Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

中原中也「早春の風」

2014年03月15日 23時55分10秒 | 読書
 春の消息

生きてゐるのは喜びなのか
生きてゐるのは悲しみなのか
どうやら僕には分らなんだが
僕は街なぞ歩いてゐました

店舗々々に朝陽はあたつて
淡い可愛いい物々の蔭影
僕はそれでも元気はなかつた
どうやら 足引摺つて歩いてゐました
生きてゐるのは喜びなのか
生きてゐるのは悲しみなのか

こんな思ひが浮かぶといふのも
たゞたゞ衰弱てゐるせいだろか?
それとももともとこれしきなのが
人生といふものなのだろうか?

尤も分つたところでどうさへ
それがどうにもなるものでもない
こんな気持ちになつたらなつたで
自然にしてゐるよりほかもない

さうと思へば涙がこぼれる
なんだか知らねえ涙がこぼれる
悪く思つて下さいますな
僕はこんなに怠け者


 これはまた趣きの違う詩であるが、先ほどの12編の詩の中の6番目の詩である。中原中也の詩の魅力はこんなに趣きの違う詩が、混然となっていることにもあるのだろう。私のチェックは△が記されている。単なる✓ではない。○でもない。ちょっと戸惑った印象がこの△の印にあらわされているのかもしれない。そんな戸惑いが感じられる詩である。
 意外とこんな戸惑いが20数年前の私には似つかわしかったのかもしれない。



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中原中也「早春散歩」

2014年03月15日 09時50分15秒 | 読書
 早春散歩

空は晴れてても、建物には蔭があるよ、
春、早春は心なびかせ、
それがまるで薄絹でてもあるやうに、
ハンケチででもあるやうに
我等の心を引千切り
きれぎれにして風に散らせる

私は、まるで過去がかかつたかのやうに
少なくとも通つてゐる人達の手前さうであるかの如くに感じ、
風の中を吹き過ぎる
異國人のやうな眼眸をして、
確固たるものの如く、
また隙間風にも消え去るものの如く

さうしてこの淋しい心を抱いて、
今年もまた春を迎へるものであることを
ゆるやかにも、茲に春は立返つたのであることを
土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
僕は思ふ、思ふことにも慣れきつて僕は思ふ‥‥


 今朝の明るい空と日差しのもと、ベランダに出てセキセイインコの世話をしていたらふと、中原中也のことを思い出した。この詩が心に残っていたわけではなく、何となく、中原中也の詩が気になった。春早い時期の詩がいくつかいいものがあったことだけを思い出した。
 これは目についた未完詩編3に所収されている「早春散歩」という12編の詩の冒頭の詩である。
 読んだのは1991年の6月から7月にかけて。40歳の頃である。労働組合の分裂・再編の先頭に立っているときで、仕事にも、組合役員としても一番忙しく、毎日徹夜に近い日々が続いた頃に読んでいる。たぶんこのような作品を読まなければ身が持たなかったのではないか。朝3時ころ布団に入って、15分ほどの短い時間にむさぼるように目を通してから眠っていたのだと思う。
 この講談社文芸文庫の3冊、すべてに鉛筆のチェックが入っている。この詩にはコメントは書いていないが丸が書いてある。何が印象に残ったのかは覚えていない。
 今この歳で、思い出すというのは、どんな心の欲求なのだろうか。


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寒かった横浜の一日

2014年03月14日 23時03分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今朝は少々慌てた。いつものとおり8時に起きたのでは10時からの講座に間に合わないので、少し早目に起きた。8時45分には家を出ないといけないのだが、深夜の地震のことを考えていたら、朝食が終わったのがいつの間にか8時半になっていた。しかも東横線が菊名駅の信号トラブルで「運転見合わせ」というテレビ画面が目に入ってきた。その上、その余波で横浜市営地下鉄が混雑のため遅延とのメールも届いた。
 遅くなっても電車に頼るわけにはいかないという、切羽詰まった状況になってしまった。

 大慌てでセキセイインコの世話をし、髭剃りもそこそこに着替えをして玄関を出たのが9時を少し過ぎていた。
横浜駅まで小走りで25分。東横線はまだ正常ではないとのことなので、京浜東北線で桜木町行に飛び乗った。かろうじて教室について汗を拭い、一息ついたのがちょうど10時ということで何とかなった。

