Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

今年度後期の気になる美術館・博物館

2017年11月07日 13時42分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 気になった美術館・博物館の展示は次のとおり。会期順に並べてみた。

①横浜市歴史博物館   横浜に稲作がやってきた!?         9.16~11.12
②東京国立博物館    運慶                    9.26~11.26
③国立歴史民俗博物館  「1968年」-無数の問いの噴出の時代-  10.11~12.10
④上野の森美術館    怖い絵展                  10.7~12.17
⑤汐留ミュージアム   カンディンスキーとルオーと色の冒険者たち  10.17~12.20
⑥国立西洋美術館    北斎とジャポニズム             10.21~1.28
⑦横浜美術館      石内都 肌理(きめ)と写真         12.9~3.4
            石内都「絶唱、横須賀ストーリー」      12.9~3.4
⑧横浜美術館      シュールレアリズムの美術と写真       12.9~3.4
⑨三菱一号館美術館   ルドン-秘密の花園             2.8~5.20
⑩東京国立近代美術館  没後40年 熊谷守一-生きるよろこび-   12.1~5.21
⑪横浜美術館      ヌード NUDE              3.24~6.24

 会期が迫っているので、①は急ぐ必要がある。③はとても遠いが是非とも行きたい。


眠い休養日

2017年11月07日 11時20分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 8時過ぎに朝食を摂っているうちに眠気が襲ってきて、椅子にもたれたまま寝てしまった。昨晩寝るのが遅すぎた。途中で妻に促されてベッドで1時間と少し、気持ちよく二度寝。10時になってようやく再起床。
 スケジュール帳の打ち出しが終わってようやく仕事モード。といっても本日は休養日なので、年末年始の美術館・博物館情報を集めることにした。遠くまで行く気はないので、近場で探すことに。しかし11月のスケジュール帳はほぼ埋まっている。

 しかし最近は朝から深夜までひっきりなしに軍用機が空を飛び交う。ここ2~3年とても気になる。こんなに頻繁に飛び交うことに大きな不安と不満が募る。騒音はストレスになる。家に籠っていると耳を塞ぎたくなる。休養にならない。
 



立待月

2017年11月06日 23時37分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日も月が美しかった。月齢17.8で居待月と呼ばれる。座して月を待つ、との意味といわれる。立待月よりも50分ほど遅く月がのぼる。立って月の出を待つのはつらく、室内で待っているということであろうか。まったく雲が出ていないときよりも多少の雲がかかっているほうが月を見るにはいい。

★蒟蒻に箸がよくゆく居待月     加藤燕雨
 室内で月を待つ間に食事をし、お酒を飲んで待っている、という意味だろうか。立待月では外で待てるということは、寒さにもまだ耐えられるのだろう。50分の差は、体が冷えてしまう間でもあるのだろうか。この蒟蒻は暖かい蒟蒻ではないか。たぶんにお酒は新酒。明日から21日までが二十四節気の「立冬」。そして明日の月は「寝待月」。布団をかけないと風をひいてしまう。

 そろそろインフルエンザの予防接種でも受けることを考えないといけない。

お酒の誘惑

2017年11月06日 21時52分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夜になりだいぶ冷えてきたような気がする。先ほどから私の部屋のガスストーブはつけたまま。明日7日は特に予定が入っていない。家でゴロゴロするか、どこか美術館に行くか。思案中。美術館にしばらくご無沙汰しているが、遠出するエネルギーが湧いていない。だんだん自分がズボラになっている気もする。体が動かないのは、どこか体が休養を欲している証しかもしれない。
 私はどうも休養することがヘタなようで、皆に注意される。そして気がついてみれば風邪をひいて寝込んだりする。
 明後日は友人と14時に横浜駅で待ち合わせ。所用が済んだらたぶん間違いなく、昼間から営業している居酒屋に繰り出すことになっている。だいたいが呑み過ぎることになっている。お酒に対して意思が弱いといわれる所以でもある。

風に名のついて吹くより新酒かな     園女
★杉玉の新酒のころを山の雨        文挾夫佐恵


団栗と落葉

2017年11月06日 20時30分40秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 先ほど帰宅。本日は昨日に続いて穏やかな日和。私の住む団地のなかは、ケヤキやプラタナスや桐等の落葉がひっきりなしに落ちてくる。
 プラタナスの落葉は豪勢である。バサッと音を立てて地面に着地する。ケヤキの葉は遠慮がちに落ちてくる。どちらも落葉を片付ける人からは嫌われる。
 反対に樫・楢・?・櫟などの実である団栗は嫌われることはまずない。

★静かなる午前を了へぬ桐一葉      加藤楸邨
★団栗や倶利伽羅峠ころげつゝ      松根東洋城


立待月

2017年11月05日 23時30分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は月齢が16.8で、立待月。十五夜から数えて2日目の月である。天頂付近に煌々と照っており、気分が良かった。立ちどまることなく歩いたので、星はひとつも眼に入らなかった。南の空に群雲がいくつかあったが、天頂付近に雲はあまりなく、気持ちの良い月の光でぁった。
 明日は午後から若干の作業があり、お手伝いで出かける。朝のうちに出かけて、書店と家電量販店をいつものように見て回る予定。

