Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ようやく一段落

2017年10月27日 01時41分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 23時過ぎにようやく友人の亡くなったことの連絡を終えた。亡くなったことは電話、葬儀の日取りや場所は間違いの無いようにファックスで。皆あまりのことにことばを失う。

 連絡の取れない友人もおり、明日朝一番で速達を投函しなくてはいけない。花輪の手配などまだ若干のことも残っている。葬儀は29日と30日。
 私がつくっている退職者会のニュースの原稿も30日までに印刷所に送信しなくてはいけない。ということで明日中にニュースは仕上げてしまわないといけなくなった。

 重なるときはいろいろなことが重なる。悲鳴をあげているわけにはいかない。

大学時代の友人の死

2017年10月26日 22時06分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 大学時代の同窓生が亡くなった旨、ご家族から連絡をつい先ほどもらった。ガンを患っていたという。体調は決して良くはなかったようだが、ガンとは想像できなかった。そしてこんなに早く亡くなるとは思いもしなかった。一緒に入学し、一緒にデモに出て、ノートの貸し借りをし、下宿で幾晩も語り合い、そして一緒にバリケードの中で過ごし、ともに留年させられた忘れられない仲間である。
 私の結婚式にも参加してくれた。4年前に行った留年仲間の「同窓会」にも積極的に参加してくれた。

 高木純(たかぎあつし)さん、享年67歳、早すぎる死である。立川高校を卒業後、一浪して東北大学理学部化学科に入学。1970年、学生運動激動期の東北大学であった。クラス討論では人の意見をじっくりと聞き、クラスをまとめるのに大きな力を発揮していた。そして1972年学費闘争-バリケード闘争ー封鎖解除反対-試験ボイコット闘争の最前線にいつもいた。
 私などと同様、党派とは一線を画し、ノンセクトの独りとして振る舞っていた。
 留年-学部進学後、私達が立候補した自治会選挙では選対責任者を引受けてくれた。卒業後は薬品会社に就職、早期に退職、ご自身で事業を起こしていた。仕事が休みの日は、部屋の中で飛ばすヘリコプターなどで楽しんでいる、と言っていた。
 人に対して決して強く当たるようなことはされず、そして仲間を大切にし、人を裏切るようなことはない温厚篤実な方であった。

 4年前の「同窓会」後、これで亡くなった方は2人。とても悲しい。同窓会に出席した仲間に連絡をしつつ、声が詰まった。



晴れた夜のウォーキング

2017年10月26日 11時43分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨夜のウォーキング、西の空の夏の大三角は白鳥座のデネブしか見ることが出来なかった。ほとんど沈んでしまっていた。一方北の空のカシオペア座も北斗七星も街の明かりのためか、雲はなかったのに見ることは出来なかった。
 東の空は横浜の中心部や港の明かりが強いのだが、それなりに星はよく見えた。
 空を見上げながら歩くのはとても危険なので、見晴らしのいいところで時々道の脇に立ちどまって見上げていたけれど、人が時々とおる。不審な眼で見られたと思う。住宅街の23時半過ぎでも、ОL、かなり酔っぱらった中年のサラリーマン、さまざまである。神奈川大学のキャンパスが近いこともあり学生がかなりのスピードで走っている。
 そして制服を着た高校生のカップルが幾組もすれ違う。なんだかなぁ、と年寄りは溜息をつきたくなる。

 本日は午後から退職者会の会議が飛び込んできた。来週のバーベキューの催しが台風の影響で中止を含めて検討しなくてはいけなくなった。中止になると、機関紙の記事に穴が開いてしまう。悩みどころである。

冬の空の星座

2017年10月25日 22時50分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 雨はあがったようだ。空には星も見えている。ベランダから東の空に牡牛座のアルデバランとVの字、御者座のカペラがかろうじて見えた。もうすぐオリオン座と双子座がのぼって来るのであろう。楽しみである。
 「冬の大三角」(大犬座シリウス、子犬座プロキオン、オリオン座ベテルギウス)、あるいはこの冬の大三角を内包する「冬のダイヤモンド」(大犬座シリウス、子犬座プロキオン、双子座ポルックス、御者座カペラ、牡牛座アルデバラン、オリオン座リゲル)が美しく輝く季節になってきた。
 これに双子座のカストルを含めた8つの星、それにオリオン座の星々を加えると、それだけで星空を眺めるのが楽しくなる。
 北の空にはカシオペア座があがっているはずだ。北斗七星が見えるかもしれない。

