Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日の予定を確かめながら‥

2017年11月12日 23時15分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の予定の業務は終了。明日早めに郵便局に20余通を持ち込めば一段落。明日は午後から近くの市立図書館に出向いて、水曜に見学する「無言館」の資料を数冊借りて、リーフレットを作成すれ予定。必要個所を抜き書きして旅行参加者分だけコピーすれば出来上がるはずである。A4裏表に納められるように若干資料は読み込まなければいけない。
 この合間に団地の管理組合の若干の用務をこなし、明後日からのバス旅行の荷造りをすれば、終了である。

友人の葬儀の報告書作成

2017年11月12日 15時56分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先日亡くなった友人の葬儀の模様と盛花の会計報告を友人たち約20名余に送る作業を朝から行っている。
 ようやくほぼ出来上がった。
 本日中に封入れを終えて、明日郵便局に持ち込めそうである。

 そして亡くなった友人の名前を、年賀状の住所録から削除するということがしんどい。いつも削除するのを躊躇しているうちに数年たってしまう。それから削ることをしてきた。パソコンなので、以前の住所録と削除した新しい住所録を別々にファイル名を変えて保存しておけば、問題はないのだが、削除するという行為自体に躊躇してしまうのだ。心の片隅に、削除すると思い出までもが消えてなくなりそうな気がしている。

「1968年」展の感想の続き

2017年11月11日 23時23分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 「1968年」展の感想をブログにアップしたら、友人から電話をもらった。いろいろ感想を述べてくれた。嬉しい限りである。
同時代を生き、人生のある時間を同じ場所で共有した友人が、出会う以前にどこか別々の場所で同じような体験をしていたことはよくあることである。

 ある別の友人は、「全共闘体験というのは1960年代末の体験はかなりすそ野はひろいのではないか」といったことがある。「60年安保闘争が政治闘争として収束したのに比べ、社会運動として持続しうとした意志がより広範だったところの違い」だという。これがあたっているかどうかは、私には60年安保闘争体験がないので、わからないとしか言えない。だが、同世代の人間のこだわりの多様さと深さにより、新しい社会運動を包含していたことだけは確かだと思う。

 その社会的な異議申し立ての挫折や、政治的な党派や組織の存在の否定的な在りようも含めて、プラスもマイナスも引受けたいという願望はある。しかし個人が引き受けられることは極小である。ひとつの側面でしかない。たったひとつのこだわりや、果たせなかったこと、持続したかったこと、それをどのように体現していくか、文章表現か、現実での実の振舞い方か、生きざまか、考え始めると収拾のつかなくなること甚だしい。

 いつも思いは堂々巡りである。それでも年齢という時間によって退化はせずにらせん状に先に進んでいることを願いたいものである。

 前回の記事を読み返しながら、変換間違いやね言い回しを若干訂正した。

慶応大学日吉校舎の銀杏並木

2017年11月11日 19時17分16秒 | 山行・旅行・散策
   

 今年もまた日吉にある慶応大学の校舎のある敷地の銀杏並木を見に行った。ここ数年は毎年ここを訪れるのが楽しみになっている。
 まだ青い木、すっかり葉を落としてしまった木、色づきの度合いが混在している。例年はかなり同じような木が多いのだが、今年はそれぞれ日の当たり具合や微妙な気温の差などなど植わっている場所の違いが表れているいるようだ。あるいは個性なのか。ギンナンも多く落ちており、ケヤキやサクラの葉と共に回収に多くの人出が出ていた。



