Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

昨晩は立待月

2019年05月22日 05時43分54秒 | 読書
 昨晩は雨がすっかり上がってから40分ほどのウォーキングが出来た。雨の後の夜空は奥行きが深い。月がことのほか映えていた。月が群雲の間を渡り歩くように見えた。満月から二晩目の立待月、月齢16の月であった。満月の19日の夜は木星の右上に見えたが、昨晩は月が木星が右上に見えた。
 むろん十六夜よりは細くなっている。あと二日くらいしての月、いわゆる寝待月、更待月、月齢にして18~19くらいの月の欠け具合が嬉しいのだが、月の出る時間が遅いのであまり見る機会がない。

 本日からは気温が上がる。晴れ時々曇りの予報で、最高気温が27℃となっている。昨日が21.7℃だったので5℃は高くなるようだ。湿度にも寄るが、熱中症に注意ということだろうか。

雨が再び降り始めた

2019年05月21日 20時26分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夕方近くになり、いったん雨が上がったので、団地内の見回りと巡回をした。途中から再び雨が降り出し、傘を持参しなかったのでかなり濡れてしまった。さいわい風が強かったものの異常はなかった。
 いったん家に戻り傘をさして頼まれた買い物に出かけた。スーパーの特売の品を買って来て欲しいという。一日外に出ていないので、ウォーキングがてら往復30分程度歩いてきた。帰りには雨は上がっていた。

 ひどい風と雨であったのだが、上がった後がスッキリしない。20時くらいからまた降り出した。音をたてて降っている。これでは夜のウォーキングも難しいかもしれない。

 昨日の会議で決まった日程をスケジュール帳に記載。先月・今月とすくジュールはずいぶんとうまっている。そして変更や直前に飛び込んでくる日程がたくさんあった。鮮かな日程を打ち込むだけでなく、打ち出しも何回もせざるを得なかった。週に2回も打ち出した時もある。
 日程が立て込んでいるというのは嬉しいこともあるが、一方でつらくもなってきた。一日の予定が三つも入ってくると途端に面倒になってしまう。それが3日も続くと休みたくなる。一日で同じことをこなすならば耐えられるが、別のことが3つも続くと頭の切り替えが出来なくて、飽和状態になってしまう。
 やはり歳を取ったのだとつくづくと思う。

★風の音朴の若葉に来て消ゆる      稲畑汀子
★ずぶ濡れの少年に会ふ青葉山      雨宮きぬよ


 団地の中の樹林地を巡回してきた私は、雨に濡れて上着はすっかり濡れてしまった。小高い地点に立つとふと少年時代にタイムスリップしている。剥き出しの岩が濡れて少年の頃よりも足元が不安であったが‥。


傘をすぼめるということ

2019年05月21日 12時58分28秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昼近くになり雨が強まってきた。横間市内で一番強い雨の区域は30ミリの表示である。風が強いので、雨がもっと強いのではないかと錯覚してしまう。最大瞬間風速は南南東の風で22メートル、10時前に記録している。
 関東地方では風の影響なのかはっきりはしないようだが、停電も起きていると報道していた。

 テレビのニュースを見ていていつも不思議に思うことがある。風が強いのに傘をすぼめている人が極めて少ないことである。あれでは風に煽られて傘が反転したり、風で持っていかれてしまう。そして危険である。両手で傘の柄をもって、すぼめるだけで風速10mならば十分耐えられはずである。私は小学2年生の頃、担任の先生から傘をすぼめることを教えてもらった。実に鮮明に覚えている。
 傘をすぼめるのと、そのまま持つのとではどれだけ傘を持つ力に差が出るか、ということを「今度風が強い日に自分で確かめてみよう」といわれた。数日たってからだったと思うが、風の強い日に、みんなで学校にあった傘を使って風に向って開いたり、閉じたり、すぼめたりした。短時間だったが、皆すぐに理解した。以来、傘は風が強ければすぼめるのだと理解した。風の力のすごさを実際に知ったことと、傘を大事に使うということを教えてもらった。
 ただし傘をすぐにどこかに忘れてしまうことは中学生になっても治らなかった。それでも風であおられて壊す、ということはしなかったと思う。
 私の周囲では、風が強ければ傘をすぼめて使うというのは、ごく当たり前のように皆が実施していたと思うのだが‥。


