本日のオンライン講座は「美術の物語(ゴンブリッチ)」の第14回目、「14 伝統と変革2」として15世紀のアルプス以北の建築と絵画。いわゆる北方ルネサンスの始まりの状況。
ファン・エイクを嚆矢として、展開されているが、建築史を絡めて説明があるとよく理解できると感じた。
私は取り上げあれた作品の加中ではジャン・フーケ、ウェイデン、クラーナハにひかれた。
これより買い物に付き合うことになった。歩いて20分ほどのスーパーまで。
本日のオンライン講座は「美術の物語(ゴンブリッチ)」の第14回目、「14 伝統と変革2」として15世紀のアルプス以北の建築と絵画。いわゆる北方ルネサンスの始まりの状況。
ファン・エイクを嚆矢として、展開されているが、建築史を絡めて説明があるとよく理解できると感じた。
私は取り上げあれた作品の加中ではジャン・フーケ、ウェイデン、クラーナハにひかれた。
これより買い物に付き合うことになった。歩いて20分ほどのスーパーまで。
本日の午後、パソコンの画面の表示をいろいろ工夫してみた。さらにデータを保存する外付けの2台のSSDと、ハードディスク1台をどのように有効活用するか、活用しやすい形態をいろいろ悩んでいた。
意外と画像のデータが多い。好きな画家の作品を図録やポストカードからスキャナーで取り込んだデータ、持っているCDの表紙や解説書をスキャナーで取り込んだデータ、撮りためた写真データが多い。20年分である。
そして組合関係やブログの記事、学生時代の友人との手紙のやり取りなどの文書データも30年分ある。
どこにどのデータを収納し、ショートカットキーを使いやすいようにするにはどのように配置するか、悩みは尽きない。
私にとっては価値はあるが、私が死ねば価値はなくなるものでもある。しかし生きているうちは保存しておきたい。活用したい。私の記憶の抽斗に入れておきたい。活用できるだけの能力についてはないとは思うが、断言してしまうのは寂しいものがある。
そんなことを思いながら、使いやすい画面、パソコンの作動に負荷となりにくい画面を模索してようやくひと段落した。
この間、少なくともひと月はパソコンに振り回されてきたが、これにて終わりと思う状態に持ってきた。
明日は10時から今年最後のオンライン講座。資料を打ち出して本日の作業は終了としたい。
1時間ほど前にオンライン飲み会は終了。オンラインであってもしゃべりながら飲むと、いつも家で飲むよりは量を飲んでしまう。不思議に悪酔いにはならない。気持ちよく飲んでしまった。この時期なので「忘年会」であった。
年賀状を投函してほっとしているが、本日も感染者は多数出たようだ。都内の美術展で行きたいものが多数あるのだが、美術展よりも混雑した電車に長時間乗ることに躊躇いを感じる。しばらく都内に出向かないでいると、横浜から北上して多摩川を越えるのが面倒に思えるようになってきた。
感染が怖くてためらうというよりも、都内まで出かけることが億劫になっている、と表現するほうが適切な状況説明になっている。
横浜駅から25分で東京駅、30分で上野駅であるが、考えてみればあのスピードでの30分である。十分に遠出である。片道1時間が通勤圏内、と言われるけれどもそれが異常なのかもしれない。否、それが普通だということを疑ったほうがいいのであろう。
そんなことを考えながら、もう年末である。いよいよ古稀を迎える年がすぐ目の前に迫ってきている。
昨晩は私のほうが年賀状の仕上がりが早かった。妻の年賀状が出来上がるまで、私はベートーベンのヴァイオリン協奏曲を聴いて充実したひととき。
聴き終わってすぐに妻も作業が終了。0時半ころに、二人で近くの郵便ポストに年賀状を投函してきた。往復で6分程度だが、こんな時間に二人で外に出るなどということは何十年もなかった。
途中で若い女性の一人歩きとすれ違った。向こうは私ども年寄りの夫婦が深夜に歩いていることが不審に思えたのだろうか、こちらを注視していた。お互いに「年末のこんな時間に」と思いながら、不思議に思っていたのではないか。