 天気予報では15℃の予報であったが、分厚い雲が一日中頭の上に重苦しくのしかかり、気温も10℃くらいではなかったろうか。薄い化繊のサマーセーターと薄いウィンドブレーカーで出かけたため、とても寒い思いをした。しかもほんのかすかだが冷たい雨も降ってきた。
 講座終了後は暖かい喫茶店で温まるついでに2時間ほど、昼食と読書タイム。有隣堂とレコード店で情報収集。そして予約したいつもの内科を受診して薬をもらって帰宅。購入は断念した。
 土曜日は退職者会の行動に参加予定であり、日曜・月曜は退職者会の泊り込みの会議、都合三日間家で夕食を取れないので、本日は18時には家に帰宅しなくてはならない日となってしまった。
 帰宅途中で、無くなった焼酎とツマミを購入してあわてて帰宅した。

 おとといから読み始めたのは「歴史のなかの大地動乱-奈良・平安の地震と天皇」(保立道久、岩波新書)。



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深夜2時の地震

2014年03月14日 19時23分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 「広島県北部で震度5弱。02時07分頃地震がありました。震源地は伊予灘(北緯33.7度、東経131.9度)で、震源の深さは約80km、マグニチュードは6.1と推定」という第一報がメールに入ったのが、2時9分。続いて第二報が2時13分、「愛媛県南予最大震度5強。以下同じ」というものであった。
 通りがかり人様へのコメントを書いてから、布団の中で横になって寝付いたばかりであったようだ。枕もとに置いてあった携帯の振動音で目が覚めた。

 寝ぼけたまま、二通のメールを見たが頭が動き出せない。だいたいが、広島県北部というのと、愛媛県南予というのが寝ぼけた頭の中で結びつかない。伊予灘というのは共通しているから同じ地震とは感じたが、頭の中で地理的に近いというのが了解できない。瀬戸内海の地下で深さが80キロと深いから津波はたぶんないだろうな、とボーっと考えていた。
 しかし不意に伊方原発というのが頭に入ってきて、慌ててテレビをつけてみた。
 津波はないようだというのは、そのまま当たっていたし、原発についてもとりあえず異常はない模様とのアナウンスがあり、再び就寝。

 地震というのは不思議なものだとも思った。体で感じるものはかなり早く反応できる。しかし体で感じないものは、なかなか頭が動き出さないもののようだ。

 朝になって目が覚めてから、瀬戸内海・中央構造線に近い付近というのが、不思議な感じがした。まず瀬戸内海での地震というのが、あまり聞かないということと、そういえば中央構造線上の巨大地震は想定されていなかったのではなかったか?ということ、この二点がピンとこなかった。私の勉強不足である可能性の方が大きいのだが‥。

 今この時間でもちょっと不思議な思いは継続している。気象庁のホームページを見てみたが、この地震の想定されるメカニズムについては記載がないみたいだ。(探し方が足りないかもしれないが‥)。
今回の地震については何か消化不良のような感じが付きまとっている。どなたかメカニズムについて、特に中央構造線付近の地震について教えてもらえるとうれしい。



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本日のお酒は「黒錫」

2014年03月14日 17時19分22秒 | 料理関連&お酒
      

 本日購入したお酒は、鹿児島の芋焼酎「黒錫」(鹿児島県日置市の原口酒造株式会社製)。
 
 ホームページでは、「当蔵元は薩摩半島西部に位置する吹上浜の中心部にあります。自社の農園で土づくりから作った新鮮なさつまいもを中心に使い、良質の地下水をさらに磨いて醸造した、まごころこもった芋焼酎を醸しています」と記されている。また商品名のこの黒錫について「年1回販売。黒麹仕込みで昔ながらの錫蛇管で蒸留してある焼酎。錫蛇管で蒸留することで喉ごしはスッキリでまろやかさのある旨味が味わえます。コクとしっかりとした余韻が楽しめるので、お湯割り、もしくはロックがオススメです」とのことである。