横浜は大雨・洪水警報

2019年05月21日 10時04分37秒 | 天気と自然災害
 現在横浜市域には、「大雨(土砂災害・浸水害)、洪水」警報と、強風・雷・波浪注意報が発表されている。
 雨の区域は、昨晩は南から北に移動していたが現在は南西から北東に向って移動している。雨も強いところで20ミリ未満である。富士山・箱根が強い雨の区域を遮断している。

 昨晩は、日付が変わったころから再び雨・風が強まった。風呂の中で雨だれの音、新しい青葉を揺らす風の音を聞きながら、ぬるいお風呂に30分近く浸かっていた。私にとってはこの日付が変わる頃の長湯が至福の時である。特に雨の音を聞きながらの長湯は気分が落ち着く。自然の水の音というのは、川、沢、瀧、湖・海の波、雨の音、どれもが人の気持ちを和ませる。
 私は台風による高潮、津波の音は聞いたことはないが、それらは豪雨・急流・濁流などよりも不安や恐怖を駆り立てる低音の響きであるとのことだ。
 しかし同時にそれらの災害をもたらす水の音を、大気や地球の鼓動のように聞いてしまうのも悲しいかな、人間である。自然から遠ざかって生きていると錯覚した人間に対する自然のしっぺ返し、という把握もされる。
 山登りを続けていると、このような自然の音に敏感になる。特に水の音を聞き分けることは、生死を分ける場合もある。聴覚は生きのびるうえで、重要な位置を占めるのは間違いがない。
 水場の少ない山道で、水場を発見するときというのは、視覚よりもか細い水の音であることが多い。くぼ地やがけ地の小さな穴の先に水の音を探り当てたときのホッとする気分は、何事にもかえがたい。
 水の音に限らず風の音などの自然の音などが、心地よい音から危険な音として認知する境界値というのは存在するのか、と大昔に考えたことがある。だが経験によってもそれは変る。また経験を積んだからといって、それが的確な判断になるかというとそれも怪しい。危険と判断したとしても避けられない場合もある。絶対的な数値予報には変えることはできないし、そんなに単純なものでもない。

 こんなことを考えているうちに、すっかり寝入って朝を迎えた。今朝は強い風と雨の音で目が覚めた。今朝の風の音は心地よい音ではないが、差し迫った危険を予感させる音でもない。だが、外には出ない方がいいという響きである。


枇杷を食す

2019年05月20日 23時52分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 1時間ほど前から雨の音はしなくなった。風もおさまっている。雨の区域は南から北へ移動している。風も南風である。湿度はとても高い。

 明日は二十四節気の「小満」。太陽黄経が60度のときで、立夏から数えて15日目。またはこの日から芒種の前日までをいう。陽気が良くなって、万物の成長する気が次第に長じて天地に満ち始めることから小満といわれるとのことである。
 同時に本日のように梅雨の走りの頃でもある。

★小満やみどりさしたる寺の屋根     森澄雄
★青梅の臀うつくしくそろひけり     室生犀星
★枇杷すすりをはりし双手宙にせる    岸風三楼


 小満、私にはあまりなじみのない二十四節気のひとつである。
 スーパーや酒屋の店頭に梅酒用の焼酎や、梅酒を付けるための広口瓶が並び始めた。我が家ではこの時期に前年の今ごろに漬けた梅酒の瓶を取り出して、ペットボトルなどに移す。だいたい3年位ごとに梅酒を造り、チビチビと飲んでいる。
 本日は今年3度目の枇杷を口にした。まだとても高い。残念ながら甘さと水分が今ひとつ。枇杷の季節は短い。いつも果汁を服に垂らすと取れないとのことで、台所の流しで食べさせられる。
 枇杷の実は、仙台での学生生活の頃に、通学路にある民家の庭によく成っていた。それを時々黙ってもいで頂戴した。果物など買えないし、枇杷はことに高価だったので嬉しかったが、見つかれば当然、怒られたであろう。あるいは見つかっていても許してもらっていたのだろうか。この歳ではとてもできることではない。もう50年前の「犯罪」である。 