帰宅後、私は録画していたベートーベンの第9交響曲(サイモン・ラトル指揮、ロンドン交響楽団)を聴いた。少々夜更かしが過ぎた。昼になってもあくびが連続して出る。
本日の夜はオンラインの飲み会。
何とか年賀状を書き終えた、というか印刷を終了した。本日中にポストに投函する予定。妻も書き終えるようだ。プリンターの不具合で一枚失敗。
ひょっとしたら、昨年よりは早く出来上がったかもしれない。
明日から再び退職者会の記念誌の編集をこなす予定。といっても渡された原稿はほぼ打ち終えた。私が埋めなくてはいけない箇所がまだ多数ある。この5年間の取り組みの報告部分である。こちらはしんどいものがある。全体の出来上がりはまだ4月末までである。焦っても仕方がない。
そろそろ目がショボショボ。本日はこれ以上は目を使いたくない。熱めのタオルで目の休養をしたい。その間、ベートーベンの曲を何か聴いてみたい。やはりヴァイオリン協奏曲がいい。久しぶりにヨゼフ・スークのヴァイオリンがいいかもしれない。
木星と土星はだいぶ離れている。右下にかすかに光っているのが土星。土星が見にくくなるのは早い。暗くなる前に南西の空に沈んでしまいそうになっている。土星はすぐに雲に隠れて見えなくなってしまう。
富士山と一緒に見写るといいのだが、少し離れすぎている。
本日は組合の会館に短時間だけ立ち寄り、すぐに石川町駅の高架下にある喫茶店に入り、若干の読書タイム。
隣の関内駅の目の前のビルに書店が入っていた。しかし市役所の移転前に撤退してしまった。伊勢佐木町の有隣堂本店までは少し遠いので、やむなく横浜駅の有隣堂へ。特に購入する予定の本はなかったが、「世界1月号」を購入した。
1980年代はには3年ほど定期購入していたが、いつの間にかやめてしまった。いつもひとつか二つの論考を読むだけで次の号が来てしまい、新聞と一緒に廃棄していた。退職者会の友人がしきりに奨めるので、年末用に購入してみた。
本日も神奈川は500名近い感染者の報告があった。私が訪れた時間帯、横浜駅の地下はまだ混雑していなかった。
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催している「ベルナール・ビュフェ回顧展」を見に行きたいのだが、躊躇している。会期は1月24日までである。
あまりテレビを見ない。見るものが限られている。
現在よく見るのは、「2355」と「ピタゴラスイッチ」というふたつの5分間番組。「2355」では現在「冬毛の歌」とそこにシマエナガが登場するので、妻も必ず見ている。「日曜美術館」は必ず見る。3番組ともEテレである。
NHK総合の「ドキュメント72」も見たいと思う番組である。最近は見る頻度が落ちてしまったが、以前は必ず見ていた。また見るようにしたい番組である。腰の据わったドキュメンタリーだと思う。「ブラタモリ」は地質を身近なものにした功績はある。朝食をとりながら「あさイチ」はちらちら程度に見るが、月曜から水曜までのみ。木・金はつまらない。天気予報は必ず一日に数回は確認する。定期的に見ているのはこの程度。
BSでは「新日本風土記」を定期的には見ないが、時々見る。これも好感の持てる腰の据わった番組である。「地球タクシー」も時々見ている。これも短い番組だが好感度である。
BSのクラシック音楽の番組も見る・聴く頻度が高い。最近は録画が簡単なので、ブラームス、そして今年はベートーベンを中心に見ることがある。「コズミックフロント」を見る機会は多い。科学番組は見る頻度は高いが、疑問点がいろいろとあって、映像の細かな点で不用意なところも目に付く。結論ありきで、論理の飛躍も多い。とても気になっている。科学番組も複数の視点での構成が必要だと思う。民放にはまったく期待できない分野なので、もう少し丁寧なつくりが欲しい。