国立歴史民俗博物館と佐倉市内のウォーキング

2017年11月10日 23時26分05秒 | 山行・旅行・散策
   

 13時過ぎから16時までかかって国立歴史民俗博物館の企画展示「1968年-無数の問いかけの噴出の時代」の2つの展示室、ならびに通常展示の6室のうち5室を見て回った。
 それぞれの展示室がとてつもなく広いので、体力と気力が必要。通常展示の6つの部屋は、
第1展示室-原始・古代、第2展示室-中世、第3展示室-近世、第4展示室-民俗、第5展示室-近代、第6展示室-現代となっているが、第1展示室-原始・古代は2019年春まで閉鎖中ということで、残念ながら見ることが出来なかった。6つの展示室では一番見たかったのだが‥。
 企画展示室のふたつの部屋と、第2と第3展示室はじっくりと見て回った。第4室以降はほとんど素通りに近かった。
 16時30分までが入館期限なので、15時50分に一回りしてレストランで一服しようとしたらもう閉店とのこと。ガッカリ。17時までの退館時間のことを考えると、せめて16時半位まではコーヒーの一杯くらいは飲ませてもらいたいものであった。少し痛くなった腰を休めるために自動販売機の前の椅子に座ったが、隙間風があってかえって腰と足に悪そうなので早々に退散。ゆっくりと歩いて京成佐倉駅まで戻った。



 京成佐倉駅近くは市役所や美術館もあるので、夕食を摂るところや居酒屋があるのではないかと探したが、あまりない。思い切ってJR佐倉駅に行ってみることにした。
 散策マップを観光協会で手に入れ、武家屋敷とおりを歩こうと思ったが、すでに暗くなりかかっており、断念。
 結局、薄暗がりのなかを京成佐倉駅-(15分)-国立歴史民俗博物館-(15分)-京成佐倉駅-(8分)-佐倉市立美術館-(12分)-鏑木交差点-(10分)-JR佐倉駅と60分ほどを歩いただけであった。
 DIC川村記念美術館も佐倉市立美術館も、体力的に時間的に到底無理であった。

 JR佐倉駅ちかくの居酒屋でハイボールと日本酒1合を飲んで総武線・横須賀線で横浜にたどり着いた。

 なお、東京駅八重洲口からDIC川村記念美術館を経由して国立歴史民俗博物館までのバス便があり、便利なようだ。しかし、鉄道を使うよりは高い。


JR佐倉駅に到着

2017年11月10日 17時37分15秒 | 山行・旅行・散策


京成佐倉駅前は居酒屋も定食屋もないので、佐倉市内見物をも兼ねるつもりでJR佐倉駅まで歩いてみた。ちょうど30分。このふたつの駅を結ぶ国道沿いには繁華街はないようす。薄暗くなった寂しい道を歩いた。
JR佐倉駅のほうがちょっと高めの割烹料理店や、地元の居酒屋が点在していた。
JR1本で帰ると高いのだが、乗り換え無しで横浜に着くという魅力がある。
居酒屋で日本酒を楽しんでいる。

国立歴史民俗博物館

2017年11月10日 16時03分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
ようやく企画展と、第2から第6までの展示室を見終わった。疲労困憊。
レストランはもう閉店。休憩もできない(~_~;)
川村記念美術館に行く気力も体力も時間も無くなった。
京成佐倉駅前は飲食店が少ないので、これからどうするか思案中。

落葉について三句

2017年11月10日 10時21分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★待人の足音遠き落葉かな       与謝蕪村
 やってくるはずの人は男か女か、そしてやってくるはずの人を待っているのも男か女か、登場する人間のことは何も語っていない。ただし、作者の名を見れば、ここは当然の如く、二人の登場人物は男女の思い人同士と思われる。蕪村ならばやはり古典の世界のいづれかを念頭に置いていると勝手読みしてしまう。しかも果たして本当に恋人の落葉を踏む音だろうか。そら耳かもしれない。あるいは他人が落葉を踏む音なのかもしれない。あるいは約束がまもれないことを誰か使いが伝えに来たのか、そんな焦燥感まで想像してしまう。
 作者名が伏せられていたら、ひょっとしたら曖昧な駄句として斥けられてしまう句だったかもしれない、そんな危うい句である。蕪村ならば、絵に添えた賛かもしれないと想像してしまう。いづれにしろ、さまざまな想像力を駆使してしまう。

