Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の選択はいかに‥

2017年11月21日 10時19分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝の明るい陽射しと寒気が、関東地方の冬という季節を強く感じさせてくれた朝であった。

 残念ながら東京国立博物館の運慶展の入場待ち時間は30分、チケット売り場は15~20分とのツィッター情報。本日の午後か、明日の夜間ははたしてどうだろうか。

 これから午前中は一仕事。午後は上野の運慶展の混雑状況を見ながら‥。上野の森美術館の「怖い絵」展ないし汐留ミュージアムの「カンディンスキーとルオーと色の冒険者たち」という選択もある。もうひとつは休養日&休肝日という選択もありか。
 

これほど眠いとは‥

2017年11月20日 23時06分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 眠い目をこすりながら、スケジュール帳をパソコンの画面に出した。しかしうまく入力できない。瞼が落ちてきて、違う日付の処に打ち込んだり、間違いが多い。結局断念。本日決まった日程の打ち込みと整理は、明日に再度行わざるを得ない。
 さいわいなことに明日は日程が入っていない。

 昨日も本日午前中も街中を歩いていると例年のとおり「年賀はがき」の売り込みがすごい。郵便局員がかなり駆り出されて人通りの多い場所にテーブルを出して売っている。コンビニでも年賀はがきの売り出しの張り紙がどの店にも貼ってある。
 チケットショップでもそろそろ値下げ合戦になりそうな雰囲気である。100枚、200枚と大量にさばいている。企業で得意先などに出すものなのであろう、仕事中と思われる人が、300枚、400枚と購入していく姿も見られる。私も一昨年あたりからチケットショップを利用している。

 年賀状の売れ行きは年々厳しい状況だそうであるが、過度の強引な売り込みやノルマが結局はチケットショップに流れ込む状況を加速しているらしい。何ともバカバカしい限りである。
 私は年賀状は、年に一度の生存確認のためのもの、と割り切って利用することにしている。歳をとれば、年賀状でだけ年に一度の挨拶をする友人も増えてくる。遠くにいる友人とはなかなか会う機会もない。かといって携帯電話のメールやショートメールよりは、心が籠っているように感じるというのも「高齢者」らしい選択である。
 今年はいつごろから年賀状作成にいそしもうか、まだまだ先のようである。

明日までが立冬

2017年11月20日 21時29分12秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は一次会で飲み過ぎたようなので、二次会の会場を早めにあとにした。一次会は会員の出版記念会も兼ねていて、いつもは500円会費が1000円会費。ビール500㏄缶を飲みほしたあとに、美味しい日本酒の4合瓶が4本も並んでいるのを見つけた。参加者の差し入れに顔がほころび、つい4本とも味見をしてしまった。呑んだのは合わせて2合くらいだろうか。
 二次会は組合の会館のすぐ傍。ホッピーのセットの2杯目を飲んだ途端に酔いがまわってきた。やむなく1000円だけ払って店を出た。2000円であれだけ飲んで、食べられるとはびっくり。
 普通立冬というと節気の始まりの日を指すが、二十四節気としての立冬は11月7日から21日の明日まで。

★立冬の海きらめきて目刺色     須藤みのる

本日の業務はようやく終了

2017年11月19日 23時27分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は体が強張ってウォーキングもする気がなかった。本日も午後横浜駅まで歩いた時は、左膝に多少の痛みないし違和感があり、心配した。しかし帰りの道は快適に歩くことができた。先ほどまで夜のウォーキングでも左膝には違和感はなかった。しかも体全体の強張った感じもない。これで今晩ゆっくり寝られれば問題はなさそうである。
 明日は退職者会の幹事会。早めに行って印刷物の作成、退職者会ニュースの刷り上がりの点検、等々昼までにこなさなくてはいけない仕事がいろいろありそう。
 朝9時には家を出なくてはいけないようだ。


「ヒットラー」(水木しげる)

2017年11月19日 21時51分55秒 | 読書


 午後になって仕事に着かれて、横浜駅まで歩いてみた。初めと左膝に違和感があったのでゆっくりと歩いて有隣堂によってから喫茶店へ。有隣堂で水木しげるの「劇画ヒットラー」(ちくま文庫)を発見。561円という値段に思わず購入。喫茶店で読み通した。まずは、この作品のために33冊もの参考文献をもとに描いたという努力に敬意を評さなくてはいけないようだ。



 帰りも歩いたが左膝の違和感は消えていて、嬉しかった。

冬日向

2017年11月19日 12時12分46秒 | 読書
 冬日向ということばがあるが、本日のような日射しをいうのであろう。北側の空は低い雲が多いものの雲の無い南側の空からの陽ざしが嬉しい。風もなく、昨日の風でケヤキやプラタナスの葉が大量に落ちて、枝の間から明るい陽射しが部屋の奥まで届いている。夏よりも部屋のなかは明るい。
 枝に残っている色づいた葉が太陽の光に映えて輝いている。縁が白く輝き、リング状に皆既日食のような葉が鈴生りになっている。こうなると常緑樹は深い緑に覆われて、紅葉した落葉樹の引き立て役になってしまう。

