Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日は休養・休肝日

2019年05月27日 10時45分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は久しぶりに缶ビール1缶、日本酒2合を飲んだ。だいぶ酔いが回って、帰宅後すぐに寝てしまった。
 日付が変わってから、ぬるいお風呂に入ったものの、浴槽の中で眠ってしまいそうになり、シャワーを浴びただけで出てきた。ふたたび就寝。
 朝シャワーを浴びて洗身、ようやくさっぱりとした。本日は休養・休肝日を妻に宣言しておこう。

 午後に予定されている総会報告の配布後は、2日の退職者会の準備で横浜市の観光案内所へ出向き、横浜の観光地図などの資料を20組収集作業。

 本日もよく腫れている。昨日の最高気温は31.3℃。本日の予想も31℃。すっかり真夏の気温である。

緊張感

2019年05月27日 00時13分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は慰労会終了後少しだけでもウォーキングに出かけようかと思っていたが、自宅に戻ると同時に寝てしまった。先ほど目が覚めてこれより入浴。
 緊張感がなくなり、のんびりした気分になってしまった。本日、午後に残務整理をこなしたのち、緊張感が抜けて、それこそ交通事故にでも遭わないように気を付けなくてはいけない。
 やはり人間は仕事がなくなると同時に緊張感がなくなり、そして羽目を外してしまうのだろうか。私はそうは思わないでこれまで過ごしてきたつもりである。自分がこなすべき仕事や業務に誠実に対応するという倫理観こそが、大事だと思ってきた。
 その緊張感というのはとても大事なことだと今更ながら実感している。これからもそれを大事にしていきたい。

 さて、明後日から一週間は組合の退職者会の業務がのしかかっている。これをしのいだらしばらく自由にしていたい。

団地の管理組合の役員任期か終了

2019年05月26日 17時32分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日、団地の管理組合の総会が終了し、理事の任期が終了。ただし明日、本日の総会の報告の管理報の印刷・配布の業務は残っている。理事の半数は残るので、一年間一緒にペアを組んだ方と新しい理事の方にバトンタッチである。もっとも専門委員会には残るので、まったく無縁となるわけではない。引続き若干の役割は残る。会議は月に一回になるし、レジュメの作成から解放される。
 夜は各自持ち込みで慰労会がある。

 本日はウォーキングは基本的にお休みのつもりであった。が、これから夜の慰労会まで時間もあるので若干散歩してくることにした。


紫陽花の咲きはじめ

2019年05月25日 22時00分03秒 | 俳句・短歌・詩等関連
   

★紫陽花の蔭に目があり見ればなし    加藤楸邨
★紫陽花のあさぎのまゝの月夜かな    鈴木花蓑
★紫陽花忌色なき夢に目覚めけり     徳田千鶴子
★かなしみのはづれより咲く額の花    平井照敏


 第二句、紫陽花と月、なかなか惹かれる取り合わせである。色鮮やかな紫陽花と月の光、これは何回か見ているが、今の時期のまだ色が鮮やかにはなっていない紫陽花と月の光、来月に見られるだろうか。
 第三句、紫陽花忌は、水原秋桜子の忌日。1981年7月17日没。紫陽花の花の終り頃に亡くなったのだろうか。現在の5月末はまだ紫陽花も咲くか咲かないか迷っている頃である。水原秋桜子についてよく語られるのは、高浜虚子と決別し、「近代的な抒情を俳句に籠めた」ということ。私はまだ水原秋桜子の俳句についてほとんど知らない。しかしいつかは勉強しなくてはいけないと思っている。
 第四句、確かにそういわれれば、悲しみは中心からは外れたところに思いがけずに現われる。

震度5弱

2019年05月25日 18時58分22秒 | 天気と自然災害
   

 昼過ぎに家の周囲の散歩に出かけた。外はムッとするほどの暑さであった。横浜市域では13時半で31.0℃を記録していた。今年一番の暑さであった。
 多分この気温が本日の最高気温となりそうである。散歩の途中、アジサイをいくつか見つけた。
 このほかにもガクアジサイが今にも開はじめそうな株を見つけたのだが、家の人らしきが近くで立ち話をしていたので、写真は遠慮した。
撮影出来なかった花はことのほか、美しかったように思えて、惜しまれる。不思議だ。