★湖底まで続く落葉の径のあり     斎藤梅子
 静かな冬の日、透明な湖の底に色とりどりの落葉が沈んでいるのを見かけたのだろうか。それが連なって径のように見えた。言ってみればそれだけの景色を詠んだ句である。しかし湖面には、周囲の紅葉も終わりかけたた山々の影も湖面に写っているであろう。垂直の季節の変化が山の彩りに読み取れる。湖の冷気も読み取れる。
 あるいは、湖底に沈んだ枯葉だけでなく、湖面に浮んだ落葉のことを詠んでいる可能性もある。
 透明感溢れる明るさに惹かれる。

★落葉掃くおのれを探しゐるごとく   平井照敏
 落葉の中に自分を探す、という表現は別に具体的なものを探しているわけではない。落葉を掃くという行為が、さまざまにものを思うたいせつな時間でもある、ということを指している。もくもくと行う作業をしながら、自分を見つめることを意識する。そればかり意識していては、満足に作業は捗らないが、かといってその単純作業を遂行しながら、自分を見つめ続けることが大切である、と思うようになったのは40代も半ば過ぎであったろうか。

本日の講座

2017年11月09日 22時01分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の講座は「古墳時代東国の渡来人と渡来文化」と題して、松戸市立博物館の小林孝秀学芸員の講演。
 東国の渡来人の墓と思われる積石塚や竈・須恵器などの分布から東京湾沿岸の海上交通、横穴式石室の分布から朝鮮半島-関東北部への文化の伝播経路などについて示唆に富む講義であったと思う。

久しぶりに横浜市歴史博物館

2017年11月09日 20時44分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 横浜市歴史博物館で開催されている企画展「横浜に稲作がやってきた!?」を見てきた。

 ホームページに掲載されている展覧会の概要は、「稲作の開始は、日本の歴史を区切る大きな出来事だと考えられてきました。この展示では、横浜市域において本格的に稲作が始まった時期である弥生時代中期後葉に焦点を当て、土器研究や植物考古学などの最新の研究成果をご紹介します」となっている。

 また展示構成は、次のとおりである。
第Ⅰ部 宮ノ台式土器とその時代
 第1章 弥生時代、はじまる ―宮ノ台式土器の成立まで
 第2章 弥生時代の「ニュータウン」 ―鶴見川流域の宮ノ台式文化
 第3章 見えてきた三殿台遺跡 ―再整理作業の成果
第Ⅱ部 横浜に稲作がやってきた!?
 第4章 黒こげのつぶ、土器のくぼみ ―農耕の証拠をさぐる
 第5章 弥生ライフ ―宮ノ台式期のくらし

 展示の始めには容器型の土偶、最後には人面付き土器が展示されている。どちらも保存状態が良く、印象的な表情をしていた。これを芸術と呼ぶのか、という議論は差し置いて、印象に残る作品であることには違いはない。

   

横浜市内を北から南へ

2017年11月09日 09時51分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 好天気、風は強い。瞬間最大風速が7時半頃に18mを記録している。これから横浜市歴史博物館へ。午後は本郷台駅の近くのアースプラザで講座。
 横浜市の北部にある都筑区から最南部の栄区までの移動。久しぶりである。明日は千葉の佐倉にある国立歴史民俗博物館に行きたいが果たして‥。