★冬日向妻の広げる古ころも       菅原 涼
★寒晴やわれも一樹となりて立つ     西嶋あさ子


 冬の陽ざしが部屋の奥まで届くと、我が家では冬用の掛け布団をようやく出してくる。私は羽毛布団のような軽すぎる布団も、あまり重い布団も好まない。多少寒くとも夏掛けとタオルケットでこの時期まで粘る。さすがに朝に窓ガラスが結露するようになると、少し厚めの布団に変える。妻に言わせると秋用の布団らしいが、私はそれで充分である。タオルケットはそのまま使う。毛布まで使うと暑くて眠れなくなる。この時期、妻は私のわがままに突き合わされ布団の差し替えで悪戦苦闘する。

 第1句、この句では妻は窓越しの暖かい陽射しを受けながら、過去と対話している。それを見ている作者もまたそれに誘われるように過去と対話している。それぞれ別の過去と対話しているのであるかもしれないが、同じ場所・同じ時間でそれぞれの過去と対話する年季の入った夫婦であろう。
 第2句、いくどかこの句を取り上げたことがあると思う。寒気に身を晒し、風と向き合うような強い意志に惹かれているのであろう。落葉樹でなければ見せない佇まいである。


会議は無事終了

2017年11月18日 23時26分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の会議は21時ちょっと過ぎに終了。いつもよりは少しだけ時間かかかったが、それ以外はスムーズに議事が反映されていたと思う。肩の荷が下りたような気分である。
 本日はぐっすり眠れそうである。

冬浅し

2017年11月18日 23時02分42秒 | 読書
 本日は団地の中のプラタナスの剪定を行ってもらった。不思議なもので、葉が一挙になくなり、明るく見えるようになると、途端に冬の様相に思えてくる。枯れた葉でも陽射しは遮ってくれている。その葉が剪定で亡くなり、枝も切り詰められると明るくなる。すると冬のいつもの情景が蘇ってくるのである。冬ざれ、という言葉が似つかわしくなる。ふゆ
 樹木が四季折々に付近に住む人の生活に実に大きな影響を与えているのか、如実に示してくれる。

★蛍光灯唄ふごと点き冬浅し     藤田湘子
★冬ざるるものの一つに道祖神    岩淵信義


 第1句、蛍光灯が点くときにちらちらとすることがある。それを唄ふ、と表現するはいけいには、身内の方の死が反映していないか。
 第2句、道祖神を忘れてはいけない。寒い中を寒さに耐えて立っている。そんな愛情を感じる一句だと思った。

これから会議

2017年11月18日 18時06分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 二週間ごとの資料づくり、終わるとホッとする。懐疑に出て議論するエネルギーの優に10倍のエネルギーが必要である。現役のときは毎週レジュメづくりをしていたのだから、それに比べると楽ではある。諮問会議と理事会とが交互なので、一部重なる。しかし一番の問題は議事録の起こし。これに費やされるエネルギーの比率が高い。
 もうひとつこなすエネルギーが湧いてこない理由は、自分が進んで作った場ではないこと。これが決定的に違う。いつも覚めている自分がいる。仕事でもない。
 やむを得ないものであるが、気持ちを奮い立たせることは難しい。
 19時からの会議にそなえて、出来上がった資料を人数分コピーして資料作りは終了。あとは会議で資料に基づいた提起をして、会議が終わるのを待つばかり。

 明日は、明後日の退職者会の会議に向けて、ブロックの会報をつくる仕事が残っている。


ようやく資料作り終りが見えた

2017年11月18日 12時01分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 11時半ころから急に風が強まってきた。風が唸り声をあげている。南西から北東に向けての風、それほど寒さは感じない。ケヤキとプラタナスの枯葉が一挙に散っている。壮観ではあるが、後処理のことを考えると憂鬱でもある。

 会議の資料作りもほぼ出来上がりつつある。14時までには仕上げて、レジュメと資料・別紙部分の原紙を打ち出したいもの。あとはウォーキングに出かけたいところだが、雨の区域がじわりじわりと南から北上してきている。

 パソコンに向かい続けて疲れたときは「怖い絵-死と乙女篇」(中野京子、角川文庫)に目をとおしている。一昨日から読んだのはカバネル「ヴィーナスの誕生」、ベラスケス「フェリペ・ブロスペロ王子」、ヨルダーンス「豆の王様」、レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖アンナと聖母子」の4編。


