Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「法師蝉」の句

2023年08月20日 22時56分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 ツクツクホウシは法師蝉ともいう。僧や仏の教えと突かず離れずの作品が多い。初秋の季語になる。蝉の中でも遅くまで鳴く。
 小さめの蝉だが、「法師蝉」というにはけたたましい、というくらいに大きな声である。私などはよくもあんな大きな声が出るものだと、姿を見るたびに感心する。

★しづけさのきはまれば鳴く法師蝉    日野草城
★なきやみてなほ天を占む法師蝉     山口誓子
★わが倚る樹夏終れりと法師蝉      山口青邨
★忘れ去る悔のいくつか法師蝉      上田五千石
★法師蝉遠ざかり行くわれも行く     西東三鬼

 第1句、これは法師蝉に限らず他の蝉に置き換えても成り立つことは成り立つ俳句であると思った。しかし葬儀の時、皆が静まってからやおら僧が経を唱え始めることを思い出した。法師蝉は蝉の季節の殿でもある。
 第2句、これも蝉しぐれのふとした音の狭間のことと同時に、季節終わりのことかもしれない。そして葬送の時のように読経の響く音なのか。
 第3句、私が法師蝉の句を探しているときに、一番気に入った句である。法師蝉が鳴き始めていよいよ秋が始まる、と宣言されたと感じたのである。蝉しぐれが途絶えた瞬間に、孤独な鋭い声が初秋の空に響き渡ったのではないか。空間的な広がりを感じる。
 第4句、この句も気に入っている。夏の痛いような大気から秋の気配を感じる大気に変わり、人が少しだけ内省的になる瞬間を法師蝉の声で捉えたと思う。悔いのいくつかが法師蝉の声と同時に湧き上がってくる。
 第5句、法師蝉はなかなか姿をみたり、捉えることがむずかしいという。「信仰」とはほど遠い私には、確かに僧も神官も禰宜も神父も牧師も遠い存在である。蝉の声が小さくなり遠ざかり行くと同時に我もまた信仰とは無縁の世界を彷徨い歩く。


肩の荷が降りた

2023年08月20日 20時50分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 読書をしようと思っていたが、ベッドの上であっという間に寝入ってしまった。目がだいぶ疲れていたと思える。気がついたら2時間ほども寝てしまった。
 日の入り直前には少しは散歩しようと思っていたが、これほど疲れているのであれば散歩も遠慮することにした。
 丸7日間、午前中と夜間にだいぶ根を詰めてパソコンと睨めっこを繰り返したことで目を酷使したこと、昼間の散歩による体力の消耗が原因だと思われる。

 読書は明日に持ち越し。編集作業がとりあえずひと段落して、肩の荷が降りて、気分的に楽になった。


編集作業終了

2023年08月20日 15時55分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 どうやら退職者会ニュースの原稿が13時過ぎに出来上がった。A3のおもて面の記事ひとつがどうしても思い浮かばなかったが、どうにかひとつ見つけてきた。裏面の小さな記事ひとつは昨晩作り上げた。
 一晩経つと何とかなるという思いでさっさと寝たのが幸いしたというところ。先ほど他の役員に送信してチェックをお願いした。これで明後日の印刷会社への入稿に間に合いそうである。
 いったん送信してから、訂正前のものを送信してしまったため、再送。暑さの所為にはしたくはないが、頭が働いていなかったらしい。

 昨日は夕方にシャワーで洗身もしっかりし、下着もとりかえたので、就寝前は軽くシャワーのお湯を浴びただけで就寝。朝になってから、残り湯で丹念に洗身、頭も散髪。起きる間際に汗もかいたので、下着も取り換えた。

 「仕事」がひと段落したこともあり、これより「万葉考古学」(上野誠)を読む予定。クーラーの効いた我が家は、コーヒーはセルフサービスのため、冷蔵庫の冷えたお茶で我慢。
 外の気温は34.2℃となっている。13時には昨日と同じ351℃。多分これが本日の最高気温であろう。昨日に続き猛暑日。夕方には外歩きをしたいので、もう少し気温が下がってもらいたいものである。