バーン=ジョーンズの「受胎告知」

2017年11月08日 23時10分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「芸術新潮」8月号の「新・仁義なき聖書ものがたり」を気分転換にめくっていたら、エドワード・バーン=ジョーンズの「受胎告知」(1876年)が目に入った。はじめて見る作品である。高さ2.5m✖巾1m余の大作である。
 不思議な感じのする遠近法と縦に引き伸ばされた人物像が目をひく。マリアは9等身、天使ガブリエルに至っては11等身近くもある。しかしエル・グレコのように下から見上げることを想定しているわけではないようだ。しかもガブリエルには動きが無く、静かで音の無い世界のような「告知」である。
 通常の受胎告知が読書中のマリアであるが、ここではマリアは水甕の横にいて、虚ろな瞳は何ものも見ていない、あるいは認識していない眼のようだ。これは今は使われていない福音書(ヤコブ原福音書)の記述に、「水汲みに出かけたマリアにどこからか声が響き、天の祝福が天使より告げられたが、マリアは声の主の天使を見ることが出来ず、恐れて戻った」という記述によるという。だが、ここに描かれているのは怖れの眼ではない。声の主を探す眼なのだろうか。
 マリアの戸惑い・驚き・怖れ・不安・受け入れ等々の感情表現が「受胎告知」の大きなテーマである。このバーン=ジョーンズの表現は公認のキリスト教から一歩引いた場面設定の中に、戸惑いと不安を記しているのかもしれない。
 多くの天使ガブリエルがマリアと同一地平近くまで降りてきて、告知するのとも違い、高い位置からの告知である。神の使いとしての「告知」であれば考えられる位置関係でもある。マリアがごく普通の女性として描かれているといえる。近代的な解釈・表現に見えてくる。
 背景のアーチの上部には、蛇の誘惑で果実を口にする場面と楽園追放の人類創生が描かれている。原罪と無原罪という不思議な歴史・関係が暗示されている。
 天使の衣の不思議に重厚さ、あまりに生々しい羽の模様と身体との関係、大理石と木材の不思議な質感、天使のいる場所の樹木の生々しさ、天使とマリアのリアルな足先の描写‥ひとつひとつに注目すると現実離れしていて、全体としておさまっている不思議な構図にも惹かれる。
 

欠礼葉書

2017年11月08日 19時48分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後からは晴れ間が出るとの予報は見事に外れた。雨は13時過ぎには上がったものの、一日中どんよりとした厚い雲に覆われた。
 友人と14時半から2時間ほど、焼き鳥屋で飲んだ。しかも鳥の皮ばかりを15本。最後はさすがに脂が口の中で幕を作って、くどく感じた。途中で追加注文したキャベツ一山がありがたかった。お酒はホッピーを2本。外で呑むときはだいたいこの程度の量である。
 かなり遠回りをして帰宅。先ほど一寝入りから覚めた。

 昨日、年始の欠礼葉書が1通。現役時代の友人から。11月に入るとは毎年、この欠礼葉書が多数寄せられる。友人たちの親の世代が亡くなっていく。
 そして今年、年賀状を出す相手がひとり減ってしまった。年末とは、寂しさと悲しさが増してくる時節でもある。

秋時雨から冬の雨・時雨へ

2017年11月08日 10時31分03秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 朝から雨が止まない。弱い雨の区域が箱根を超えて西から少しずつ迫ってくる。昼までには雨はあがるとの予報であるが、この雨の降り方を見ている限り、そのようには思えない。

 短い時間降るのであれば、秋の冷たい雨を指すという秋時雨から、時雨と称される季節になった。ただし本日は寒くはない。冷たい雨でもない。気温は4時半過ぎには20℃をこえていたらしい。そして風が強い。瞬間最大風速が9時前のデータでは10m。横浜市域には強風注意報が出た。
 気温だけに着目すればそれは季節を押し戻すものである。しかしこの風は、木々を裸にして冬の景色をいっそう進める。やはり時雨というものなのか。

★しぐるるやわれも古人の夜に似たる      与謝蕪村
★天地(あめつち)の間にほろと時雨かな    高浜虚子
★人の世の窓打ちにけり冬の雨         西島あさ子


落葉を掃く音が冬

2017年11月07日 22時51分26秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明日は友人と久しぶりに会う。14時に横浜駅で待ち合わせ。
 本日から2週間を立冬という。団地の中の落葉掃きもまた佳境といったところである。毎日落葉を掃く乾いた音が響いてくる。掃く音だけでなく、夜になると人が仕事から帰って来るときに落葉を踏む音が遠くからでも聞こえるてくる。特にプラタナスの葉が散るようになると一段と大きな音になる。

★音たてて立冬の道掃かれけり    岸田稚魚
★柴垣を透く日も冬に入りにけり   久保田万太郎
★跳箱の突き手一瞬冬が来る     友岡子郷