 千葉県南部の地震、家の傍の喫茶店のテレビで放映していた。発生した時は汗をかきながら歩いていた。その時はまったく気がつかなかった。たぶん振動の多い国道際を歩いていたはずである。報道では、私の住む場所や親族・友人のいるところはいづれも震度2以下であったので、ホッとした。しかし家に戻ってニュースを見るとボーリング場で天上の部材が落下している画面が映し出されていた。
 深度5弱というとやはり家屋被害も発生する。油断はできない。


「青梅」の譬喩

2019年05月25日 11時29分37秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日に続いて湿度も低く、爽やかな朝。朝の陽気とは違って「ウザイ」オジサンになってみた。

★青梅の落ちて三日の痣の膿む     遠藤誠一
★梅の実の青の豊かさ噛みしめる    藤井潤子
★青梅の青の盛りを拭ふなり      福島 眸
★落ちている実梅の一つ落着かず    京極杞陽



 昨晩、夜の軽いウォーキングをしていると路面に青い梅がいくつか転がっていた。青梅は少年時代や若い頃の喩えによく用いられる。甘酸っぱく「若い」ことの喩えに使われる。だが「青い=若い」は「若さゆえ」ということで忘却の彼方に追いやったり、比定することは自分を否定することでもある。それは出発点であり、常に現在の自分を照射する原点として向き合いたい。そうやって生きてきた。
 そんな意味合いを読み込んでも構わない句を4句ほど集めてみた。作者は違うというかもしれないが・・・・。
 第一句、失敗や間違いだけでなく為してきたことも、日が過ぎてからうずいてくる。うずきとは、常に向き合わなければならないという身体からの警告でもある。しかし向き合い癒すのは常に自分一人である。
 第二句、第三句、出発点にすべての要素が萌芽しているはず。拭い去る、というのと、拭う、は違う。拭うという語には、愛おしさが込められている。
 第四句、現在から過去を見る視点は定まりにくい。「現在」を見定めようとすればするほど、過去も同時に揺れる。

 本日は実景とは程遠い感想・妄想に近いものを綴ってみた。勝手読み、牽強付会、と云われそう。私もときどき「ウザイ」オジサンになる。

明日は横浜も30℃越えか・・

2019年05月24日 23時32分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日はとりあえずは会議の予定は入っていない。明日は気温がかなり上がるとのこと。気象庁の明日の予報では横浜で最高気温が30℃となっている。急激な30℃越えは熱中症が怖い。症状が出なくとも、暑さで体力の消耗が激しいので、とても疲れると思う。湿度が低いと快適でつい体を動かし過ぎることもある。要注意である。

 午後から読書タイムが取れるかもしれないが、土曜日なので横浜駅界隈などの繁華街では喫茶店は混む。そして明後日が団地の管理組合の総会なので、一応必要な打ち合わせがあるかもしれない。ということで、できれば家にいた方がよさそうである。


リュックに細工を少々

2019年05月24日 21時54分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 暑いくらいの気温、横浜では最高気温が15時直前に28.7℃を記録していた。7月中旬並みの気温で、今年の最高気温であったと記されている。
 梅雨入り前にも猛暑日が来てしまいそうな勢いを感じてしまう。

 先日購入した新しいリュック、多少の手を加えることにした。使いやすいように少しだけ手を加えるのが私のいつもの癖。妻はいつもそのような細工を見て、呆れている。
 サイドポケットにペットボトルを入れてもはみ出して落ちないようにゴムを左右のポケットに付けたり、屋内にいるときに野球帽を止めるものを縫い付けたり、といつも3~5か所程度の細工を行なっている。見てくれよりは機能性重視である。
 今回の細工、綺麗にできるであろうか。針と糸を使って腕の見せどころである。本日の夜と明日の午前中でできるはずである。



本日から「美術の力」

2019年05月24日 20時10分18秒 | 読書


 本日から読み始めた本は「美術の力 -表現の原点を辿る-」(宮下規久朗、光文社新書) 。

「寺社でも美術館でも、その作品が本来置かれてきた場こそが作品に生命力を与えるのだ。作品からこうした場の引力や属性を剥ぎ取って、他の作品とともにニュートラルな空間に並べることによって、作品の純粋な造形的な特質を明らかにするという信念が近代的な美術館や展示という制度を支えてきたのだが、それによって失われるものも大きいのだ。」

「場所の持っている力、いわゆるゲニウス・ロキというものだろう。ドイツの建築史家ノルベルク=シュルツが提唱し、鈴木博之氏が「地霊」と訳したこの概念は、主に建造物の建つ場所や土地の文化的・社会的・歴史的な文脈や雰囲気、人間と環境との相互作用を指すものだが、聖地や巡礼地のような名所旧跡には必ずあるはずだ。千年以上にわたって聖地であり続けたエルサレムには、それが濃厚に感じられる。」