 多分西の空ではもう夏の大三角(白鳥座のデネブ、こと座のベガ、わし座のアルタイル)がもう沈みかけているはずだ。ただしウォーキングに行く尾根道からは見えにくい方向である。


 夜の散歩の楽しみが増えた。これから30分ほど歩いてみようかと思っている。

今更ながらWiFiの勉強

2017年10月25日 20時39分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 15時過ぎに雨が上がったので、いつものコースで横浜駅まで歩いた。空は一面分厚い雲で覆われていた。
 書店でWiFiの説明書を880円で購入して、喫茶店で一応読んでみた。退職者会のパソコン、WiFi接続で利用しようかと思い、まずはWiFiの基本的なところから調べることにした。一応理解はできたと思うが、実際につなげてみないとわからない。利用料のこともあり、まだまだ先のことになりそうである。

 横浜駅では雨が降っていなかったので、帰りも歩き始めた。しかし5分ほど歩いたところで雨が降り始め、家に突くころにはすっかり本降り。傘は持って行ったものの、かなり濡れてしまった。そして冷たい雨に体が冷えてしまい、ストーブに点火。大分温まった。


「詩集 死の淵より」(高見順)から 続き

2017年10月25日 11時13分57秒 | 読書
  突堤の流血
突堤の
しぶきの白くあがる尖端の
灰色のコンクリートにこびりついた
アミーバ状の血

寄せてはくだける波も
それがいくら努力しても
そこを洗うことはできない
そこに流された血は
そこでなまぐさく乾かされる
波にかこまれながら
ゆっくりと乾かされねばならぬ


  渇水期

水のない河床へ降りて行こう
水で洗ってもよごれの落ちない
この悲しみを捨てに行こう
水が涸れて乾ききった石の間に
何か赤いものが見える
花ではない もっと激烈なものだが
すごく澄んで清らなな色だ
手あかのついた悲しみを
あすこに捨ててこよう



 多分「血」「赤いもの」に象徴されるのは、戦前の政治体験、そして最終的には投獄・拷問体験なのであろう。その浄化には長い時間がかかる。個人のなかでも、そして時代そのものがそれらを浄化するにはさらに個人のなかでの浄化よりも時間がかかる。残念ながら戦後の日本はそれらを浄化・昇華する前にふたたび「国家」の論理が社会を覆ってきた。戦前と同じ「論理ならざる論理」で復活させようとするアナクロニズムに対抗できていない。こんなことが世界に先駆けている。
 いつの時代にも、「力」あるものの露払いをしたがる人間や提灯持ちが横行し始める。倫理が後退していく。戦前がそのまま甦るのではなく、「力」あるものの露払いをしたがる人間や提灯持ちという人間の普遍的な負の側面を体現する者が躍り出てくる。彼等の出現の仕方、振る舞い方がいつもの時代のようにアナクロなのである。
 「戦後民主主義」という「水」をかき分けると「戦前」のロジックが見え隠れする。それは時間というトンネルを通って「澄んで清らか」に見えるのだろうか。戦後70数年、確かに今はひどい「渇水期」なのだと思う。渇水期こそ、見ようとしないといけない。「手あかのついて悲しみ」をそこに捨てないと増水期には水は濁ってしまう。何が手あかなのか、このことすら判らなくなってしまう。

読書三昧だったが‥

2017年10月24日 23時26分04秒 | 読書
 本日は読書三昧だったが、あまり読み進められなかった。
 午前中は、高見順の「詩集 死の縁より」の再読、「敗戦日記」を若干。そして午後は中野京子の「怖い絵 死と乙女篇」を喫茶店で。さらに帰宅後は佐々木幹朗「中原中也-沈黙の音楽」を読み始めたが、ビールが効いて7ページほどで寝てしまった。
 久しぶりに夜のウォーキングを5千歩ほど。