少しずつウォーキング再開へ

2023年08月19日 22時43分08秒 | 病い

 明日の横浜は本日よりもさらに暑くなるとの予報になっている。最高気温の予報は36℃。本日暑い中を往復で6000歩は歩いた。昨日は8000歩。ということで、本日の夜の散歩は中止。無理に膝に負担をかけてはまずい。
 また夕方5時過ぎはもう日がかげってきたので、明日は夕方以降に外に出てみることにした。昼間出ても暑いだけだし、人混みの中をヒヤヒヤしながら地下街を歩いても運動にならない。

 明日も朝から編集作業。本日の夜の作業で面積で言えば90%近くまでは何とか出来た。短い記事2つをどうしても揃えないと残りの10%が埋まらない。悩みどころである。

 明日は「万葉考古学」(上野誠)の読書を再開したい。


読了「晩年様式集」(大江健三郎)

2023年08月19日 22時08分18秒 | 読書

 横浜も14時前に351℃と猛暑日になった。ちょうどそのころ買い物を終え、横浜駅に向かってい歩いていた頃である。暑いことは暑かったが、その時間に歩いたのは20分程度、2000歩であったので何とか歩きとおした。凍らせたペットボトルの融けた水が美味しかった。

 横浜駅は帰省していた人々が戻ってきたのであろう。とても混雑していた。地下街も各店舗もが溢れていた。

 まずは、家電量販店のパソコン売り場をぶらぶら歩きながら汗がひくのを待って、百円ショップ、書店、スーパーなどをまわってから喫茶店へ。喫茶店も空いている席を探すのに苦労して諦めかけた時にたまたま空いて座らせてもらった。

   

 30分ほどで「晩年様式集」(大江健三郎)を読み終えた。
 いろいろと考えることもあったが、感想は後日、頭の中で何かがまとまれば記載してみたい。
 ただ最後の「私は生きなおすことはできない。しかし私らは生きなおすことができる。」という一文、私には人の将来に希望をかけすぎ、という思いが先に立ってしまう。この文章、敗戦の「玉音放送」を聞いた学校の校長が「私らは生きなおすことが出来ない。」といったことの裏返し、戦前の指導的な人々の受けた衝撃に対して、「庶民」のしたたかさの代弁として引用される。
 しかし同時に新憲法第13条の「すべての国民は、個人として尊重される」という一文とともに、「もう残された日々は短いのですが、次の世代が生き延びうる世界を残す、そのことを倫理的根拠してやってゆくつもりです。それを自覚しなおすために、「原発ゼロ」へのデモに加わります。」という文章に続くものとして記載されている。
 確かにリベラル派としての振舞いに敬意は表しているが、心どこかで私はこの手の文章があまり好きではない。このような理念や倫理観で政治が語られても、それもまた上滑りした論理でしかない、といつも心の奥底でつぶやいている。こんなことをちらっと思いつつ、本を閉じることにした。
 感想にならない感想をとりあえずしたためておきたい。


ニュースの原稿づくり

2023年08月19日 13時22分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中から4時間は新聞の原稿づくり。だいぶ進んだ。裏面は92%といったところ。おもて面は64%といったところか。昨晩よりはだいぶ進んだ。
 今晩、もうひと踏ん張りで終わりが見えるようにしてみたい。

 さすがに根をつめて作業を続けて疲れた。これから頼まれた買い物をしてから、横浜駅まで出かけてみる。半分はバス、買い物をした後は歩いて横浜駅まで行ってみたい。杖無しで、この炎天下を歩けるだろうか。冷凍した水入りペットボトルはいつも携行している。90%の水を凍らせ、持ち歩くときは空いた空間に水を入れると、飲みやすい。疲れたならば途中からバスを利用。


軽い散歩と体操

2023年08月18日 22時08分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夜の散歩を再開して3日目、昼間それなりに歩いたので本日は腕を強く大きく回転させながら1500歩ほどで終了。この程度で汗が出てくる蒸し暑さであった。昼間と合わせて8000歩となった。杖を突かず8000歩を越えるのはずいぶん昔だったような気がする。入浴前に軽く腕と背中の筋肉を鍛える軽い体操をする予定。

 今晩は虫の声も蝉の声も聞こえなかった。虫の声は耳を澄まさないと聞けないので、寝る前にもう一度ベランダに出てじっくりと探ってみたい。

 明日も朝から編集作業。どうなることやら。寝れば明日の朝にはいい知恵が浮かんでいることを願うしかない。


冷や汗

2023年08月18日 21時21分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会ニュースは面積的には70%近くを記事で埋めることが出来た。しかし見出しが完成したのは半分。残りの記事3つはまだ見出しが完成していない。用意した残りの記事はあとひとつ。記事の数がひとつ足りないのは、外部記事の依頼を忘れていたことについ先ほど気がついたばかりである。慌てているが今更間に合わない。なにか長めの記事をひとつ探す必要が出来てしまった。予定外の事態にオロオロしている。