と、まえがきに記されている。

 私はまった同感である。日本美術でも同じであろう。長谷川等伯も狩野派も、城や寺社のしかるべき場所にあってこそ映えるものもあると思われるが、現在は保存の観点もあり、当該の寺社では非公開・鑑賞できない、あるいはごく限られた期間だけの公開作品も多い。

 そんなことを考えながら、神奈川大学の生協に注文した本が手元に届く前に読み終えたいと思っている。

読了「縄文土器・土偶」(井口直司)

2019年05月24日 00時49分02秒 | 読書


 予定より少し時間がかかったが、本日読み終えたのは「縄文土器・土偶」(井口直司、角川ソフィア文庫)。

「世界を見渡すと、人間を表現したと考えられる土製品は、新石器時代の農耕社会に存在します。それらには、「産む力」にかかわる女性の特徴が強調された像が多いことから、農作物の豊穣を祈る地母神崇拝と結びつくという考え方か示されます。‥しかし土器と同じく、当時の日本列島史には農耕や地母神に結びつく要素は見当たりません。」
「縄文土器は、かたちも大きさも、発見される地域も様々で沖縄を除くほぼ全国の遺跡から見つかっています‥。前期になると西日本での発見例がなくなり、東日本に偏在します。‥後期になると再び東日本を中心に数が増え、晩期に向けて分布の中心が東北に移ります。」
「土偶は女性像であるといわれています。‥乳房や妊娠した腹部・女性器・臀部など、確かに女性の特徴を象徴的に表現した者が目立ちます。妊娠期の正中線の表現が指摘されている土偶もあります。‥農耕文化の「地母神信仰」が思い浮かびます。‥その中でも「ヘソ」に対するこだわりには強いものがあります。」
「縄文土器の姿は、女や男でなく、「特別な機能を持つ部分」と産まれる命と失われる命に対する強い意識の表れが、新たな命を生み出す男女の性を包括した、超人間的な精霊体を想像した造形であった可能性があります。」
「縄文土偶には、手足や顔よりも、胴部にある乳房やヘソなどに対するこだわりがます。ところが‥前期までは五体の表現が、人間の造形としては不完全です。前期の終わりころになると、板状土偶の胴部に、抽象的な手足や頭を表現した土偶が登場します。」
「中期以前、‥形そのものは裸体のラインとなっています。それに対して、後期の痩身仮装形土偶は、形態そのものが着衣表現に変化します。晩期の遮光器土偶は着衣性を無視でできません。縄文土偶に人間性がより強く組み込まれるようになった変化ではないかと考えられます。」


 以下はちょっと飛躍しすぎていると思う。もう少し丁寧な展開を期待したいと思った。ただし土偶が人形でも人そのものをかたどっただけのものではないことは理解できる。

「縄文の人々は、超人間的な力を敬い畏れ、精霊体の化身を創造し、そして融合して分身となり、仮装で「人間化」を強め、ついには自然界から人間を遊離させたのではないでしょうか。その大転換点として、縄文時代の中期と後期が浮かび上がってます。」

 いくつか気になった点は、刺青と思われる紋様との断言を著者は避けようとしているように思われることである。後期の仮装形土偶の説明で「髭か刺青」と微妙な表現は出てくるが、断定はしていない。私などは「刺青の風習」として教わったり、読んだりした経験があり、不思議な気がした。
 また裸でなければ表現できない「乳房・正中線・ヘソ・女性器」などの要素が後期になり着衣性が否定できなくなっていく展開にもう少しこだわった叙述を期待したかった。これは別の著者の言及を探した方が良いかもしれない。

 はじめの第1章と最後の第4章は、残念ながらとてもではないが、ついていけない「日本論」である。これはいただけない。縄文の世界と、現代の日本が、その間の歴史を一切飛ばして結び付けられてしまう。あまりに乱暴で安直な飛躍である。残念ながらこの方の著作はこれ以上は遠慮させてもらう。




夜の荷物運び

2019年05月23日 23時25分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜の打合せは一時間ほどで終了。近くのドラッグストアで買いたいものがたくさんあるとのことで、いつものとおり荷物運びで雇われた。われたといってもお小遣いはなし。ビニール袋二つをぶら下げて往復3000千歩ほど、ウォーキングよりも疲れた。雇アイスキャンディの1本でもねだってもよかったかもしれない。
 これから深夜にかけて、「縄文土器・土偶」の記事をいつものように覚書風に記載したい。