民放はほとんど見ない。コマーシャルの間隔の短さとしつこさに閉口。妻が見ているいくつかの番組を一緒に見る機会もある。ロケ、食、対談等々落ち着きのある好印象の番組もあるが、コマーシャルに寸断され、私の頭の中の時間の流れと一致しないので意識に残らない。
年賀状、あて名の印刷までは終了。本日の作業はここまで。年賀状に書く文章を考えるために、私的な一年の振り返りをしているが、なかなかすぐには思い出せない。
まずは読書一覧、病気の経過、訪れたところを思い出すことから始めないといけない。政治・経済・社会情勢からというふうに大上段にかぶった文章など、年賀状にそぐわないし、受け取るほうも迷惑だろう。あまりに私的な文章もやはり迷惑。
69年という年月の世代としての感慨などが共通点というか、接点だと思いながら、今晩考えてみることにした。考えながら寝てしまわなければ、いいのだが。
毎年考えていることは同じなのだが、やはり毎年悩むものである。
さて、本日せっかく組合の会館まで出かけながら、用件をひとつ忘れていた。明日また出かけなければいけないのだが、東京都も900名近くになったし、神奈川県の感染確認数も495名と大幅に増加。あまり遠くには出かけたるのも考え物である。本日、忘れなければよかったと大いに反省。
もっとも家の周囲は気兼ねなく歩き回っている。買い物にも喫茶店にも公園にも、そして病院にも出かけている。
退職者会の記念誌の編集は年賀状がすべて完成するまでお預けである。明日中には投函したいのだが‥。
組合の会館に出向いたら、1月4日に発送する新年号がすでに納品されていた。ひとまずホッとした。
帰りには横浜駅の地下街にあるチケットショップにて年賀ハガキを62円にて120枚購入。
書店にて、「日経サイエンス1月号」と「日経おとなのOFF 2021美術展」を購入。
ともに年末・年始の読み物、美術展のチェックに活用予定。特に美術展は今年はあまり行かれなかったので、来年には期待したい。私は前もって予定を立ててから美術館・博物館に行くというのが苦手である。その日の朝に予定がないときにふと思い立って訪れたい。
だから「予約制」という美術館は苦手である。昔は内覧会に申し込んでいたが、退職後はやめてしまった。現役のころは「予定を立てているので‥」と急な予定が入るのを断る口実に内覧会などを活用させてもらった。退職後は、一人で行く分には予定は立てたくない、という風にやってきた。わがまま親爺は世の中になかなか同調できないのである。
短時間で買い物を済ませて、帰宅。残念ながら曇り空で木星・土星は見えなかった。
午前中は退職者会の記念誌の編集作業を若干、そして年賀状の図案を作成しているうちに昼になった。
これより久しぶりに組合の会館で所要を済ませてから、年賀状の購入など。
何十年もの間、年賀状には干支の関係の図案は使ったことがないのだが、相談しているうちになんとなく牛の雪だるまの図案が浮上してきた。妻の押しもあり、今年は使ってみることにした。
ごく単純にはがきに張り付けてみた。定型的な文言も張り付け、あとは自分の言葉を挿入する欄を設けて、本日の作業は終了。
この具合では年賀状の作成は早めに済みそうである。ただし、私は添える文章がいつも長い。自筆ではなく、パソコンですべて印刷。基本パターンが5種類ほど。それをさらに細分して合わせて20種近くにもなるので、印刷に時間がかかる。
相手の顔を思い出しながらその面倒さを楽しんでいる。ほとんど自筆で個別に文章を書いているに近い。あくまで私の悪筆を隠すための方策である。
本日は結局桜木町の駅のそばにある百円ショップへ。しかし目的の商品2種のうちひとつだけしか手に入らなかった。地下鉄で横浜駅を通ったものの、地下鉄内は比較的すいていた。
その後、新市庁舎の2階の喫茶店でコーヒー&読書タイム。空いていて静かで、快適な時間を過ごすことができた。今度からここも有力な選択肢に入れておくことにした。意外と穴場のような気がする。隣には書店もある。この場所を見つけたことを本日の有意義な収穫としたい。