 しかし本日はこれ以上ジタバタしてもしょうがないので編集作業は中断。明日以降最善策を考えるしかない。水曜日には印刷会社に入稿しないといけない。暑い中、冷や汗が出ている。冷や汗だけで済むことを願うしかない。

 本日は暑い中、13時半過ぎに神奈川大学の生協まで注文していた本を受け取りに出向いた。同時にあらたに2冊を注文。読み終わるまでは注文・購入は出来ない。内容が気に入れば、ということであるが。

 その足で整形外科でヒアルロン酸注射を両ひざにしてもらった。一昨日から杖を突かずに歩いていることをつげ、医師の触診の後、注射は隔週にしてみようということになった。少し前進と思うことにした。
 少し時間をかけてバスにて横浜駅まで。帰りは一つ手前で降りて歩いた。


ツクツクホウシ

2023年08月18日 12時47分25秒 | 近くの自然

 恥ずかしながら9時まで寝てしまった。といっても正味7時間の睡眠。睡眠時間は特に長くはない。

 昨晩は夜も続いていた蝉の合唱が静まり、かすかな秋の虫の声だけが聞こえたが、寝覚めてみると今度は再び蝉の合唱。しかもミンミンゼミに混じってツクツクホウシが鳴き始めた。ヒグラシの声も混じっている。ブラゼミの声は小さくなった。いよいよ蝉の季節も大詰めである。

 本日の午後は二週間ぶりに整形外科で膝のヒアルロン酸注射をしてもらう予定。8回ほど続けたので、今後どうするかも話があると前回言われた。


蝉の声がピタリと止んだ

2023年08月17日 23時19分10秒 | 近くの自然

 先ほど夜の散歩をしてきた。ごく短く1500歩程。腕の運動をしながらなのでそれなりに汗ばんだ。何年ぶりの夜の散歩だろうか。ウォーキングというにはほど遠いものだが、両ひざの痛みが出ないように歩いた。杖は本日昼間から使っていない。特に痛みは出ていない。

 さて、本日初めて秋の虫の声を聞いたのだが、蝉がまったく夜に鳴かなくなっていることに気がついた。昨晩は蝉の声がしていた記憶がある。階段室には今朝蝉の骸がひとつあり、妻が北側の雑草の中に葬っていた。
 本日は階段室で鳴き続ける蝉もなく、秋の虫の声だけが細々としている。こんなにもはっきりとした区分けはこの団地住まいをしてから初めての経験ではないか。確かに夜に鳴く蝉はイレギュラーではあるが、ここ何十年も常態化している。
 蝉の出現数が今年は少ないのだろうか。あるいは猛暑と関係があるのだろうか。悪い癖であることはわかっているが、根拠のない想像ばかりが先行してしまう。

 


秋の虫の音

2023年08月17日 21時55分33秒 | 近くの自然

 今年初めて秋の虫の音を聞いた。北側の草地からか細く聞こえてきた。しかし声の主はわからない。何という虫か、スズムシ以外しらないのは情けないが、幾度も人に聞いて覚えられない。遠い昔に諦めてしまった。
 しかし声の主を知らなくとも、秋の虫の音はいつ聞いてもいいものである。



 もうそろそろ終わりに近づいた我が家のベランダに置いてある朝顔。花芽が見当たらなくなった。しかしまだ鉢には青々とした斑入りの葉が溢れている。

 


いつもの立秋直後の景色

2023年08月17日 20時55分40秒 | 近くの自然

   

 ようやく厚い雲が空から消えた。気持ちの良いほどに成長しつつある入道雲、暑さを呼び寄せるように咲く赤いサルスベリ、そして緑が色濃くなる藤棚。立秋直後の景色が一気に戻ってきた。しかし同時に異様な暑さも戻ってきた。
 本日は暑い中をバスにて近くの私鉄の駅まで出向いて、帰りは歩いた。本日も杖をつかずに歩いた。少し前かがみの歩き方で、決していい姿勢ではないが、少しずつ矯正するつもりである。前かがみになるのは無意識のうちに膝を庇おうとする体と思われる。汗を大量にかいた後のシャワーは気持ちがいい。
 明日は神奈川大学の生協に注文していた書籍を受け取りに行く予定。ついでに新しい新書3冊の注文もしてみたい。これで合わせて5冊を読み終わるまでには書籍を購入しなくとも良いはずである。


