Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

マティス展は断念、甲斐荘楠音展へ

2023年08月10日 21時15分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日は昼前に行われた団地内の打合せののち、思い切って上野の東京都美術館で開催されているマティス展を見に行くことにした。久しぶりに上野まで来たこともあり、駅から東京都美術館までの人の多さに驚いた。動物園帰りの親子連れなどが向かい側から押し寄せて来る人波に、杖をとられそうになりながら、やっと美術館にたどり着いた。
 この時点で体力的にはかなり疲れてしまっていた。しかも15時過ぎで会場内は長蛇の列。係員に聞くと、現在並んでいるのは15時の時間帯の入場券であった。次回16時からの入場券もチケットショップに10数人が並んでいた。このまま50分近くをチケットを手にいるために並んだり、入場整理のために並んでも、会場内はかなりの混雑であり、ゆっくり見て回ることもできないと判断した。図録を購入して会場内に入った気になろうとしたが、定価3300円とのことで断念。
 
 ここで東京国立博物館で開催している特別展「古代メキシコ ーマヤ、アステカ、テオティワカン」か、東京ステーションギャラリーの「甲斐荘楠音の全貌」どちらかを見て帰宅しようと考えた。東博の平成館まで夕陽の当たった暑いところを歩き、広い会場をさらに歩く気力が失せていることがわかり、東京ステーションギャラリーならば日向を歩かずとも行けることと、会場がそれほど広くはないと判断した。甲斐荘楠音はNHKの日曜美術館でも放映していたが、あまり惹かれなかった。しかし実際に見てみると印象も違うかと思いつつ東京駅に向かった。
 東京ステーションギャラリーは入場者はそれなりに多かったものの混雑はしておらず、ゆとりを持って見ることが出来た。

 感想は後日。


クーラーは17年生

2023年08月10日 10時39分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩もあまりに蒸し暑く、眠れなかった。クーラーの設定温度を27℃にして寝た。3時過ぎの外気温が27℃ほどでクーラーからは生暖かい空気が出ていた。クーラーの設定を25℃にして15分ほど室内の温度を下げてからクーラーの電源を落として再度就寝。しかし4時半ころに再び蒸し暑くて眠れなくなった。
 南側・北側の窓を網戸にして開け放つと風がうまい具合に吹きこんでくれた。そのまま3時間ほど熟睡できた。
 8時ころに再度クーラーの運転を再開して起床。シャワーを浴びてスッキリした。

 一時はクーラーが故障ないし壊れたかと思ったがまだ動いてくれている。しかし既に17年たっているクーラーである。買い替えなくてはいけない時期である。今度購入するときはもう少し広い部屋用のものを購入したいと考えている。費用がかかるのが悲しい。
 


あまりに蒸し暑い

2023年08月09日 20時34分35秒 | 天気と自然災害

   

 親に頼まれた所用があり、14時過ぎに雨が上がった直後に横浜駅まで出かけた。バスに乗るまであまりの蒸し暑さにたじろいだ。湿度は90%ほどもあった。普段はバスのクーラーの吹き出し口をふさぐが本日はそのまま当たっていた。所用が済んでからコーヒータイムとほんのわずかな読書タイム。
 自分のものは、新しく購入した運動靴の爪先に入れる小さなインソールを百円ショップにて購入。横浜駅前のバスターミナルでは路面がかなり濡れていたが、帰途も雨に会わなかったのは幸い。
 明日は本日よりも降水確率は低く、昼間の湿度も60%程度とこれも本日よりも低い。しかし最高気温は34℃と2℃高い。台風7号はの進路予報の先には名古屋市がある。関東地方も今後雨が多くなりそうである。


8.9長崎平和宣言全文

2023年08月09日 18時05分55秒 | 読書

「忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。」長崎平和宣言でも核抑止論は否定された。
                                          
                                  長 崎 平 和 宣 言

 「突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ、道路に叩きつけられました。背中に手を当てると、着ていた物は何もなく、ヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます。」
 これは16歳で被爆し、背中に真っ赤な大火傷を負った谷口稜曄さんが語った体験です。
 1945年8月9日午前11時2分、長崎の上空で炸裂した1発の原子爆弾により、その年のうちに7万4千人の命が奪われました。生き延びた被爆者も、数年後、数十年後に白血病やがんなどを発症し、放射線の影響による苦しみや不安を今なお抱えています。