 私は瓶のラベルの裏の口上の最後「まずは一献」が気に入った。そして「土づくりから」という口上も面白い。

 ツマミとして紅茶鴨スモークなるものの160グラムを298円、アオサを98円で購入してきた。
 鴨肉は1/4程を厚切りにし、アオサをまぶしてツマミにしてみた。アオサという思い付きがなかなか良かった。海苔を細かくしたものよりもくどくなくて、肉に合う。この焼酎にも合うように感じる。

 本日は(も)気持ちよく酔えそうである。




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風も雨も収束

2014年03月13日 23時06分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほどまで風が唸っていたが、その音もおさまってきた。13夜の月が天頂付近にあって大きな傘をかぶって柔らかい光を放ち始めている。横浜ではこれから荒れた天気が収束するのであろう。注意報が早く解除となってほしい。
 南側のベランダに随分雨が吹き込んだ。新しい防水塗装はよく水を弾いて、吹き込んだ雨が大きな粒となって月の明かりを反射している。
 先日咲いたばかりのユキヤナギが明日晴れれば一層開花すると思われる。それもまた楽しみである。

 明日は朝10時からの講座である。最近はどうしても8時を過ぎないとベッドから抜け出さない。この10時からの講座に出席するためにかなりあわただしい。しかしこれが無くなると起床がますます遅くなる。
 朝せめてあと1時間は早く起きるようにしたいのだが、これが難しい。




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大雨・洪水・強風・雷注意報

2014年03月13日 18時23分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 13時からのみんとみらいでの講座に出かけた。天候が心配であったが、昼前までは風は強いものの、雨はたいしたことはなく、雨を気にしないでも歩ける程度であった。
 講座終了後関内まで歩いて用事を済ませて一服。しかし帰り際はやはり予想通り雨と風が強まっていた。幸い電車の遅延はなく、家までたどり着いたが、最後のところで傘が風にあおられて骨が1本折れてしまった。315円のビニール傘であったが、かなり長い間利用していたので、それなりの愛着があった。風が強いのですぼめてできるだけ風に煽られないようにしていたが、風が舞っていたこともあり、反転してしまった。やはり衝撃には弱いつくりだった。骨が折れてビニールに三か所も穴が開いた。これはさすたびにビニールに穴があいてしまう。残念ながら廃棄せざるを得ない。

 最近は老若男女を問わず、高級そうな傘をさしている人でも風の強いときに傘をすぼめている人をほとんど見なくなった。そのような使い方を知らないのではないか、と思ってしまう。テレビで見ていても、実際に観察していても、風に振り回されてとても危険である。
 周囲に対する危険を回避する配慮がもともと考慮の外、という感じがする。スマホ歩きも「本人にとって危険」というキャンペーンはあるように聞くが、もともと往来は対面者が目を合わせてお互いに譲り合うのが原則であるから、スマホ歩きは「行儀が悪い」「マナー違反」というキャンペーンが行われてしかるべきなのだが‥。「危険」という指摘では、「俺は注意している」という意識で終わってしまうのではないだろうか。
 キャンペーンをする方も本質からズレているような気がする。

 これが「道徳教育」で解消するというのもとても理解できない。学校教育の課題であるとはとても考えられない。公教育・義務教育が全人格を規定する社会など御免こうむりたい。



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追悼!大西巨人

2014年03月13日 11時20分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 大西巨人が亡くなった。97歳とのこと。

 私は就職してからしばらくして「神聖喜劇」を文春文庫で読んだ。それ以前から小説の存在は知っていたが、文庫になったと聞いて読んだ。当初とても読みにくい文章で、粘っこい、過剰な説明がくどい文章に大いに戸惑った。しかし不思議なことにこの文体は慣れてしまうと意外と苦にならなくなる。今思うと懐かしい文体である。そして熟語の細かな薀蓄など、小説の本筋とは関係ないような説明も、こだわらずにはいられない作家の論理癖が懐かしい。題名を忘れたが文芸雑誌に載った作品では、新幹線で主人公が缶ビールを飲む場面では、私の記憶では「標準缶(三五〇ミリリットル)」などと記述されていて、いかにも大西巨人らしい、と感じたものである。
 この「神聖喜劇」で今でも記憶に残っているのは、主人公東堂太郎が中隊本部で上層部と対峙する場面、特に建物の窓から広い敷地の遠くを過る上官に部屋の中から敬礼をして対峙していた下士官を煙に巻くシーン、そして行軍中に店先で見かけた「中央公論」を購入してしまうシーン、最後の方の場面であるが、砲撃訓練で照準の中央に艦影を模した的が来たときに射撃するのではなく、的の少し先を狙って射撃することで命中させ、大前田軍曹を煙に巻くシーン、この三つのシーンが記憶に残っている。
 先ほど文春文庫を探したが、見つからないので記憶違いがあると思うが、それは許してもらうしかない。
 どのみちこの東堂二等兵のとんでもない記憶力に「スーパーマン小説」と心の中で半分揶揄しながら読み進めた。しかし「無責任の体系」としての軍隊、天皇制などをとらえ方にとても親近感を覚えた。