本降りの雨

2019年05月20日 21時32分51秒 | 天気と自然災害
 久しぶりに友人と横浜駅近くの居酒屋にはいり、先ほど帰宅。予報よりは少し遅く19時過ぎくらいから雨が強く降り始めた。本降りになると同時に風も強くなり、だいぶ荒れ模様の天気になってきた。
 レインアイよこはまの画像を見ると、この雨の区域は意外と狭く、間もなくいったんは雨が上がりそうである。

 本日の幹事会、朝からたくさん働いた。終了したのは16時過ぎで、すっかり草臥れてしまった。朝9時半過ぎに組合の会館に着いた時の歩数計は3000歩だった。その後16時過ぎまでずっと同じビルの中にいた。歩数計は6500歩。あの狭い建物の中でずいぶんと歩き回ったものである。

箱根で噴火警戒レベル2

2019年05月20日 08時57分42秒 | 天気と自然災害
 箱根では噴火警戒レベルが2に引き上げられたと報道されている。昨日からロープウェイも止まったという。気象庁では「想定火口域内では、弾道を描いて飛散する大きな噴石に警戒してください。地元自治体等の指示に従って危険な地域には立ち入らないでください。噴火時には、風下側では火山灰だけでなく小さな噴石が風に流されて降るため注意してください」と呼び掛けている。

 本日は朝から退職者会の打合せと幹事会。9時半に組合の会館に着くように家を出た。14時からの幹事会は二カ月に一度のメール作業がある。13時前からこの作業となり、いつもは14時15分位までかかる。36人で1100通ほどのメールを作成する。退職者会ニュースをメインに、各ブロックごとの通信、サークルのお知らせ、協力業者の作成したチラシ類等々。多い時で10種類くらいにもなる。
 その作業が終わると直ちに幹事会を始める。幹事会が1時間半ほどで終わると、事務局担当をはじめ各幹事は疲労困憊である。その後のワンコインのビールが格別に美味しく感じる。

 私も自分のブロック用にいくつかの作業を夕べのうちにこなしておいた。

 本日の夕方から明日にかけて雨が続くとのこと。特に明日火曜日は荒れた天気になるとのこと。そろそろ梅雨が始まる。


満月&十五夜

2019年05月19日 23時39分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 今夜は満月と十五夜が重なった日。新月から15日目の月が十五夜の月。満月は月と太陽の黄経差が180度となる瞬間。満月のときは月齢で13.5~15.8(平均で14.8)。満月と十五夜は一致する場合の方が少ない。
 先ほど月を観てきた。薄い雲の向こうに朧に見えた。すぐ東の地平線側に木星を従えている。なかなか見ごたえがある。月は満月よりも少し欠けているほうが趣きはあると思う。また三日月は明るすぎずに星が見つけやすいので、私は好みである。
 だが満月でも木星や土星、火星・金星などがすぐ傍にあるときは趣もあると思う。私は、満月が単独で空にドンと鎮座しているとちょっとひいてしまう。せめて群雲が欲しいと思う。

 明日から雨が続くという。走り梅雨か、本格的な梅雨の始まりだろうか。

★わが庭に椎の闇あり梅雨の月      山口青邨
★チャペルより靴の音響く梅雨の月    藤井静三

ようやく読書タイム

2019年05月19日 21時14分02秒 | 読書
 夕方のウォーキングの途中、私鉄の駅の傍で本日2回目の喫茶店での休息。2回目の喫茶店はチェーン店でごく安い。コーヒーではなくアイスティーで水分補給も兼ねて。

 夕食後にようやく本日の読書タイム。縄文土器、土偶の説明を読んだ。時々昨年の陶器用国立博物館での「縄文展」の図録の写真とも比較しながら読んだ。いろいろ感想がある。勉強になった点はたくさんある。しかし「縄文土器・土偶」(井口直司、角川ソフィア文庫)の内容すべてに同意は難しい。感想は読み終わってから‥。