 谷口さんは6年前にこの世を去りましたが、生前、まさに今の世界を予見したかのような次の言葉を遺しました。
 「過去の苦しみなど忘れ去られつつあるようにみえます。私はその忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。」
 長期化するウクライナ侵攻の中で、ロシアは核兵器による威嚇を続けています。他の核保有国でも核兵器への依存を強める動きや、核戦力を増強する動きが加速し、核戦争の危機が一段と高まっています。
 今、私たちに何が必要なのでしょうか。
 「78年前に原子雲の下で人間に何が起こったのか」という原点に立ち返り、「今、核戦争が始まったら、地球に、人類にどんなことが起きるのか」という根源的な問いに向き合うべきです。

 今年5月のG7広島サミットでは、参加各国リーダーがそろって広島平和記念資料館を訪れ、被爆者と面会し、被爆の実相を知ることの重要性を自らの行動で世界に示しました。また、このサミットの成果文書である「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」では、「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」ということが再確認されました。
 しかし、この広島ビジョンは、核兵器を持つことで自国の安全を守るという「核抑止」を前提としています。核抑止の危うさはロシアだけではありません。核抑止に依存していては、核兵器のない世界を実現することはできません。私たちの安全を本当に守るためには、地球上から核兵器をなくすしかないのです。

 核保有国と核の傘の下にいる国のリーダーに訴えます。
 今こそ、核抑止への依存からの脱却を勇気を持って決断すべきです。人間を中心に据えた安全保障の考えのもと、対決ではなく対話によって核兵器廃絶への道を着実に歩むよう求めます。

 日本政府と国会議員に訴えます。
 唯一の戦争被爆国の行動を世界が見つめています。核兵器廃絶への決意を明確に示すために、核兵器禁止条約の第2回締約国会議にオブザーバー参加し、一日も早く条約に署名・批准してください。そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、朝鮮半島の非核化、北東アジア非核兵器地帯構想など、この地域の軍縮と緊張緩和に向けた外交努力を求めます。

 地球に生きるすべての皆さん、一度立ち止まって、考えてみてください。
 被爆者は、思い出すのも辛い自らの被爆体験を語ることで、核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。この訴えこそが、78年間、核兵器を使わせなかった「抑止力」となってきたのではないでしょうか。
 その被爆者の平均年齢は、今年85歳を超えました。被爆者がいなくなる時代を迎えようとしている中、この本当の意味での「抑止力」をこれからも持ち続けられるか、そして核兵器を廃絶できるかは、私たち一人ひとりの行動にかかっています。
 被爆地を訪れ、核兵器による結末を自分の目で見て、感じてください。そして、世界中で語り継ぐべき人類共通の遺産ともいえる被爆者の体験に耳を傾けてください。
 被爆の実相を知ることが、核兵器のない世界への出発点であり、世界を変えていく原動力にもなり得るのです。
 私は、両親ともに被爆者である被爆二世です。「長崎を最後の被爆地に」するため、私を含めた次の世代が被爆者の思いをしっかりと受け継ぎ、平和のバトンを未来につないでいきます。

 日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と一日も早い被爆体験者の救済を強く求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げるとともに、長崎は、広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島をはじめ、平和を希求するすべての人々と連帯し、「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

        2023年(令和5年)8月9日          長崎市長  鈴木 史朗

 


アブラゼミ

2023年08月09日 09時48分47秒 | 近くの自然

   

 蝉が数日前から夜にも鳴き始めた。そして同じころから樹木ではなく、階段室にも迷い込むようになった。翌朝、一生を終えて仰向けになっている蝉も見受けられる。
 昨晩、私の入浴直前には階段室の天井に仰向けにへばりついた個体と、掲示板の壁についている個体とが、同時に盛んに鳴いていたが、その音は長続きしない。鳴き声からはアブラゼミである。
 私が入浴を済ませて耳を澄ますと弱々しく鳴いていた。多分同じ個体である。写真機を持って階段室に出てみると2匹とも力尽きたのか、床と階段に落ちていた。それでも短く鳴き、仰向けの姿勢から、威厳を保とうとするようにうつ伏せの形に戻そうともがいていた。1匹は羽が既に一部破損している。姿からもアブラゼミと確認できた。最後の姿に敬意を込めて写真を撮らせてもらった。