クーラーのカタログ

2023年08月16日 22時57分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕食後は妻とクーラーの値段とパンフレットを見比べながら検討をしたが、カタログだけでは複雑で機能もよくわからない。字も小さく、結局お手上げ。後日実際に売り場で品定めをすることで、本日の検討は終了。目も肩も疲れてしまった。
 消費電力と機能だけでみると、17年前に購入した現在の機種とそれほど変わりはないように思われる。カタログの見方がわからないのが原因なのだろうか。
 現在のものが壊れたわけではないので、まだ時間的ゆとりはある。高い買い物なので、もう少し腰を据えて選択したい。

 目が疲れたまま「晩年様式集」(大江健三郎)を読み進めた。残りわずか。久しぶりに小説で、あまりに時間がかかりすぎている。読み終わってもすぐに感想を書くことは出来そうもない。しばらく熟成が必要かもしれない。熟せればの話だが。

 本日は相変わらず蒸し暑い中、これにて店仕舞い。明日はさらに暑くなる予報になっている。




 


筋肉の回復をはかる

2023年08月16日 18時39分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 本日も時々、ごく狭い円形上の強い雨の区域が点々と南北に延び、相模湾から上陸してくる。雨の区域は突如海と陸の境に現れることもあるし、相模湾から続いて来てそのまま上陸する場合とがある。降っても短時間で通り過ぎる。注意報を出したり、解除したり、気象庁の担当も大変だと思う。しかしサボるわけにはいかない業務である。
 午後、出かけようとしたら降り出し、しばらく雨の様子を見ていた。雨が止んでから外出したが、帰りもバスターミナルに出たら降っていた。発車してからすぐに降り止んで日が射した。

 行くときはバスには乗ったが、久しぶりに杖をつかずに横浜駅まで出かけて、家電量販店でクーラーの値段を調べてきた。帰りは、思い切って途中のバス停で降りて、15分ほど歩いて帰宅。杖をついて歩くとそれだけ楽だったこともあり、両方の太腿の筋肉がかなり衰えているのを実感。しばらくは筋肉の回復をはからないといけないと痛感した。
 実は両肩・両腕の筋肉もかなり衰えた。以前はウォーキングをしながら腕・肩・背筋の運動をしていたので、それなりに効果があったのだと思う。キーボードを打っていると、すぐに疲れてだるくなるのである。ウォーキングが出来なくなってすっかり腕・肩・背筋の運動もしなくなっていた。
 しかし急にウォーキングや両腕・肩・背筋の運動を再開して、やりすぎても意味はない。少しずつ回復をはかるしかない。


「戦後」という年号 追記

2023年08月16日 12時21分25秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 さて、昨日記載した『「戦後」という年号』で私は戦争責任・戦争犯罪については記載しなかった。「戦争だからお互い様」ではすまされない戦争犯罪が当事国同士で行われた。その最たるものが、日本の侵略地点での残虐行為であり、米軍の都市への無差別な絨毯爆撃であり、沖縄地上戦強行と今も続く軍事要塞化であり、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下であり、旧ソヴィエト・ロシアによる中国東北部・朝鮮半島への軍事侵攻とシベリア抑留・奴隷労働等々である。
 この戦争犯罪の責任追及が不能となってしまったことは、戦後の政治が米国追随か、旧ソビエト・中国追随かという不毛な二者択一になってしまったことの悲劇でもある。憲法擁護が「革新」、憲法否定が「保守」という捻じれもまた不思議な世界である。
 「戦後民主主義」とは「保守」も「革新」もその戦後の出発点の過ちを隠蔽したいという点で一致しているのではないか、というのが私が政治に関心をもった最初の出発点であった。同時に起きたチェコスロバキアへの旧ソヴィエト・ロシアを主とするワルシャワ機構軍による武力鎮圧がその思いをさらに強くした。

 これらのことはこれまでも記載したし、これからも追々まとめてみたい。