つらかった荷物持ち

2019年05月19日 20時06分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昼食がてら団地から歩いて10分ほどのところにある喫茶店に久しぶりに入った。名物のサンドイッチと、サイフォンで淹れた美味しいコーヒーを注文。30分ほどくつろいだ。ここまでは良かったが、この喫茶店から家と反対方向にあるスーパーまで付き合うことと、帰りにクリーニング店で仕上がった冬物を持って帰るのを手伝えという。
 そのくらいならばと付き合ったのだが、買い物の量が多く重い。さらに抱えきらないほどの冬物のダウンのコートやセーターなど大袋に二つ。とんでもないポーターをさせられてしまった。
 しかもスーパーで四合瓶の日本酒を買い物籠にそれとなく入れようとしていたのだが、瓶を入れる前にさっさとレジを終えてしまっていた。どうも私の魂胆を察して籠が重くなる前に急いでレジに向ったようだった。
 もっともその四合瓶を購入していたら、帰りの荷物はさらに重くなっていたことになる。

 残念ながら私の負けであった。

 夕方に1万歩ほどのウォーキングで憂さ晴らし。

静かな日曜日

2019年05月19日 11時02分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩はなぜかお疲れモードで終始。年齢のためなのか、毎日定時に出勤するような仕事を続けていないためなのか、気力と体力が不定期に萎えてしまうことがある。体調不良というほどではないと思うのだが‥。

 本日の目覚めはとても良好。日曜日なので横浜駅まで出かけても人出の中に身を置いて疲れるだけである。仮に出かけたとしてもその周辺の人があまり多くないところにしたいものである。全国展開の安い喫茶店でも混雑している店とそれほどの人が入っていない店とがある。平日に人がたくさん入っていても土・日にすいている店が狙い目である。
 少々高めだが、丁寧に美味しいコーヒーを淹れてくれる店に入るのも土・日のならではの贅沢かもしれない。しかしその場合は現金払いなので、一人ではなかなか入れない。財布を握っている人が同行しないと入れない。そしてその時は読書タイムとはならない。

 天気は悪くはないので出かけたいのであるが、果たして同意が得られるような静かな場所が見つかるだろうか。


眺めるだけのテレビ

2019年05月18日 23時38分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は読書タイムは確保できずじまい。団地の会議終了後はボーッとテレビを見ていた。何かをする気が湧いてこないうちに、時間が経ってしまった。
 デレビの番組も、何を見ていたか記憶には残っていない。コマーシャルばかりが放映されていたようで、ウーロン茶を飲んでいたことだけは記憶している。要するにテレビの番組が基本的に好きではないということなのだろう。

 ある友人に言わせると、テレビを見ていて何を見ていたのか思い出せないというのは、認知機能に齟齬をきたしているのではないか、という。普通はおぼえているものだ、と断言されてしまう。
 私は、テレビの画面を眺めているだけで、内容を認識しようとしてはいないし、つまらないバラエティと称する番組に付き合うつもりもないと、反論する。反論しながら、テレビを見ないで外の梢の風に揺れる様を見ている方が目にもいいのではないか、と自分でも思う。
 だからその友人との会話はいつもこのやり取りで終わってしまう。

 本を読む気力がわかない時には、昔の美術展の図録などをながめるといい、とある人に言われた。もっともな意見であるが、つい細かいところまで見入ったり、解説の文章に目が移ったりして、結局は読書と同じようになってしまう。そのようなときは目がショボショボとなり、睡眠薬を飲んだようにすぐに寝てしまうことが多くなった。