 明日から退職者会ニュースの原稿作りに着手予定。

「詩集 死の淵より」(高見順)から

2017年10月24日 19時04分44秒 | 読書
  この埋立地

この埋立地はいつまでも土が固まらない
いつまでもじくじくしていて
草も生えない
生き埋めにされた海の執念を
そこにみるおもいがする
たとえ泥んこのきたなさ醜さでも
しつこい執念は見事だ
雨上がりの一段とひとに泥濘の
今朝の埋立地に足跡がついている
危険な埋立地を歩いたやつがいる
その勇ましさも見事だ
なんの執念だろうか
がぼっと穴になって残っている足跡は
まっすぐ海に向かっている
それはそのまま海のなかに消えている



 この詩で「埋立地」は昨日引用した「心の部屋」の「おれの心のなかにある」「とざされたままの部屋」であると思える。
 「いつまでも土が固まらない」のは青春のときの思い、執念そのものであろう。そこは「草も生えない」「泥濘の」不毛の地である。若い頃の思いがこのように不毛の地になってしまうというせっは詰まった体験、それは高見順の左翼体験とその敗北、そしてそれにともなう不幸な恋愛体験であったことは間違いがなさそうである。
人は引受けてしまった体験と、そこから抜け出せない重い思念を抱えて生きていく。その体験と思念にこだわればこだわるほど、「泥濘」に足を取られて抜け出せなくなる。岸には戻れない。海に向かって死の行進を歩み続けるしかないのだ。
 政治とそれにまつわる死の淵を覗いてしまった体験は、忘却を拒否すれば、本来、生涯まとわりつくものである。

高見順「敗戦日記」

2017年10月24日 11時35分56秒 | 読書
 昨日、「敗戦日記」(高見順、中公文庫)を購入した。高見順は「詩集 死の淵より」しか読んだことはない。1963年、食道ガンの手術を行ったのち8カ月に書いた詩である。1964年に出版された。しかし翌1965年、食道ガンが再発し、8月に亡くなった。
 この「死の淵より」は20代始め、就職してすぐに書店でたまたま手にとり、いたく惹かれた。職場での心が開かれない違和感を抱きつつ、この「死の淵より」の死の淵を覗いた者の暗い叫びのようなものの中に、戦前の左翼体験と投獄と拷問による死を覗いた体験を二重写しに感じ取った。


  心のけだもの

けだものよ
眠りから早くさめて
凶暴に駆けめぐれ
私の心のなかのけだものよ
おまえの猟場を駆けめぐれ
死の影の下で眠りこけている間に
たちまちそこが占領されたようだ
ほかの獣に
死となんらかかわりのない獣たち
おまえのナワ張りは荒らされてしまった


  心の部屋

一生の間
一度も開かれなかった
とざされたままの部屋が
おれの心のなかにある
今こそそれを開くときが来た
いや やはりそのままにしておこう
その部屋におれはおれを隠して来たのだ



 自分の胸の奥に、死に直面した60歳に近い年齢まで、開かずの部屋を隠し持ってきた、という執念、語り尽くせないできない体験というものにたじろいだ。20代半ばに手が届き始めたばかりの私には、果たしてこのような60歳を迎えることができるだろうか、という思いに押しつぶされそうになった。
 たぶん語り尽くしたとしても他人には理解できない何ものか、をこの転向した作家はずっと抱えて生きて来たのであろう。それ論理でもなく、感情でもなく、燠のようにくすぶり続けて、いつも作家の胸の家に「書く」ことの原動力であったのかもしれない。
 私はとうとう60代後半にもなっているが、まだ生きながらえている。

 この「敗戦日記」は多分一気読みではなく、拾い読みを続けることで味わいたい。

「怖い絵」(中野京子)

2017年10月23日 23時10分38秒 | 読書


 本日読了した本は「怖い絵」(中野京子、角川文庫)。3冊のシリーズ内最初に出版されたもの。昨晩読み終わった「怖い絵 泣く女篇」は2冊目であった。
 今回勉強になった作品は、ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」、ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」、クノップフ「見捨てられた街」、ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス十世像>による習作」、ムンク「思春期」、ジョルジョーネ「老婆の肖像」、ルドン「キュクロプス」、グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」。
 この内、ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」、クノップフ「見捨てられた街」はすでに若干の感想をこのブログに掲載した。
 ベーコンとベラスケスの「教皇インノケンティウス十世像」の比較については、いつか触れたいと思う。政治家、政治というものに対する捉え方からさまざまな感想があると思う。私なりに整理したい課題でもある。
 ジョルジョーネ「老婆の肖像」は、力の入った論だと感じた。女性ならではの視点だと思うが、とても惹かれた。