国吉康雄の女性像

2017年11月05日 21時51分39秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 2004年、東京国立近代美術んかで開催された「国吉康雄展」から女性像を並べてみた。
 この展覧会では実に多くの女性像が展示されていたが、私は特に女性像に着目して感想を述べてはいなかった。このブログにリンクの貼ってある「時には本の話でも‥」【⇒こちら】の東京国立近代美術館の所蔵作品展の感想に刺激を受けて、改めて図録をめくってみた。
 国吉康雄の女性像は顔が非常によく似ている。同一人物を長期間にわたって描いたと思われる。幾つかを並べてみる。モデルは1935年に画家が再婚した女優・ダンサー・モデルのサラ・メゾと思われるが、私自身は断定できていない。

 始めの作品は「カフェ」(1937年、ホイットニー美術館蔵)、次が「私は疲れた」(1938年、ホイットニー美術館像)、3枚目は「夜明けがくる」(1944年、岡山県立美術館蔵)、4枚目が「女は廃墟を歩く」(1945-46年、メナード美術館蔵)。この女性の表情を追ってみると、国吉康雄の社会に対するかかわり方、姿勢が反映されているように思える。
 1930年代の女性像はしたたかに生きてはいるが、どこか退廃的で、投げやりでもあり、生きる意欲というものがあまり感じられない。退廃をそのまま受け入れて、底に身をひたしているような画家の生き方がどこかから匂ってくる。
 1940年代、特に第二次世界大戦となった1940年以降の作品は、国吉のアメリカでの日本人排斥運動を背景として、故郷喪失者としての国吉康雄の内省的な姿勢を示しているように思われる。「夜明けがくる」に描かれた女性からは退廃の匂いは私は嗅げなかった。終戦直後の「女は廃墟を歩く」に至って、実にたくましい生活者としての女性像となっていく。いづれも同じような顔立ちの女性であるが、社会とのかかわりでは受動から能動へ、すべてに受け身から自らが何かをつかみ取ろうとする強固な意志を私は感じ取った。

 この時期、国吉康雄は「ここ数年間の戦争は、わたしのたくさんの作品の背景をなしてきた。なにも戦場を描く必要はない。破壊や生命の喪失、生と死との間の彷徨、そして孤独といった、戦争の暗示を描く」と述べている。
 ここに国吉康雄の祖国批判、そして米国流民主主義なるものの欺瞞をもとらようとする姿勢、社会への強烈な違和感と、それに立ち向かう作者を感じ取ることができるとおもう。しかしこれ以降、国吉康雄は「時代の感情的な二重性を描いている」と述べた仮面をかぶった人物像に移行していく。
 そして美術家組合の会長などにつくが、時代という嵐に飲み込まれたかのように、新たに冷戦といった社会状況の中での苦闘が開始される。残念ながら戦後まもなく1954年、胃がんのため国吉は63歳で没してしまう。

散歩は秋にかぎる

2017年11月05日 17時12分38秒 | 読書
 秋は、季節を強く体感する季節である。さまざまな事象が季語として取り上げられている。秋の気分を味わいながらの散歩もまた楽しい。

 買い物のポーターを頼まれ、ようやく家に戻った。いつものとおり、コーヒーチェーン店のブレンドコーヒー1杯の報酬。

 少し歩き足りないので、これから夕食の時間までウォーキングに出かけることにした。

桜紅葉

2017年11月05日 14時34分44秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午前中の会議が終わり、昼食&一服中。気温は低いようだが、昨晩とは違い風も弱く気持ちの良い天気である。

 団地のなかでは桜紅葉が美しい。あまり美しいという評価はないのだが、私は最近好みになってきた。黒い斑点が散らばったりして、それを嫌う人も多い。春の花、葉桜などに引きづられてみてしまう。まったく別のものとして風情を味わうか、春の様相との落差に着目するか、見方はいろいろある。

★桜紅葉まぬがれ難き寺の荒れ       村田脩
★紅葉して桜は暗き樹となりぬ       福永耕二

 これはちょっと特異な感覚かな、と感じた。青葉が濃くなって暗くなるという感覚ではなく、日が射しこむようになってからの時期の「暗き樹」という捉え方、ここにはどんな感情が籠っているのであろうか。
★黄泉(よみ)の師よ桜はすでに紅葉して   中村キヌ子
 亡き師を偲ぶに、他の紅葉ではなく桜紅葉でなくてはいけない理由。桜を愛した人だったのか、他の紅葉する木々のように光り輝き、世間の耳目を集めるのではなく、ある意味地味で世に出るには不器用な人柄だったのだろうか。そこに慕う根拠があるような師であったのであろうと想像してみた。