 今朝になり、2匹とも仰向けでまったく動かなくなっており、雑草の中に丁寧に移動した。

 


二つの台風

2023年08月08日 22時11分44秒 | 天気と自然災害

   

 大きな台風6号の迷走に加えて台風7号の動きも気になってきた。本日は強い雨は電車に乗っていて一瞬通過しただけであったが、横浜にも影響を及ぼしそうである。特に長時間直接的な影響を被っている台風6号の進路の地域に被害が拡大しないことを願いたい。多大な人的・経済的被害である。
 横浜の明日の天気予報では降水確率は60%。最高気温は32℃と少しばかり低いが、湿度が高いので熱中症の警戒は必要。そして雨は日中に降るとのこと。降水量の予測が合わせて5ミリではあるが、これまでの通り雨のように短時間でも強い雨のような気がする。

 明日も特に予定は無いので、おとなしく在宅しているのが良いのかもしれないが、じっとしていられない性格。明日になってみないと自分の振る舞いは想像できない。

 昨晩の寝汗が気になるので、本日は早寝。

 


喫茶「ヲガタ」の「氷あずき」

2023年08月08日 19時49分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 正午前に家を出て鎌倉駅へ。江ノ電口の改札を出て向かい側の喫茶「ヲガタ」へ直行。妻はお目当ての「氷あずき」、私はアイスコーヒーで一服。
 昨年の夏は鎌倉まで出向いたが、お店のかたがロナの「濃厚接触者」になり、臨時休業。
 今年こそは、ということで暑いうちに出かけた。二年ぶりの氷あずきとのご対面が叶った。看板に偽りはなく、黒い鋭角のピラミッドが涼しさを誘う。
 店内はこじんまりとしているが、満席だったことはなく、静かにのんびりできる。店は二階、こじんまりとしているものの駅前の混雑を見下ろしていると時間があっという間に過ぎていく。

 昼食は、若宮大路と小町通の間の店で、生シラスと釜上げシラスの二色丼。
 帰りの電車は毎年座れないほど混雑するが、今年は何とか二人とも座れた。そして保土ヶ谷駅のあたりで猛烈な雨にびっくり。横浜駅に着くと雨など降ったあとは何処にもなかった。我が家のあたりも雨の降った形跡はなかった。ごく狭い局地的な雨であったようだ。

 


氷あずき

2023年08月08日 11時07分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明け方6時過ぎであったろうか、雨の音で目が覚めた。寝ぼけ眼でスマホでレインアイよこはまをみると時間雨量換算で最大50ミリ程度の雨の区域が私の住んでいる地域の上を通過していった。シャーッという涼しげな音が心地よかった。少し小降りになったところで、再び寝てしまった。
 次に目が覚めたときはもう8時過ぎ。どういうわけか来ていた寝巻が汗でぐっしょり。急いで着替えた。体内の深部の温度が高かったのかもしれない。起き抜けはいつものとおりの体温で、気分も爽快になっていた。

 本日は鎌倉駅前の喫茶店にかき氷(氷あずき)を食べに行きたいとのリクエスト。あと30分ほどで出かけるとのこと。


サバの塩焼きと茄子の煮浸し

2023年08月07日 21時35分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 どうやら朝の土砂降り以降は、雨は降らなかったようだ。南部では弱い雨は降ったらしい。最高気温は正午ごろの33.4℃と最近では少し低め。それでも陽射しは十分すぎるほど強かった。

 結局友人に誘われて、夕方から居酒屋へ。茄子の煮びたしにサバの塩焼きとハイボール2杯と焼酎の水割り2杯。サバも茄子もとても美味しくいただいた。塩焼きと言ってもそれほど塩味は強くなく、私にはぴったり。いつものように少々飲み過ぎて、少し反省。居酒屋に行くと、しても意味のない反省ばかり。これを繰り返して○十年と自嘲。

 明日は予定がない。天気予報は曇りで降水確率は40%と高い。それでも最高気温の予想が34℃もある。明け方と夜に湿度がかなり高い予想なので、雨が降るとしたらその時分かもしれない。妻はかき氷を食べたがっている。

 退職者会のニュースの9月号の作成をボチボチと始めたほうが良いかもしれない。といっても来週あたりから。みんながお盆休みのころに始動するつもりである。予定の記事があまりないので、いろいろと集めないといけない。