 野間宏「真空地帯」への評価を巡って行われた論争など、読んでみたいと思いつつそのままになってしまった。いくつか作品を読んでみたいと思い光文社文庫版の「深淵」上下を昔購入したが、本箱にツンドク状態で放置してあった。「天路の奈落」も読んでみたいと思ってそのままになっている。ネットではPDFファイル化されている。他にも「縮図・インコ道理教」も同様である。

 大西巨人「神聖喜劇」、野間宏「真空地帯」、埴谷雄高「死霊」ともに大学時代からの宿題として20代後半から30代にかけて読みふけった。戦後の小説を読む発端は大岡昇平の「俘虜記」だったが、取りあえずこの四作品を読んだことで一つの達成感があった。
 キナ臭い昨今、是非これらの先人たちの作品が大いに再評価され、読まれることを期待したいものである。そういえば私が「俘虜記」を読んだのは高校の国語の教科書だったと思う。今は教科書に採用されているのだろうか?



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「東北を聴く-民謡の原点を訪ねて」

2014年03月12日 21時18分12秒 | 読書


 「東北を聴く-民謡の原点を訪ねて」(佐々木幹郎、岩波新書)を読んだ。佐々木幹郎という詩人は名前はよく知っている。1947年生れ、同志社大学中退、いわゆる全共闘世代の詩人として有名である。しかし私は詩人としての佐々木氏の良い読者ではない。詩をいくつか読んだことはあるが、まったく記憶にないほどである。しかし今回、題名と震災ということに惹かれ購入した。一読してそのわかりやすい文体に惹かれ、一気に読み通した。
 この著作は、詩人佐々木幹郎が津軽三味線の二代目高橋竹山と東北大震災の被災地を巡った時の話から始まる。被災地では二代目竹山の演奏と民謡、佐々木幹郎の詩の朗読をセットにしてまわったとのことである。
 しかしこの書物の前半は、実のところ初代高橋竹山の足跡を二代目竹山と佐々木幹郎がたどる旅として記述されている。初代高橋竹山の魅力がたっぷりと記してある。
 高橋竹山は青森県の夏泊半島に1910年に生まれ、当時は民謡の伴奏でしかなかった津軽三味線を独奏楽器として自立させた第一人者である。門付け芸として東北各地に足跡を残しながら、津軽三味線の魅力を全国規模に拡大した人である。
 私も一度テレビでその演奏を聴いたことがある。ただし、民謡も三味線にもあまり興味を抱かないまま、今まで過ごしてきた。二代目高橋竹山という女性の津軽三味線奏者についても初代を継いだ優れた奏者ということは聞いていたが、それ以上の知識はまったくなかった。