電車賃とコーヒー代で250円ほど余分にかかるが、静かな雰囲気のほうが勝る。
「シュルレアリスム宣言」を引き続き読んでから帰宅。帰りの地下鉄は学生の下校時間でもあり少々混雑。もう少し帰りを早めたほうが電車は空いているようだ。
本日はもう私の肉眼でも土星と木星は離れて見えた。昨日までは私の肉眼では分離して見えなかったが一日でずいぶんと離れたものである。そしてどんどん西に沈む時間が早くなっていく。天頂には上限の半月(正確には昨日)が火星と並んで輝いていた。木星と土星の観測には不向きとなっていく。
もっとも専門的でもないし、「アマチュア天文家」でもない私には、夕方のほうが見るのは楽である。それこそ仕事から帰りがけだけの天文ファンである。
あえて言えば現役時代は「帰宅間際天文ファン」。しかも50代になるまではそんなに早くは帰ることはできなかった。深夜になっての帰宅は空を見上げるゆとりもなく、早く玄関にたどり着いて、風呂に入って組合の仕事をこなさなくてはならなかった。
59歳になって組合の支部長を外れてからの1年半だけであったが、宵の明星や日没間際の水星などを見上げながら、車がほとんど通らない細い道を空を見ながら20分かけて歩いた程度。普通に歩けば5分もかからない距離である。
小学高学年・中学・高校と慣れ親しんでいた星座の名前も、一等星や星団の名前もすっかり忘却の彼方であった。小学生の頃のときめきはもうなかったが、そのときのときめきを思い出しながら夕方の空を眺めていた。
以下は、屁理屈好きの年寄りの妄想。
はて、今は何を期待して、星空を眺めているのであろうか。特に期待するものは何もないが、見上げる習性は50年ぶりに戻ってきた。現役時代は道路・下水道の維持管理の仕事ばかりを続けてきたので、道を歩くときは意識しなければ下を見て歩くことばかり。退職後もその癖はなかなか治らなかった。ようやくその習性からは解放されてきた。
星を見上げなくてはならないほどの悲しみも今はない。見上げてこみ上げる喜びも思い当たらない。妄想も湧いてくるわけではない。
あえて言えば、星を見ながら自分と対話をする時間、物心ついたころや社会と向き合いだした頃の自分と会話をする時間の一コマとして、空を見上げる時間をつくっているとも思える。
星を見るよりも、星の見ながら数分も立たずに自分と会話を始めている自分がいる。星の向こうの暗い夜空に、過去の自分がいる。過去の自分との対話になる契機は何であれ大切にしたい。
本日も南西の空の木星・土星、西空のわし座のアルタイル、天頂の半月と火星を確認して、星に背を向けて家に向かい始めたときは、学生時代の狭い「星の会」という天文サークルの暗い部室で延々と友人と続けた政治談議・文学談義の一コマを思い出していた。学生時代の校舎は旧陸軍と進駐軍の平屋の兵舎をそのまま利用しており、教室の横にストーブ用の石炭と薪用の小屋があった。そこがサークル室であった。南十字星のそばに石炭袋という暗黒星雲があるが、それこそ暗黒星雲という部室の中で、星の観測もせずにひたすら頭の中のもやもやを相手にもがいているような日々であった。対話の中身よりも対話を続けたことが今も生きている。
気温が11月下旬並みとのこと、風もなく温かみすら感じる。朝からヘリコプターの音が煩わしい。消防局と警察のものではない。取材用のヘリコプターなのか。
朝から若干の台所の大工仕事。内装を変えてもう30年くらいたつので、よくよく観察すると、いろいろなところで歪やネジ類の腐食が散見される。今回も食器棚に固定した小さなオーブントースターを収納している棚のネジが緩んでいた。たまたまあった小さなL型の金具で簡易的に補強したものの、いつまで持つかわからない。
オーブントースターを乗せていたベニヤ板も少し大きめのものに取り替えた。久しぶりにノコギリを出してきた。道具箱の片隅から紙やすりももう20年もたったものが出てきたのはさいわい。ようやくひと段落。