本日も通り雨

2023年08月07日 09時14分55秒 | 天気と自然災害

 8時半ごろから強い雨が降り出した。突然なので驚いた。時間雨量換算で80ミリの雨の区域が通り過ぎた。現在は横浜市域の北半分を雨の区域が覆っている。現在は20ミリ程度の強さの雨になった。短時間で通り抜けると思われる。雨の区域の移動速度は昨日よりも遅め。気温は26℃以下で熱の圧力は感じない。

 本日はこのような強い雨がときどき通り過ぎるような気配である。

 


明日は傘必携

2023年08月06日 23時09分49秒 | 天気と自然災害

 明日も本日のような通り雨が幾度もある天気のような気がする。横浜市域の天気予報からは傘のマークは消えているが、昼間の降水確率は20~30%。微妙な数値だが、私は降ると思って傘とザックカバー持参で外出予定。曇りのマークの後ろに傘マークが隠れているはずである。湿度も高く、最高気温も34℃の予想。蒸し暑く熱中症警戒アラートも配信されそうである。

 「レインアイよこはま」を見ると強い雨の区域が現在東京湾の入り口にあり、北上している。弱い雨の区域は横浜市域の南部と臨海部にすでに到達しており、間もなく我が家の周囲に到達しそうである。外に出るとすでにレーターには感知されない程度のかすかな雨が降っている。

   


通り雨

2023年08月06日 17時59分16秒 | 近くの自然

      

 強い陽射しの間に断続的に強い雨が降る天気であったが、2時間ほど前に時間雨量換算80ミリの雨が短時間降ったのが最後であった。降るたびに蝉もびっくりしたようにピタッと鳴きやむ。わずか20分ほどで雨が降りやむと、再び一斉に鳴き出す。この一斉に鳴き出すのが指揮者がいるように見事である。
 最高気温は今のところ14時ころの32.6℃のようだ。明日もこんな天気なのだろうか。
 雨の合間にフラワー緑道に行こうと出かけた。歩いていると曇り始め、風が吹いて少し涼しい風が吹く。しかしこの涼しい風の合間にアスファルトの熱で暑くなって湿気を多く含んだ空気が顔にぶつかってくる。この暑い空気がとても不快であった。
 フラワー緑道までバスに乗車。バスを降りるとすぐに雨が降り始め、しばらく高架下に避難。すぐに再びバスにて帰宅せざるを得なかった。


広島平和宣言

2023年08月06日 13時15分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今年も8月6日、今年も「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」が行われた。平和宣言で広島市長は「核抑止論」を「破綻している」として厳しく批判。

                                      平和宣言

78年前の原爆投下の日を、まるで生き地獄のようだったと振り返る当時8歳の被爆者は、「核兵器を保持する国の指導者たちは、広島、長崎の地を訪ね、自らの目で、耳で、被爆の実相を知る努力をしていただきたい。あの日、熱線で灼(や)かれ、瞬時に失われた命、誰からも看取られず、やけどや放射能症で苦しみながら失われていった命。こうして失われた数え切れない多数の人々の命の重さを、この地で感じてもらいたい。」と訴えています。

本年5月のG7広島サミットで各国首脳が平和記念資料館の視察や被爆者との対話を経て記帳された芳名録は、こうした被爆者の願いが各国首脳の心に届いていることの証しになると思います。また、慰霊碑を参拝された各国首脳に私から直接お伝えした碑文に込められた思い、すなわち、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和を祈念する「ヒロシマの心」は、皆さんの心に深く刻まれているものと思います。こうした中、G7で初めて「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」が独立の文書としてまとめられ、全ての者にとっての安全が損なわれない形での核兵器のない世界の実現が究極の目標であることが再確認されました。それとともに、各国は、核兵器が存在する限りにおいて、それを防衛目的に役立てるべきであるとの前提で安全保障政策をとっているとの考えが示されました。

しかし、核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか。市民社会においては、一人一人が、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」というメッセージに込められた人類愛や寛容の精神を共有するとともに、個人の尊厳や安全が損なわれない平和な世界の実現に向け、為政者に核抑止論から脱却を促すことがますます重要になっています。