 ライブの終了後、集まった人々から震災当時の模様を聞き、それを記録して今うたわれている民謡の歌詞と絡めながら、東北という土地に根付いた人々の生きざまを浮き彫りしていく。とても優れた書物だと感じた。そして初代高橋竹山の魅力を語る語り口もまた生き生きと感じられる。
 今は優れた演奏に対して欧米流に「ブラボー」だが、民謡が披露される場では、感激すると「寿命が延びた」というセリフが発せられるというあたり、民謡が人々の間に生きている芸能であるという実感が伝わってきた。二代目竹山の演奏が終わると幾度となくその言葉を佐々木は聞いたと記している。たぶんそれが色濃く残っているのが東北という土地なのだろうと感じた。二代目竹山の力量と魅力なのだろう。
 津軽三味線というと私などは激しい撥裁きと誤解していたが、初代高橋竹山は「糸切れんばかりに叩くものもいるが、そればかりではしょうがない」と否定的であったようだ。絹糸を大切に切らずに演奏を続けた人とのことである。津軽三味線の演奏に対しての誤解を解く必要があるようだ。
 この本は中盤には、初代高橋竹山が岩手県野田村で1933(S.8)年の3月3日の三陸沖大地震で津波に遭遇し命からがら避難したエピソードを交えながら、当時と現在の津波が二重写しに展開していく。初代竹山が伝説化していく過程が津波の過去と現在とを繋いで解き明かされる。
 後半は初代高橋竹山から少しはなれて、牛方節(南部牛追唄)、新相馬節、会津磐梯山、蔡太郎節の歌詞の意味を解いていく展開となり、最後にまた初代高橋竹山の生まれ故郷にもどり、終わる。
 大震災の被災地を巡り、そこの人々と交流しながら徹底して著者の問題意識、東北の民謡と初代高橋竹山に引き寄せて語る語り口であるが、私には被災者として登場する人々が実に生き生きと描写されていると感じた。
 特に野田村から北上山地を超えていく塩の道と馬・牛を惹きながら歌われた労働課としての民謡の解明、風評被害にあえぎながら相馬市での民謡を介した交流は白眉である。
 最後に、初代高橋竹山を世に出した佐藤貞樹に言及している。その高橋竹山を語った著作に引用されている、ドイツのロマン派詩人ノブァーリスの詩がなかなかいい。

 すべての見えるものは見えないものに、
 聞こえるものは聞こえないものに、
 感じられるものは感じられないものに
 付着している。おそらく、
 考えられるものは考えられないものに
 付着しているだろう。

 ローカルなもの、土着のものが、そこからはなれて世界性を獲得するときの秘密がここにあるという予感がしてきた。

 久しぶりに心に残るものを読んだ気がした。



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朝の地震

2014年03月12日 11時54分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明け方5時過ぎに地震があった。横浜市中区と神奈川区、そして千葉市中央区が震度3の表示が出た。深さは90キロと深い。
 寝ていたのではっきりはしないが、細かな上下運動が5秒位であったろうか。そんなには長くなかった。この上下動だけを感じてすぐに収まった。近場の地震とすぐに直感して慌ててテレビをつけ、枕もとの携帯を覗いた。
 神奈川県東部で震度3とのみの表示のあとメールが来たのは「千葉県北西部、マグニチュード4.4、震度3は千葉市中央区、横浜市神奈川区ほか多数」とのことであったの「多数」が気にかかった。結局付け加わったのは「横浜市中区」のみであった。
 ホッとしてまた寝てしまった。

 しかしかなり近い地震の振動であった。ゆっくりした横揺れよりも怖い。体を動かすゆとり、体を守る姿勢がとっさには取れないものである。




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黙祷

2014年03月11日 23時43分08秒 | 読書
 本日は朝10時半から15時過ぎまで、組合の退職者会の郵送作業を行った。20人近くで1100通余りのニュースなど5種の印刷物を折りたたんで封入すとという業務がほぼ終了したのが14時半。後片づけをしている最中に14時45分になり、ごく自然にみんなで黙祷を始めた。
 若干時間をそれぞれに過ごした後、18時からは組合の主催する「退職予定者感謝の集い」に参加した。われわれが主役ではなく、今年度に60歳になり定年退職する組合員に対して感謝する集まりに同席して、退職者会の宣伝をするのが目的。ここでも最初に震災の犠牲者に黙とうをささげることがまず行われた。
 今年度60歳になった方が生れた1953年はテレビ放送が開始された年でもある。また10円硬貨が流通を始めた年でもある。そして日本航空が海外便を運航し始めた年でもあるとのこと。それぞれが60歳の思いを大切にする集まりになることを祈りたい。