 明日は朝から退職者会の会議。早めに家を出なくてはいけない。


冷麦、冷やし素麺

2019年05月23日 20時58分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夜になりいっとき風が強くなった。今はまたおさまって無風状態。
 昼食は久しぶりに家の近くにあるイタリアンの店を訪れた。実に4か月ぶりくらいだろうか。たまには昼のイタリアンも悪くない。とはいえ二人で2000円余の贅沢となってしまった。その後、妻は歩いて15分ほどのところのスーパーへ、私は横浜駅までの往復のウォーキングをおこない、途中30分ばかりの読書タイムを確保した。読み終わってすぐに百円ショップで頼まれた買い物をいくつか。ついでに300グラム100円の島原素麺を二つ購入。夏の昼食用である。

 冷麦も冷し素麺も夏の季語。

★冷麦に朱の一閃や姉遠し      秋元不死男

 冷麦には赤や青の色を付けた一~二本がかならず一束に入っていた。師弟で取り合いをしたか、姉が分けてくれたのか、敢えて何も言っていないが、思い出があるのであろう。多分やさしい姉だったのかと推察した方が良いかもしれない。おとなになり、行き来も少なくなり疎遠になる肉親との関係、私よりも家族のきずなが強い一世代も二世代も上の人には言い知れぬ淋しさがともなう感情なのだと思う。まして私は一人っ子である。


夏掛け

2019年05月23日 11時57分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 爽やかな秋のような朝、名は知らないが小鳥の声での目覚め、なかなかいい気分である。梅雨入り前の束の間の過ごしやすい日々なのだと思う。
 昨晩から掛け布団を夏用にした。とても軽く感じる。例年ならば、梅雨が明けるとそれも止めて、うすいタオルケット1枚に変える。夏の暑い季節も好きであるが、暑がりで汗かき、かつ冷房・扇風機嫌いの私は、真夏の睡眠時間が嫌いである。生物が生きて行くための基本的な要素をしないのは、生存そのものの否定であることは承知しているつもりである。でも夏は寝ないでも済ませたいほどである。
 明日は、朝から退職者会の会議。昨晩、読書も趣味もちょっと横に置いて‥と記載したものの、本日は読みかけの本を読んでしまいたい。翌日には前言撤回、これではとんでも政治家を馬鹿にできないか。

★夏掛けの男のごとく頼りなき      小林貴子
★暁の足にさぐるや夏布団        青木月斗


 所詮男など頼りにしてはいけないのだ、と男である私がいうと逃げになるのか。頼る心がもとよりいけないのだ、と開き直ってしまう私である。一方で頼りないなら始めから相手にしてもらえなかったのにその期待に応えていない、という後ろめたさもある。男とはどんな存在であるのか、いつまでも自問自答が続く。


立つ鳥跡を濁さず

2019年05月22日 23時30分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 団地の会議終了後、30分程の夜のウォーキングに出かけた。月はまだ出ていなかった。東の空は厚い雲で覆われており、上って来ても見えないと思われた。土星とはかなり近くに見えているはずなので、寝る前にもう一度団地の端っこから見てみたい。月の東側には昨日と同様に木星も見えているはずである。

 明日の夜も夕食後にまた打合せをすることになった。任期の最後は今度の日曜日。任期は最後まできちんと終わらせないといけない。立つ鳥跡を濁さず、といきたい。後は野となれ山となれ、は私の嫌うところである。
 読書も趣味もそれまではちょっと横に置いておく。


本を2冊も注文

2019年05月22日 18時38分30秒 | 読書
 昼頃一時雲に太陽が隠れたのを除き、陽射しは途切れることはなかったようだ。横浜の最高気温は予報よりは低くなるようで、今のところ14時前の24.1℃となっている。それでも半袖で十分であった。
 頼まれた買い物を横浜駅近くのスーパーで済ませてから、神奈川大学のキャンパスまで歩き生協で本を2冊注文。

・「絵を見る技術-名画の構造を読み解く」(秋田麻早子、朝日出版社)
・「マネの絵画」(ミシェル・フーコー、ちくま学芸文庫)


 一割引きになるがそれでも2冊で3160円ほど。一度に払うのはつらいが思い切って注文してしまった。1週間ないし10日後までにお小遣いの算段をしなくてはいけなくなった。

 家に着いたらすでに1万歩を大きく超えていた。
 夕食後からは、それほどは長くはかからないと思うが、団地での会議。