 最近は、妻にもテレビを見ているのか寝ているのか、本を読んでいるのか寝ているのか、といつも問い詰められ、そしてからかわれる。悲しいものがある。

本日は齟齬ばかり

2019年05月18日 16時34分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中の会議はあぶなく遅刻しそうであった。はじまる5分ほど前に到着。終了後若干の作業をしてから喫茶店でサンドウィッチの昼食。昼食はご飯を食べたかったのだが、財布を忘れてしまい、電子マネーの使える喫茶店で済ませた。
 遅い昼食後、いったん家に戻ってから団地の打合せに出る予定だったが、家の鍵も忘れていたため、入れなかった。妻が買い物に出かけていた。やむなく、そのまま打合せ会場に出向いた。終了後、妻がちょうど帰宅したので無事家に入ることができた。以前はリュックの中にも喚びの鍵をしまい込んでいたのだが、いつの間にか止めていた。その習慣を復活した方がよさそうだ。

 本日は財布と鍵を同時に忘れ、スマホの電池もほぼなくなりそうなまま出かけ、さらに組合の会館で充電するのを忘れたりするなど齟齬が多い。気を付けないと、それこそ交通事故にでも遭ってしまいそうである。

 団地での打ち合わせ会議の後、無性に眠くなって30分ほど昼寝。これより19時からの会議の資料の印刷・製本作業。
 

普段使いのリュックの買換え

2019年05月18日 10時26分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昼前から組合の会館で会議に参加予定。午後まで若干の仕事の後は、団地に戻って打合せ、そして夜から再び管理組合の会議である。
 どうにか、団地の方の役員の任期が間もなく終了となる。2年間の任期、長かったというのが実感。しかし随分と他の役員の方やボランティアの方に助けてもらえた。役員の任期は間もなく終わるが、一応お手伝いはあと2年間はすることになった。ただし会議は月に1回で済む。

 リュックがだいぶ草臥れてきたので、昨日横浜美術館に入る前に山の用品店で新しいのを見繕った。しっかりした25リットルの黒いリュックとはまだちゃんと使えるので、そちらはカメラなどを持ち歩く場合に使う予定。雨の紐ザックカバーがついているので便利である。
 新しいものは軽さ重視である。女性用のコーナーで見つけて背負ってみたら特に支障はないので決めた。ただし好みの色がなかったので、注文。2~3日以内に入荷するといわれている。

 ビジネス用のリュックにしようとも考えたが、やはり重い。山用のもののほうが軽い上に頑丈で、使い勝手もいい。背負った時のフィット感は山用の方が比べ物にならないほどいい。20リットルと小さいがこれで充分である。
 しかし税込み約8500円は予定外の出費になってしまった。これで当分は高いお酒は変えなくなった。

 旅行のときは黒い25リットルのものか、別途青い30リットルのものを使うことにしている。

横浜美術館でモローの作品

2019年05月17日 22時22分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 横浜美術館を出た後、喫茶店で美術館で仕入れたチラシや、持参していた文庫本を読んでいたらいつの間にか17時半を過ぎてしまった。みなとみらい地区で働いている人が大勢横浜駅に向かって歩いている。混雑で横浜駅が込み合ってしまうのであわてて人を掻きわけながら横浜駅まで歩いた。
 しかし東口の地下街も自由通路も通勤客でいっぱい。やむなく流れに身をゆだねるように混雑の中を歩いて西口にたどり着いた。工事の為、西口の地下街に通じる通路はとても狭く、混雑時には人と接触しないでそこを通過するのが困難である。本日はかろうじて2回ほど接触しただけで通過出来た。

 横浜駅から歩いて帰宅したかったが、夕食時間に間に合わないので、地下鉄で帰宅。それでも汗ばんで帰宅した。



 横浜美術館の展示を見ていたら、ギュスタープ・モローの「岩の上の女神」(1890)が展示されていた。ショップではポストカードも販売していた。
 裸体の女性のポーズは「デリラ」にそっくりである。特に下半身の足の組み方は同一である。初め見たときは、午前中に取り上げた「デリラ」の完成作といわれる1896年の作品かと勘違いした。
 よく見ると、女性の右手に蛇が絡まり、頭の上を鳥が飛んでいる。髪の毛の形も違う。さらに背景は室内ではなく、屋外それも崖下ないし洞窟の中のような雰囲気である。題名も「女神」であるので、デリラとは違うのがわかった。表情も少し若い雰囲気である。しかも1980年の作品とされていた。
 しかしここまで同じポーズというのも不思議に思えた。