 本日があの震災で被害を受けた方々にとって新たな出発になることを切に願いたい。

 そんなことを思いつつ取りあえず本日は終了。



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震災から3年

2014年03月11日 09時43分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 震災から3年がたった。私は横浜で大きな地震を感じ、帰宅困難者になっただけの経験しかしていない。さらに大きな揺れで恐怖を体験したり、家が倒壊等の被害を受けたり、津波に襲われたり、避難生活を送らざるをえなかったり、原発事故で避難を余儀なくされたりという体験はしなかった。
 3年という区切りの日であるが、私はとりあえずは3年前のあの日、自分が何をしていたか、何に直面したか、をまず思い出してみることが大事なことだと思っている。
 その次にあの大きな被害の状況を知ったうえで自分が何をしたか、何をしようとしたか、何が出来なかったか、何が必要なことだと感じたか、を思い出すことが必要ではないだろうか。
 その上で、現状の自分なりの把握と、自分は何が出来なかったか、今何ができるか、何をしなくてはならないか、を考えることが必要だと思っている。

 巨大な事態、自分で想像もできないような、体験したことの無い事態に対処するには努めて自分を客観視ししながら、これでもかというくらいに冷静にその事態を見つめる必要がある。
 一刻、一秒を争う災害という事態は現場にいる人間とそのごく周囲で関わる人間の最大限の献身が必要かもしれないが、さらに福島原発の現場ではまだ対策は続けられなければならないが、それでも三年という時間は過ぎた。

 ひとりの人間にとってできることは限られている。避けなければならないのは、評論だけをすること、主観を先行させて当事者である被災者に対することであると信じている。そんなことをするくらいならば、見守りだけ、ごくわずかでも物品購入だけの方が大きな支援になる。
 これは災害からの復旧だけではなく、生きていく上での知恵かもしれない。様々な生きざまを受け入れながら、好き嫌いは別として多様な価値観を容認しながら、自分のこだわりをとおすことを考えれば、おのずと自分の関わり、関与の仕方が見えてくると思う。
 ここでは、私の関わり方の具体的な話にはならないが、あくまでも自分なりの関わり方を続けていくしかない。その関わり方は時間とともに、相手と自分が歳を積み重ねるのに従い、また復興の状況につれ、社会の変化に従い少しずつ変化していく。




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「流氷の古代人~北海道のオホーツク文化」

2014年03月10日 20時49分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 本日の講座は「流氷の古代人~北海道のオホーツク文化」という題で、講師は横浜市歴史博物館の学芸員高橋健氏。
 この講座は、古代史セミナー運営委員会という団体が主催する連続講座で、9月の全6回の連蔵口座に続くもの。結構目配りの利いた選択をしてくれているようで、ありがたい。今回はこの講座の他に今月の21日にも「木簡からみた日本の古代社会」(講師:市大樹大阪大学准教授)の講演もある。

 資料が大分不鮮明であったのは残念であるが、講座の内容は十分満足した。二時間という限られた時間ではオホーツク文化の全容はわからないが、私にはとても興味があるので、今後の
勉強のきっかけになると感じている。
 今後いくつかの本も読んでみたい。

 私はどうも「辺境」といわれる場所に惹かれるようだ。昔高校生のころ、世界史を選択したが、今の世界観からは「辺境」となるインド史、北欧史、メソアメリカ史、アフリカ考古学史、東南アジア史の少ない教科書のページや参考書を読み漁った記憶がある。今でもその気持ちに変わりはない。「辺境」といわれる地域にこそ、豊富な知恵が今でも生きているのではないだろうか。
 二回で2000円、各二時間というのはとても安価でうれしい。



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ユキヤナギとサクラ

2014年03月10日 09時11分36秒 | 俳句・短歌・詩等関連
   

 昨日買い物から帰った時に、団地の中に植わっているユキヤナギに花がついているのに気付いた。団地の外の中学校の周囲にあるユキヤナギにも花がついていた。ユキヤナギは雪柳と書くが、小米花ともいう。
 私はユキヤナギの花が好きである。サクラに先立って白い花をたわわにつけて風に揺れる様が気に入っている。花は実に小さい。そして中心部がほんの少しだけ黄色になっているのがいい。
 ユキヤナギが満開になって春の明るい風に揺れる様もいいが、花がまばらな咲きはじめの頃もまた春の明るさを予見するようで好ましい。冷たい風の中でひとつふたつが柔らかな枝にしがみついて咲いているのは風情がある。サクラに先立って春の到来を清楚に教えてくれる。

