Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「図書8月号」

2023年08月05日 09時00分24秒 | 読書

 図書8月号を読み終えた。今月号で目を通したのは、次の14編。今月号は少々拍子抜けの文章が多かったが、いくつかはとても惹かれた。落差が大きかった。「広報誌なので」というならばがっかり。

・[表紙]ヨハネ・パウロ二世      杉本博司

・私の伯父さん           高草木光一

・銭湯のロマン           森見登美彦

・シグナルズ            中野 聡

・煙草について           原田宗典

・サルと文学―-日本動物期の世界  坂野 徹

・『クマのプーさん』を読みながら  司  修
 司修も大江健三郎のヒロシマノートのこの文章に引っかかったのかもしれない。引用個所はつぎのとおり。「自分の悲惨な死への恐怖にうちかつためには、生きのこる者たちが、彼らの悲惨な死を克服するための手がかりに、自分の死そのものを役立てることへの信頼がなければならない。そのようにして死者は、あとにのこる生者の生命の一部分として生き延びることができる。この、死者の賭けが・・・・」(「ヒロシマ・ノート」 Ⅳ「人間の尊厳について」)。
 大江健三郎の文章は、代名詞が何を指すのか、丁寧に類推しないととてもではないが文意がつかめない。この箇所、私も学生のころ理解できなくて、放り出しそうになった箇所である。今でも記憶している。そしてヒロシマ・ノートではあまり見かけないが、小説では不意の体言止めで読者の意識の流れを突然遮断する。いつも私はこれらの文章を前にたじろいでしまうのだ。
 これについては「晩年様式集」の感想でも触れてみたい。司修は体言止めまで利用しながらこの論考を書いている。追悼文としてはなかなか手がこんでいる。大江健三郎の小説の読み解きのヒントも隠されているようだ。

・中国古典の向きあうために     小勝隆一

・波                志賀理江子
津波の体験は、近代が一瞬でも壊れるとどうなってしまうのか、という経験だった。「死」がむき出しになって、素手で触れる距離にあったあの夜は、私に、恐怖のパニックを引き起こしながらも、これまでの「違和感」がなくなり、この事は絶対に覚えておく、と心に誓うような夜でもあった。
人間が死に近づけば近づくほど、もしかしたら絶望とは別の「知覚」の変化が訪れるのではないか、一人の体という器から己の「感性」が溶けだして、世界に素手で触れるような体験をしたのではないか。何かを能動的に、積極的に見る、見続けること。例えば、空や海を見続けることでどれだけのことが想起されるのか、ということなのだ。‥目で見ることが、自分の内と直につながり、私は支えている。今こうしてやっと自分の目を信じることができるような気がする。
 筆者は写真家で、東日本大震災時、宮城県名取市で津波に会い、避難所生活をする。そこであらためて自らの写真家としての目を意識する。いい文章だと思った。

・ふつうでいるために…という努力  山谷典子

・美術学校の精神的象徴してなかば公開制作された《悲母観音》  新関公子
フェノロサは東大で明治19年7月までの約8年間も政治学、理財学、哲学(史)を講じた。デカルトからスピノザ、スペンサー、カント、ヘーゲルにいたる近代哲学史だった‥。
悲母観音に描かれた球体の中の赤ん坊は天界から下界に下降する動き、つまり落ちていく人間の魂を示しているとすると、芳崖がプラトンの魂の輪廻転生と仏教図像とキリスト教における聖母子像を総合して悲母観音という、まったく仏教図像学にない新図像を生みだしたという考えに私は行きつく。
 「東京美術学校物語」の第8回目の論考である。これまで最初だけしか目を通さなかったが、少なくとも今回はとても説得力のある芳崖に与えたフェノロサの影響の解明である。プラトンの「国家」に出てくる「洞窟の比喩」と関連があるというのは初めて認識した。また岡倉天心の《悲母観音》解釈の誤謬も納得のできる指摘である。
《悲母観音》は美術学校の精神的象徴に相応しい東西の哲学宗教を総合する奇跡のような作だった。

・Brief Encounter         谷川俊太郎
恋人との別れを通して私は初めて他人というものの存在を実感したのです。

・ゆうやけ七色 狂言「猿座頭」   近藤ようこ

・モモとわたし           寺地はるな
忙しかろうがのんびりしていようが、自分の時間の使いかたに自分自身が納得しているかどうか。それが一番大事なこしなのではないだろうか。‥他人から勝手に生きかたの正解を決められてはかなわない、と常々思っているからなのだろう。


杖に頼らず歩く

2023年08月04日 21時12分18秒 | 病い

   