かつて祖国インドの独立を達成するための活動において非暴力を貫いたガンジーは、「非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の武器よりも強い力を持つ」との言葉を残しています。また、国連総会では、平和に焦点を当てた国連文書として「平和の文化に関する行動計画」が採択されています。今、起こっている戦争を一刻も早く終結させるためには、世界中の為政者が、こうした言葉や行動計画を踏まえて行動するとともに、私たちもそれに呼応して立ち上がる必要があります。

そのため、例えば、私たちが日常生活の中で言葉や国籍、信条や性別を超えて感動を分かち合える音楽や美術、スポーツなどに接し、あるいは参加して「夢や希望がある」といった気持ちになれるような社会環境を整えることが重要となります。皆さん、そうした社会環境を整えるために、世界中に「平和文化」を根付かせる取組を広めていきましょう。そうすれば、市民の支持を必要とする為政者は、必ずや市民と共に平和な世界に向けて行動するようになると確信しています。

広島市は、世界166か国・地域の8,200を超える平和首長会議の加盟都市と共に、市民レベルでの交流を通して「平和文化」を世界中に広めます。そして、平和を願う私たちの総意が為政者の心に届き、武力によらず平和を維持する国際社会が実現する環境を作ることを目指しています。また、被爆者の平和への思いを世界中の若者に知ってもらい、国境を越えて広め、次世代に引き継げるようにするために、被爆の実相に関する本市の取組をさらに拡充していきます。

各国の為政者には、G7広島サミットに訪れた各国首脳に続き、広島を訪れ、平和への思いを発信していただきたい。その上で、市民社会が求める理想の実現に向け、核による威嚇を直ちに停止し、対話を通じた信頼関係に基づく安全保障体制の構築に向けて一歩を踏み出すことを強く求めます。

日本政府には、被爆者を始めとする平和を願う国民の思いをしっかりと受け止め、核保有国と非核保有国との間で現に生じている分断を解消する橋渡し役を果たしていただきたい。そして、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となり、核兵器廃絶に向けた議論の共通基盤の形成に尽力するために、まずは本年11月に開催される第2回締約国会議にオブザーバー参加していただきたい。また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、被爆者支援策を充実することを強く求めます。

本日、被爆78周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

  令和5年(2023年)8月6日                広島市長 松井 一實


蒸し暑い

2023年08月05日 23時05分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 迷走台風の行方を案じながらテレビを注目。現在の予報はこの後九州を縦断となっている。まずは沖縄・奄美の被害が広がらないことを祈るしかない。

 明日は正午前に団地内の打合せがあるが、他の予定は今のところなし。本日は出かけたものの2000歩程度の歩行。明日はもう少し外歩きをしてみたい。久しぶりにフラワー緑道でも歩いてみたい。しかしこの時期、見頃の花は何であろうか。あまり生命力が旺盛で、これ見よがしの花はあまり好みではない。

 先ほどまで「晩年様式集」をちらほらと一つの章をとりあえず読み終わった。読書のスピードが遅いだけでなく、読解力も思考力も衰えていることを実感する。歳、もともとの能力、いづれもが当てはまりそう。暑さ、というのは外部の要因の所為にするようで、とりあえずは省いておくことに。

 これよりいつものとおり入浴と血圧・体温測定等々。寝る前が一番慌ただしい。しかし夕方から蒸し暑くなってきた。今晩は寝苦しい夜になりそうである。

 


台風6号

2023年08月05日 16時20分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 台風6号の進路と想定される被害が気になる。しかし横浜は快晴。正午前の33.8℃が表示されたままになっている。弱い南風が吹いている。それがかえって心地よく感じる。
 この暑い中、娘夫婦と親と妻と5人で昼食会。私と妻の誕生会とのことでご馳走になった。私は気がつけば72歳、10歳代から30歳代前半のころには想定もできなかった年齢である。また誕生日を祝う、という習慣に重きを置かない我が家である。私が誕生日を意識するのは、書類に生年月日を記入するときくらいである。娘の誕生日を祝ったことも娘には申し訳なかったと思うが、小学生くらいまでしか私には記憶にない。私の知らないところで、母娘でお祝いをしていた可能性は高い。それでも父親を憾んでいる様子はないのがありがたい。
 後期高齢者という言葉はあまり好まないが、その年齢まであと3年。この歳になると、来年どうなっているか、さらにこれから先どうなるか本人も当然ながらまったくわからない。
 慌てず、焦らず、ボチボチというところか。シャカリキになって何かを為すということは卒業している。