 時期的にも、そしていつも見る団地のサクラのすぐそばにあるので、私の頭の中ではユキヤナギとサクラはいつの間にか対になってしまった。他の地域のサクラを見るときもつい、ユキヤナギの花の名残や新しい葉の美しい柔らかい枝が無いか探すのが癖になってしまった。同時に咲いているのを見た記憶はないが、この時間的な差が面白くもある。

雪やなぎ苑をしろくし人死せり  山口誓子
雪柳ふぶくごとくに今や咳く  石田波郷
朝より夕べが白し雪柳  五十嵐播水
雪柳風を溜めつつ風を生む  庄司猛
雪やなぎ母に孤独の刻多し  田中灯京
我孫子駅過ぎ人の荷の雪柳  和知喜八

 どれも残念ながら満開の時のユキヤナギの様のようだ。私に力量があれば咲きはじめのユキヤナギを詠んでみたい。

 さて今年のサクラの開花はいつになるのだろうか。天気予報でも例年と違って話題にもまだなっていない。ネットで検索してみたら、気象協会の予想が出ていた。
 いわく「関東や甲信地方では、晩秋は平年並みの冷え込みとなり、その後2月の低温が影響してつぼみの生長は遅れていると考えられます。3月も低温が続くため、桜の開花日は平年より遅い所が多いでしょう。4月から5月の気温は平年並みですが一時的な寒の戻りが予想されます。東北や北海道の桜の開花日は概ね平年並みですが平年より遅い所もある」とのことであった。
 横浜近辺のサクラの開花は、4月に入ってからのようである。

 花の表記、ユキヤナギ・サクラともにカタカナに統一してみた。普段から花の名はカタカナの方がいいように思うときが多い。気分にもよるが。
 不思議だがユキヤナギはカタカナでも特に違和感はない。俳句ではカタカナは避けているようだ‥。サクラについては桜という字の形も捨てがたい。私は花に着目しているときは文章ではサクラ、樹木全体をイメージしている文章では桜と書きたい。何となくそんな分け方が自分にはあっている。しかしこれも気分次第だ。



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真鯛

2014年03月09日 22時04分18秒 | 料理関連&お酒
 本日は昨日アップした「星自慢」というお酒に合うように白身魚の蒸したものなどを妻に所望してみた。二人で魚屋を巡っていたら、真鯛が二尾で500円と云う値で販売していた。それなりの大きさがあり、迷わず購入した。
 その鯛に塩を振ってしばらく置き、生姜の薄切りと酒を振りかけてから、電子レンジの出力を弱めに設定して蒸し焼きにしてみた。ふった塩が少し薄めだったかもしれないが、それなりに塩味がして美味しく蒸しあがった。生姜の細かいみじん切りと醤油を少しだけかけて食べたが、とてもおいしかった。お酒の旨みも倍増したような気がした。
 味がシンプルなメインディッシュだったので、分葱と蛸でヌタを作って味のアクセントにしたのも良かった。調理はすっかり妻に任せてしまって、私は手を出さなかったが、とてもおいしい夕食となった。
 母親と妻と私三人の夕食では真鯛二尾は多過ぎということで、余った半身は別途保存して明日以降に食べることにした。
温奴もリクエストしていたが、用意する都合上温奴は省略した。それがあるとおかずの量が多すぎていた。したがこれも明日あたりに食することにしよう。

 本日買い物で横浜駅まで往復し、スーパーへ。往復12000歩。帰宅後久しぶりに全力歩行で10000歩、かなり汗をかいた。だらだらの汗が出る程度の早歩きは確かに気持ちがいい。この冬は足場を組んていたので、洗濯物がなかなか外に干せずにいたので、ウォーキング・ジョギングで洗濯物が出ると妻はとても嫌がっていた。少しずつ暖かくなることでもあり、足場も解体されたので明日からは部屋干しにならない日には汗をいっぱい書くようにしたい。
 妻の言い分もわかる。洗濯機を回すだけならばボタンひとつで済むので、私の指一本だけの動作だが、干す立場・取り込む立場になると確かに面倒である。



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