 

やせ細った秋刀魚

2017年10月23日 19時13分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年の秋、初めて秋刀魚の塩焼きを食べた。しかしどうしてこんなに身が細く、脂ののっていない秋刀魚でなくてはいけないのか、食した秋刀魚には申し訳ないが、とても寂しい思いがした。
 これ以上、身の太い秋刀魚はなかったと、妻のひとこと。本当に今年は不良なのだろう。塩焼きよりも煮付けの方が美味しいかもしれないと感じた。

 久しぶりの散歩、汗をかくほどのスピードでは歩かなかったが、それでも時間あたりで6000歩で歩いた。家についてみると1万4千歩をカウントしていた。雨と風邪にたたられていたので、急にたくさん歩くと膝に負担がかかりそうなので、本日はこの辺でやめた方がよさそうである。

 神奈川大学の生協経由という遠回りをして横浜駅まで。帰りはバスを利用。風は強かったが、爽やかな風であった。

「怖い絵 泣く女篇」(中野京子)

2017年10月23日 12時01分02秒 | 読書


 昨晩は結局どこにも出かけず、台風による雨の音を聞きながら過ごした。読み終わった本は「怖い絵 泣く女篇」(中野京子、角川文庫)
 ブレイクの「巨大なレッドドラゴンと日をまとう女」、ベックリン「死の島」、ファン・エイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」は勉強になった。前2作品は初めて目にする作品であるとともに、解説がないと理解できない作品でもある。とくにブレイクは気になる画家だが、ひとつひとつ解説が必要である。
 ファン・エイクの作品、解説が当たっているかどうか断定はできないが、これまで私が抱いていた疑問は解消されたような気がした。
 副題にもなっているピカソの「泣く女」、これまでの解釈や背景を再確認できた。

   



台風一過

2017年10月23日 11時11分47秒 | 天気と自然災害
 午前10時半の段階では、横浜市域には警報はなくなり、大雨・洪水・強風・波浪腸違法に切り替わった。
 横浜市内に出ていた、避難勧告などは順次解除されつつある。
明け方まで強い風が吹き続け、風の音や向かい側の号棟のベランダに置いてあ物の出す音で2回ほど目が覚めた。瞬間最大風速を明け方4時過ぎに32.3メートルを記録したようだ。
朝の内、団地内を巡回して倒木等が無いのを確認できてホッとしている。現在は風は強めだが、待望の太陽が顔を出している。
 風で散った葉や小枝の処理がこれから大変である。

 久しぶりの太陽なので、午後からは散歩に出てみようかと思う。

雨の次は風が強まる

2017年10月23日 02時17分19秒 | 天気と自然災害
 0時半過ぎに横浜市域から雨の区域が消えた。今度は1時過ぎから一挙に風が強くなり始めた。風の唸り声が団地の中を駆け抜けていく。
 強い雨の音とは当然違うが、雨の音以上に不安な気分を駆り立てる音である。これが明け方まで続くらしい。

時間雨量80ミリ

2017年10月23日 01時03分05秒 | 天気と自然災害


 日付が変わる直前から一段とひどい雨となった。雨の音が夜の闇を押しつぶすように聞こえる。団地の中の木々が悲鳴を上げているようにも聞こえる。レインアイよこはまを見ていると、時間雨量換算で80ミリに及ぶ雨の区域が通過している。
 以前にもこの80ミリという雨を体験したが、何か80ミリという数値、ひとつの境界値なのだろうか。これを超えると雨に音の圧力が加わるような気がする。落ちてくる雨の圧力というものも一段と強く感じる。別の世界に迷い込んだような、怖さを感じる。
 樹木の葉をたたく雨の音、地面やアスファルト、建物の躯体にぶつかる雨粒の音や圧力が、人の耳に自然の恐怖を思い出させるのではないか。

 昨夜23時40分に、横浜市域の北部にも土砂災害警戒情報が出された。がけ崩れの危険が高まっているということである。これで全市域に出されたことになる。
 これにともなってあらたに出された避難勧告の地域はこちら。⇒【こちら