金具を付けたのち、ノコギリと紙やすりのゴミを除くためベランダを掃いていたら、我が家の4つほどのプランターと鉢に花があふれるように咲いていた。白とピンクの千日紅・赤と白のミニシクラメン・青と黄色のビオラが満開であった。そこに体調が5ミリ程度のごく小さな蜂が2匹飛んできて花の蜜を求めていた。
ベランダに出るときはいつも空の星を見上げたり、南側の木々を見上げたりするばかり。下に置いてある妻の育てた花々のプランターを見る機会がなくなっている。室内の観葉植物の鉢はいつも目にするのだが‥。小さな蜂を追いながらしばらく花を眺めていた。
本日はクリスマスイブの前日、たぶん街は感染拡大の状況ではあっても、買い物客で混雑しいると思われる。
不要不急といえばその通りではあるが、午後から百円ショップに出かける予定。どこの駅にある店が混雑していないか、昼食をとりながら相談。
オンライン講座終了後はこのブログをアップしたのち、そのままリビングルームに飛び込んで、泡盛のお湯割りを作ってくつろいだ。
話は芸術と政治の話題から、卑近な体調の話に飛ぶ。
本日は1時間45分、珍しく途中でトイレにも駆け込まずに終了。そのうえブログをアップするまで行かなかった。
年をとると小用が近くなる。私の場合昼間は1時間30分が一つの目安である。しかしそれよりも問題なのは、「用を足したい」と思ってから「我慢できなくなる」までの時間がとても短くなったこと。60歳までは、その時間は1時間近くはあったと思う。しかし65歳を過ぎたあたりからは、それが15分にも満たないようになってきたと思う。
いつも歩いている繁華街や、ウォーキングの道ではどこに便所のあるコンビニ・スーパーなどの店舗、公衆便所・地区センターなどの公的施設があるか、熟知している。しかしそれを外れると途端に困惑する。お酒を飲んだり、コーヒーを飲んだ直後はとても厳しい。
65歳というのは体調が大きく変化する節目、曲がり角のような気がする。
さて、明日は横浜駅ではなく、もう少し人手の少ないところで百円ショップに行き、いくつかの買い物をしなくてはいけなくなった。新しいパソコン環境の整理のための小物を購入する予定。特に時間は決めないが。いつものようにコーヒー・読書タイムを兼ねて出かける。
しかし本日神奈川県も最多の348人の発症者が出た模様。やはり横浜駅などの人出の多いところは避けたくなる。
県知事も横浜市長も、この問題について動きがあまりに鈍い、というのが労働組合の退職者会の会員の声である。カジノにエネルギーを割くのではなく、市民と直接接する基礎的自治体の長として現市長は問題が多すぎくて、歯がゆく、そして情けないと思う。
本日のオンライン講座は「学んでから行く展覧会」(講師:中村宏美氏)という連続の講座。本日は「レオナルド・ダ・ヴィンチ、パブロ・ピカソ、フリーダ・カーロ それぞれの戦争」という題でたっぷりと1時間45分。
特にスペイン内乱を題材にピカソが描いた「フランコの夢と嘘」「ゲルニカ」、そしてさらに一般化して戦争と民衆というテーマに昇華していく過程に触れていた。最後にピカソの「戦争と平和」(1952)を資料で取り上げてくれた。この作品は初めて目にした。
フリーダ・カーロは実は1989年に今は閉館してしまった西武美術館が主催し、「有楽町アートフォーラム」(場所は記憶にない)での開催したときにはじめて見て大変感銘を受けた。横浜美術館では数点がいつもコレクション展で展示されている。
その時の図録を再度引っ張り出してきて、事前に目を通して思い出していた。
三者を取り巻く戦争は様々な時代の戦争である。レオナルドのかかわった戦争は傭兵の時代の戦争である。ピカソの間近で起こり眼にし耳にし、告発した戦争は凄惨な皆殺しの戦争である。国家(抑圧)と革命(解放)という構図である。フリーダがかかわった戦争は、メキシコ革命(解放)後の裏側にある抑圧との闘いである。同時に男と女の戦争でもあり、「生」と「性」の軋轢でもあったといえるであろうか。
とても示唆に富む講座であったと思う。