風が唸っている

2017年11月04日 23時42分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 軽く夜のウォーキングに出かけた。雨はすっかりあがったものの、風が冷たくそして強かった。薄いウィンドブレーカーのフードが風で煽られて、冷たい空気が襟元から入ってくる。40分ほどで引き揚げてきた。風が唸っている。ベランダの鉢植えを少し寄せて風に耐えられるようにしないといけないようだ。
 退職者会ニュースの校正刷りがとどき、3か所ほどの訂正があったが、その他は良好。やはりプロが作ったものは見やすくなっている。
 明日は午前中に団地の管理組合の会議。昼以降は休養タイム。

みなとのみえる丘公園、外国人墓地、山下公園銀杏並木

2017年11月04日 20時20分19秒 | 山行・旅行・散策


 本日は山手の外国人墓地と湊の見える丘公園で薔薇等を楽しんだ後、山下公園のイチョウ並木を楽しんだ。湊の見える丘公園では薔薇だけでなく、多くの花が咲き誇っていた。
 みなとみらい線・東横線で六角橋商店街までもどってから定食屋さんで夕食。スーパーでの買い物をしているうちに、突然風が強くなり雨が降り出した。家までは20分以上歩くので、やむなくビニール傘を購入して帰ってきた。

                              

冬の薔薇

2017年11月04日 13時17分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明日の会議の資料作りが早めに終わった。一日仕事と考えていたが、午前中に終了。午後に出かけることにした。みなとのみえる丘公園などを散歩してみることにした。
 天気は穏やかで、風もない。秋の薔薇、冬の薔薇が咲いているであろうか。近代文学館では山本周五郎展を開催している。

★冬薔薇や海に向け置く椅子二つ       舘岡沙緻
★冬薔薇(ふゆそうび)石の天使に石の羽   中村草田男
★冬の薔薇すさまじきまで向こうむき     加藤楸邨
★冬の薔薇異国に散りし兵の墓        和田貞子


 薔薇の句というのはなぜか洋風の家や洋風の庭などの景から離れられない。洋風の景物から離れた句というものがないかと探したが、見つからなかった。薔薇というだけですでに洋風の豪華なものの代名詞でもある。薔薇というだけで、強固な世界が現われてしまう。この季語はなかなか生かすのは難しそうである。

金柑

2017年11月03日 22時20分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 帰り道、青さは残るが金柑のたわわに成る木を見つけた。季節は晩秋から冬へ、来週7日は立冬。

★金柑の黄を深めおり六地蔵        菅原 涼
★金柑や年寄り順に消ゆる島        川崎展宏
★老いて割る巌や金柑鈴なりに       西東三鬼
★乳児泣きつつ金柑握り匂はしむ      加藤楸邨


銀杏黄葉(いちょうもみじ)

2017年11月03日 20時50分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連


 20時半に帰宅。おもったよりは早く帰ってきた。風を感じることもなく暖かい一日であった。国会周辺の道路は銀杏が色づきはじめ、美しかった。銀杏も大量に落ちている木が何本かあった。
 生々しい駆け引きとは逆に、国会の外側はせめて美しく囲いたいというのであろうか。

★黄葉して思慮深々と銀杏の木     鷹羽狩行

十三夜・後の月

2017年11月03日 11時05分56秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は十五夜、満月は明日。一昨日の1日が「のちの月」の十三夜であった。「のちの月」の別名は栗名月、豆名月、ということを知ったのはいつだったか。ずいぶん昔だった気もするが、実際に「のちの月」というのを実感したのは俳句を作ってみてからのこと。
 中国から伝わったのではないようで、古くからの収穫祭のひとつが形を変えたという説明もある。要するに起源は不明らしい。栗や枝豆を供えたからということらしい。「名残の月」ともいう。「十五夜と後の月の両方を楽しまなければ無粋」などという脅迫まがいのことばは月を楽しむこととはまったく無縁と思える。

★後の月かしこき人を訪(と)ふ夜哉    与謝蕪村
 ここで「かしこき人」とは「普段近づきがたい人」の意らしい。賢い人というと嫌味もあるが、現代ならば「敷居の高い人」くらいか。私が想像したのは、例えば仲人、尊敬する学校の師・先輩、あるいは義父・義母。ひょっとしたら上司、これは生臭すぎるか。
 月の光は透明、それに照らされると、ヘタな作為や繕いや仮面は見透かされる。60代を過ぎた私たちでは、親世代に当たる師や仲人などは少なくなっている。同世代でも少しずつ身近から消えるように亡くなっていく。世代の近い先輩や畏友という残った「かしこき人」がいることがうれしい。

★十三夜書裡の恋愛ふるびたり     加藤楸邨
 「山脈」所収、1950(S25)年の作らしい、作者45歳。66歳の私からすると45歳でこの句の心境というのが、うまく想定できない。私の歳のとり方が幼いのだろうか。

★麻薬うてば十三夜の月遁走す     石田波郷
 肺結核に冒された波郷が、ろっ骨を切除した手術後に痛み止めとして「麻薬」を打ったのであろう。痛みで精神的にも、物理的にも月を見ることもできない状況が切実である。月を見る気持ちにもなれない厳しい症状が「月遁走す」に込められていると思う。まさに月が「遁走」したのであろう。翻って生きるための強い意志をも私は感じる。