書店で眼についた本

2017年11月17日 21時33分08秒 | 読書
 久しぶりに横浜駅まで往復、有隣堂と家電量販店で情報収集。平凡社ライブラリーの「新版 吉本隆明 1968」(鹿島茂)、「其角と楽しむ江戸俳句」(伴藤一利)、「日本の無国籍者」(井戸まさえ、岩波新書)、「出羽三山」(岩鼻道明、岩波新書)、「アウグスティヌス」(川合康三、岩波新書)をめくって惹かれたが、お金も時間も限られているのでまずは断念。

 帰りはいつもの内科で高血圧の薬を処方してもらい、神奈川大学の生協経由で歩いて帰宅。注文しておいた「『快楽の園』を読む」(神原正明、講談社学術文庫)を受け取った。
 はたして読み切れるだろうか。とても心配である。どちらかというと衝動買いに近い。


銀杏散る

2017年11月17日 10時21分44秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 11月の半ばを過ぎた。12月の声も近づきどこか慌ただしくなりつつある。もっとも私の場合はいつも落ち着きがなく、気ぜわしい。
 前にも記載したが、今年は久しぶりに一年の過ぎるのが早く感じた。自分と周囲で生起するさまざまなことに振り回された感がなくもない。自分の好きなことだけをしていればきっと心的な時間の流れはゆっくりなのだろう。振り回されるという感情がどこかにあるとすれば、心的な時間の流れは速くなるのではないか。そんなことを考える年末となった。

★銀杏散る万巻の書の頁より         有馬朗人
★黄落期すれ違う人なきところまで      庄司たけし


 立冬を過ぎて季節は「冬」ではあるが、周囲の様相は紅葉した葉が散り始めた時期。晩秋ともいえる。秋から冬への移行期。
 第1句、読書の秋に相応しくふと開けた古い本の間から黄葉した銀杏の葉が舞い落ちたのであろうか。舞い落ちなくとも挟まっていただけで十分に情感がある。作者が若い時にしおりがわりに使ったのか、万巻の書だから図書館の本に誰かが忍ばせたのか。虫よけにもなる銀杏の葉、静かに眠っていた著者の声が蓋を開けたときのオルゴールのようによみがえる。ちょっと若々し過ぎる句と受け取るか、老境に入った感慨とするか。
 第2句、少しの風でたくさんの葉が舞い落ちる径をひとりあるいはふたりだけで歩きたいもの。舞い落ちる葉とは対照的に歩く人の心は、静かに沈んでいく。

茨木のり子「こわがらない」

2017年11月16日 21時57分27秒 | 読書
 こんな詩がある。

  こわがらない

一芸に闌(た)けた人は
物をこわがらない
老練の仕立て屋は
おそれげもなく高価な布をザキザキ切る
突き抜けた画家は
純白の画布の前でたじろがない
鼻歌まじりの落書きにみえる
 ・
 ・
一つの道を窮(きわ)めたひとには
物のほうが嬉々として吸いついてゆく
いいチームのサッカーのボール
陶芸家の手にまつわりついてゆく陶土
腕のたつ大工の削った板はびたと吸いつく二枚
 ・
 ・
 ・
私の使うものは言葉だ
私は言葉をこわがらないか?

私は持っているだろうか?
知らず言葉たちをひきよせる磁場を
否 否
未だし嘆きとともに
こわがらない人達を茫然と視る

1971年「詩学」掲載

 茨木のり子らしい詩かもしれない。時としてどこか教訓じみて、人についお説教や処世訓を延べたがる老人のようにも思えるときすらある。

 わたしははたして言葉を紡ぐ時、「言葉をひきよせて」磁場をひきよせることが出るのであろうか。
 私はいつも言葉を選び、俊熟しているうちに言葉を失ってしまう。そして忘却してしまう。
 ものごとに大胆になり過ぎて、塾泊の画布のたじろがない画家にはなれない。いや、画家はどんな画家でも、純白の画布の前で緊張し、逡巡し、そしてためらいながら色と形を決めていく。老練な仕立て屋は、ビクビクしながら高価な布の前に立っているのではないか。
 ただし、画家も仕立て屋も、ビクビクしながら、決断したら早いのだ。
 詩人だって言葉の第一声の前にたじろぎに、恐れおののく自身を見つめているのではないか。

 逡巡と決断、決断後の実行、茨木のり子さんは決断の前の逡巡についてどう考えているのだろうか。


本日は結局頭の休養日と休肝日

2017年11月16日 18時39分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は結局何事もなさず、家に引きこもって夕方までは体を休めた。家に引きこもってばかりでは却ってよくないので、夕方に40分ほどゆっくりとしたペースでウォーキングを5千歩ほど。体を動かさないでいると外がとても寒く感じた。
 横浜の気温は13時過ぎで16.7℃。平年並みの気温らしい。

 明後日の夜の団地の管理組合の会議の資料作りは明日と明後日で作りあげなくてはいけない。本日も夜も会議の資料作りで頭を使いたくない。そして休肝日ともしたい。