鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

天保山砲台跡

2007-10-25 | 史跡
甲突川河口右岸の天保山公園に砲台跡があります。
河口の平坦地なのに山の名がついているのは、河口に堆積する土砂を掘削してこの付近に積んだためだというのは、「甲突川源流を訪ねて」で述べました。


公園の小高いところにある天保山砲台跡。

1862年、江戸から薩摩に帰る島津久光の行列を、神奈川県生麦で英国人リチャードソンらが横切り、無礼を働いたとして惨殺されました(生麦事件)。
英国の補償要求を薩摩が拒否したため、翌1863年、英国艦隊が錦江湾に入ってきました。
6月、この砲台から大砲が発射され、薩英戦争の火蓋が切って落とされました。
薩摩は、城下の一部と近代工場群「集成館」を消失しました。
この戦争で西洋の実力を知った薩摩は、以後西洋の技術を導入し、明治維新へと突き進んでいくのです。
明治維新の要因となった史跡です。


公園の一角にある、調所広郷(ずしょひろさと、俗称、笑左衛門)の像。

明治維新の要因といえば、この人も忘れることはできません。
島津重豪によって、一介の茶坊主から家老に抜擢され、財政改革を命じられます。
密貿易、奄美の黒糖の専売、商人からの借金の踏み倒し等により、500万両の借金を返済し、50万両を備蓄しました。
この金が薩摩の明治維新の原動力となるのです。
調所は幕府から密貿易の責任を負わされ、自害します。


公園の一角にある共月亭。

この中国式の建物は、中国湖南省長沙市との友好都市を記念して1985年に完成したものです。
共月亭とは、長沙と鹿児島の両方で共に同じ月を見るという意味で名付けられたものです。
コメント (4)
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