 すぐに終わると思っていた整形外科だったが、来週から夏休みということを忘れていた。夏休み前に診察をしてもらおうということのようで、本日はいつもより混雑。20分程度と思っていたら1時間近くで何とか終了。しかし夏休み前の治療をしてもらえて助かった。
 ヒアルロン酸の注射、先週あたりからずいぶん痛みが引いてきたと実感している。階段の下りはまだ少し痛みが出るが、それ以外では杖に頼らなくともかなり歩いている。また人通りの多い繁華街でもかならず杖を地面について歩行しているが、それ以外では地面に杖を突かずに歩いている。本日は横浜駅に出るかもしれないと思い、杖を突いて外出した。
 医師からは夏休み明けにも忘れずに来院してほしいといわれた。その時の様子を見て注射を続けるか判断したいとのことであった。

 病院に時間がかかったので、美味しいコーヒーを飲ませてもらえる喫茶店にはよらずに、横浜駅の地下街でやすいコーヒーでひと息。とりあえず「図書8月号」は読了。


強い陽射しで目が疲れる

2023年08月04日 13時47分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

  団地内を少々歩いて所用を済ませたのち、午前中は「図書8月号」を読んで過ごした。これまでに9編ほど目を通した。今号には司修の大江健三郎追悼の文章が掲載されている。これは再度っくりと読み返す予定。出来れば本日中に読み終えたい。読書のテンポはやはりまだ遅い。猛暑の眩しい日光のためか目がすぐに疲れる。喫茶店やお店に入ってもしばらくは目がショボショボする。あまり目を刺激したくないものである。

 これより所用があり、再び出かける。本日も猛暑日になる予定。正午前に34.4℃の表示である。一昨日に続いて本日は横浜市歴史博物館に出かけようとしたが、企画展の内容を見て今回はパスすることにした。残念ながら10月から来年の2月まで休館となるらしい。

 本日は美味しいコーヒーを飲ませてくれる喫茶店に寄ってみたい。


ランタナの毒と、蜂の威嚇

2023年08月03日 21時24分41秒 | 近くの自然

      

 帰宅後、シャワーを浴びて寛いでいたら、寝てしまった。しかも夕食後も椅子に座ったままやはり寝てしまった。ときどき首が後ろに反って苦しくなり、起きるのだが、また同じことの繰り返し。
 久しぶりに34℃の炎天下を40分ほど歩いたためだろうか。何とも情けないことである、と思いながらも、猛暑日の一歩手前の気温なのでやむを得ないという思いも同時に湧いている。本当は岩波の図書8月号を読み終えたかったのだが、明日以降に持ち越し。
 ランタナを撮っているときにハチも一緒に撮ろうとしたが逃げられた。逃げられたばかりでなく、顔にぶつかってきて威嚇され、慌てて退散。
 ランタナの種子には毒があるらしいが、花粉や蜜には含まれていないのだろうか。あるいは蜂には毒として作用しないのだろうか。調べてみると一応種子をかみ砕いてしまう人間や犬などには毒として作用するものの、丸のみして糞として排泄する鳥は啄んでも問題はないようだ。種子以外には毒はないと断定していいのだろうか。 


本の注文

2023年08月03日 17時38分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 私が出かけた13時半ころに34.0℃あったという表示になっている。これが最高気温であろうか。20分少々歩いて神奈川大学の生協に着いたときには凍らせていた350CCのペットボトルの水が9割以上融けていた。久しぶりに訪れて本を注文した。
 注文しようとしていた本の内、「弥勒」(宮田登、講談社学術文庫)は1冊のみ平積みしていたので購入し、残り1冊を注文。
 その足で古書店へ。目当てである活字の大きめの平家物語の本は置いてなかった。平家物語は書き写しようのテキスト。手に入れるようにお願いして名刺を渡してきた。岩波にしろ、新潮にしろ、小学館にしろ、全1巻ということはないと思われる。それほどの値段ではないと勝手に想像して、どこの出版社にしろ全巻を購入したいとお願いした。果たしていつ手に入るやら。

 弥勒信仰と阿弥陀信仰との関係、そして半跏思惟像の美しい姿は私の興味を引く。できるだけ早めに読みたいものである。

 


明日も猛暑日の予想

2023年08月02日 23時06分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 13時半ころに本日の最高気温34.1℃だったとのこと。ちょうど私がバス停でバスを待っていた頃であった。

