2014年03月17日 22時21分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 土曜日は有楽町駅のガード下で楽しく過ごした。ツマミの量は少なめであったが、8人で各自生ビール1杯のほかに焼酎のボトル3本で一人3000円で済ませた。
 昨日は湯河原の駅前の温泉旅館で深夜まで土曜日のメンバーにプラス30名ほどで行った宴会。一人1万円未満の宿泊費というのがうれしい。たっぷりと飲んで、じっくりと温泉に浸かった。しかし湯船に浸かって酔いを楽しんでいたら深夜12時30分でお風呂は終了ということで慌てて出てきた。せめてもう1時間浸かっていたかった。温めの湯温でとても気持ちがよかったのだが‥。
 そして本日は都内で別の友人と昼間から楽しいビール三昧。旅館で朝ごはんを食べてから、そのまま都内まで直行した。とてもおいしいビールとツマミであった。ゆったりとした時間を過ごすことができた。

 しかしさすがに3日連続は厳しい。3日目のビールがゆったりとした気分で、おおらかな時間であったのが救いであった。
 明日、明後日は休肝日にしないとまずい。



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本日は湯河原

2014年03月16日 23時25分43秒 | 山行・旅行・散策
 湯河原に泊まるというのは実に久しぶりである。四半世紀以上前に泊まったと思われる。ということは25年以上前、37歳以前ということだ。子供が小学校に入ったばかり位の歳に連れて行ったことがある。それ以来だ。 意外と近場の温泉地というのは行く機会が少ないのかもしれない。湯河原は自体はいい温泉地である。
 お土産は何があったのかと思いだそうとしたが、思い浮かばない。明日じっくりと駅の前を歩きながら思い出してみたい。



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中原中也「小景」

2014年03月16日 09時48分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 小景

河の水は濁つて
夕陽を映して
錆色をしてゐる。
荷足はしづしづとやつて来る。
竿さしてやつて来る。
その船頭の足の皮は、
乾いた舟板上を往つたり来たりする。

荷足はしづしづと下つたゆく。
竿して下つてゆく。
船頭は時偶一寸よそ見して、
竿さすことは忘れない。
船頭は竿さしてゆく。
船頭は、夕焼けの空さして下る。



 この詩、前2回と同じく未刊詩編3の「早春散歩」の2番目。私のメモで、「転結なし」とある。確かに未完成の作品である。
 今の時点での私の感想は、起承転結の内、「起」は未整理だがイメージとしては出来ているようだ。「承」は第二連の第二・三行に微かに顔を出している程度。これからである。「転」「結」部は影も形もない。
 しかしこの、船頭の足の皮が乾いた舟板を行き来する、というイメージはなかなか面白い。独特のイメージの把握をしていると感じた。
 そして表現されていない中原中也独特の響きのある語彙、独特の世界把握の言葉が不在である。未完の証左であるが、表現されていない「承」部分の景のイメージ、「転」の部分を想像するのはなかなか楽しい。
 未刊詩編というものの楽しみ方のひとつである。未刊=未完とはならないが、この詩については未完なのである。未完が魅力である。



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