 明日も予報は35℃。明日は神奈川大学の生協まで本の注文に行く予定。開店時間は15時まで。やはり一番暑い時間帯に出かけることになる。つらいがひと踏ん張り。熱中症にならないようにしたいもの。歩いて20分少々。
 注文したい本は2冊。有隣堂で平積みにしていた本で、講談社学術文庫と角川ソフィア文庫なので、すぐに取り寄せ可能とは思う。しかし生協も8月下旬まで休みでもあり、実際に手にできるのは8月末が精一杯というところか。

 生協の帰りには家と反対方向の古書店まで足をのばし、平家物語の活字の大きな本を探したい。体力が残っていれば、という前提で。この暑さでなければなんとかなるのだが‥。むろん杖は用心のため手放せない。


「関東大震災」展(神奈川県立歴博)

2023年08月02日 20時50分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 午後からの所用が済んでから、馬車道の神奈川県立歴史博物館へ。現在開催中の特別展「関東大震災-原点は100年前-」を見てきた。
 関東大震災を引き起こした地震の地質学的調査結果や、震災の模様、復興計画などの視点で構成されている。特に当時の測量成果に基づく地質学的な記録は興味が湧いた。また横浜市の都市計画がどのように作られたのか、地図入りで解説がされていてこれも興味深く見入った。しかしいづれも展示の内容を細かく読み取れなく、また時間も足りなかったのは残念。図録を購入したかったが持ち合わせがなく断念。
 9月中旬まで開催されているのでもう一度訪れたいと思った。

 火災による当時の凄惨な状況も写真や実写映像があり、是非記憶にとどめたいものである。また冒頭にこの震災に対して宮城県からの支援等の記録が発掘されて展示されており、これも興味深かった。

 関東大震災についてはさまざまな視点が必要である。今回は津波についての言及が由比ガ浜の河口の堆積物の剥ぎ取り標本だけだったのが寂しかった。津波についてはあまり記録がないということも聞いたが、どうなのだろう。
 また東海道線の被害状況の報道写真もあったけれども、崩壊した根府川駅の状況と復興についてももう少し知りたかった。
 さらに関東大震災と言へば流言飛語である。限られた状況下で不確か、あり得ない情報に振り回されることで多くの悲劇が生まれ、そして多くの生命が失われた。このことについては今回の展示ではまったく触れていない。
 震災は自然現象だけではなく、さまざまな切り口があるので、すべてに言及することは困難であるが、年度をまたいでもテーマなどを絞って連続的な展開してもらえると、重層的・総合的な意義のあるものに近づくのではないか、と期待している。

 

 


気温の急激な上がり下がり

2023年08月02日 11時26分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の最高気温は雷が鳴り雨が降る直前の12時半ころの33.4℃。30数分後に雷雨となった。そして最低気温は22.7℃で雷雨がおさまった15時40分頃。わずか3時間で11℃も気温が下がっていたことになる。気温はその後少し上がったと思われる。急に気温上昇も体にこたえるが、涼しくなってうれしいものの、こんなに急激に下がるのも体には良くない。
 そして本日はすでに31℃を越えている。最高気温の予報は35℃。急激な気温の上がり・下がりもまたつらいものである。単に熱中症注意情報だけでなく、このような気温の上下がどのように体に影響を与えるか、という観点からの情報も欲しいと思う。これだけ高齢者の多い日本である。気がつかない内に体に大きなストレスが溜まっているかもしれない。

 本日は午前中は用事があり、団地の中を二回り程。昼前には出かける予定。10時前から炎天下を歩いている。Tシャツが一枚汗で洗濯機行きとなった。

 昨日届いた岩波書店の図書8月号に目を通し始めた。


ビッグモーター不正事件で思ったこと

2023年08月01日 20時32分16秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 ビックモーターの不正事件を当初は、修理部門で車を破壊するという保険金詐欺を組織ぐるみで行っていた事件とばかり聞いていた。それ自体も衝撃的な事件であったが、店舗の前の街路樹の伐採や植樹桝の低木、下草などを除草剤で枯らしてしまうという暴挙が全国で行われていたと聞いて唖然とした。同時に自分が道路管理者の末端で街路樹の管理なども行ってきた者として、衝撃を受けた。
 展示車や看板を見せるためと報道されているが、企業の社会的責任、公共性・倫理のかけらもない利益だけの追及の醜い姿の象徴のように思えた。
  多くの場合、幹線街路に植樹桝・街路樹があるので、地元の方は少ない緑地帯として歓迎してくれる場合が多かった。管理の楽な低木のツツジと路線ごとに特徴的な高木をまとめて植えて、地域のシンボルにしたりすることには多くの協力が得られた。
 しかし低木の下はゴミが捨てられたり、猫や犬の糞の匂いがして迷惑がらることも多いのも事実であり、地元の方からの苦情も多かった。また落葉樹を植えると秋の落葉の処理に悲鳴が上がることも多い。虫がつく低木は基本的に避けるが、それでも毛虫などの被害も耳にしてきた。車の出入り口のために必要最小限の移設や撤去は基準に沿って認められるが、手続きを踏まず一ヵ所か二か所をゲリラ的に壊される場合もあった。
 だが、店舗が見易いように、あるいは看板が見にくいからという理由で敷地の前面を連続して高木を切り倒し、除草剤を撒いてしまうなどという暴挙は40年近い経験の中では皆無であった。それも大規模な企業が組織的に全国規模で行われていたとは驚きである。
 多くの地先の商店や企業は、低木の隙間に草花などを植え、水やりや清掃、落葉処理に協力してくれた。そのような活動が企業が地域に根付かせるものである、とも企業の責任者や地元商店街から教わった。

 ただし労働組合の役員でもある私としては、そこの企業で水やりや清掃活動に参加されているかたが就業時間前に無休で働かされているのか、聞きたかったが、行政マンとして応対している手前聞くことができなかった。本当は「労働組合との協議は済んでいますか」等と参加職員に聞きたいときもあった。しかしそこはぐっとこらえて、店長や責任者に「従事者が交通事故等に会ったり熱中症などにならないよう、明るく楽しく参加できるよう十分な配慮をお願いします」とだけは念を押していた。

 こんな感想を持つと同時に、一方で被害が出ている自治体の道路管理者の、目が行き届いていない実態にももどかしさを感じている。


身の危険を感じた雷と大雨警報

2023年08月01日 15時55分51秒 | 天気と自然災害

 13時、妻が所用から家に戻ったとたんに雷が轟いた。昨晩の雷よりも近く、そして高度が低い様で、鋭い音であった。直後から雨が降り始めた。あっという間に時間雨量換算で80ミリを超す雨の区域が西から我が家のある地域に、雷と共に流れてきた。
 慌ててパソコン・テレビ・エアコンなどの電源を落とし、便所・洗面所・風呂場の窓をかたく閉めた。
 竜巻注意情報、大雨(浸水害)警報、洪水・雷注意報、河川水位情報の配信がつぎつぎに届いた。

 ベランダには屋上からの雨水排水管が垂直に立っている。ベランダの排水を吞み込めず少しずつ溜まり始めた。家の中に浸水する前に外側に流れ出るようになっているので心配はないが、あそこまで水位があがったのは初めてのような気がする。
 レインアイよこはまでは時間雨量換算80ミリ以上は赤い表示だが、それ以上の色分けはない。雨の音からも上から押さえつけるような圧力を感じた。視界も真っ白になってしまい、向かい側の号棟も見えなくなった。
 雷は絶え間なく光り、鋭い咆哮を上げていた。
 家の中にいても身に危険を感じた雷雨であった。

 雨の区域、そして雷は南へ去ったものの、遠くの雷鳴がまだ聞こえる。そして気温が急に下がっている。窓を開けると涼しい風が吹いており、半袖で長時間外にいると寒いくらいに涼しく感じる。

 出かけるつもりでいたが、まだ雷の音が時々するので予定変更、在宅に切り替えた。


眠りを誘った雨

2023年08月01日 11時19分06秒 | 天気と自然災害

 昨日は夕刻から雷注意報は出ていたが、気にかけていなかった。しかし就寝直後の1時半過ぎに雷の音で目が覚めた。連続して絶え間なく鳴り響いていた。高度が高いところのようで、鋭い音ではなかったものの、気になってなかなか寝付けなくなった。2時近くになり雨が降り出した。同時に横浜市から大雨・洪水注意報が追加されたことが配信された。
 スマホの画面でレインアイよこはまを見ると、横浜市の西部で時間雨量換算80ミリ以上の雨の区域が広がり、ほぼ停滞していた。一部では避難判断水位を超えた地点もあった。その後、アメーバが移動するようにゆっくりと横浜市の中心部・南部に移動するのが確認できた。

 雷は鳴りやまずに雨の音も強くなった時点で寝てしまった。雷の音は目を覚ますが、時間雨量20ミリ未満の雨の音は心地よい眠りを誘う。昨晩は後者の効果のほうが大きかったようだ。

 明け方4時過ぎには大雨・洪水注意報は解除されていた。雨上がりの朝は多少蒸し暑さがあるものの、久しぶりの雨で気分も良い。元気のなかった木々の葉も、芝生も草花も息を吹き返したのではないだろうか。