食べることは、人間にとってまさに生きること。
ひとつの食べ物にも、それぞれの人の歴史と思い出がある。
そんな思い出を集めた「食べ物語」という本があるが、その中から印象に残った2編を紹介しよう。
当時8歳だった著者(A男)の一家5人は、戦争で家を焼かれ、お父さんは火傷を負う。
お父さんを乳母車に乗せて歩き、夜は野宿して、次の日の夕方、知り合いの家に身を寄せた。
最初こそ同情してくれたが、3日もすると疎まれるようになった。
隣の家に放し飼いの鶏を飼っており、A男は庭に産み落とされた卵を拾って、その家のおばさんに差し出した。
おばさんは最初きつい目をしたが、「あげるから持って行きなさい」と卵をくれた。
お母さんは、1個の卵を子供3人に分けて卵かけご飯を作ってくれ、それはこの世のものと思えないほどおいしかった。
お父さんに栄養をつけさせないといけないのだが、お父さんは子供に食べさせるように言ったのだ。
A男は、あくる日も隣の庭で2個の卵を拾い、「おばさーん」と呼んだが返事がない。
あちこち回ったが見当たらず、卵を持って帰った。
「また頂いたの?」
「うん」
だが、お母さんが隣へお礼に行き、すぐにうそがばれてしまった。
お母さんは顔を引きつらせて帰ると、A男をたたいて、たたいて、最後は泣きながら抱きしめた。
そのことが原因で、二日後、知り合いの家を出た。
お父さんからも叱られると覚悟したが、お父さんは死ぬまでそのことを話すことはなかった。
次も、卵にまつわる思い出。
昭和30年代、著者(B子)のお母さんは病気で、お父さんが弁当を作ってくれた。
いつも、丸い卵焼きを二つに折って、ご飯の上に乗せたものだった。
それが、笑った口元に似ているので、悪ガキ達から「にっこり弁当」とはやしたてられ、そのたびに泣いていた。
お父さんに心配をかけてはいけないと思い、「卵焼きを切って」とは言えなかった。
だが、みっちゃんという女の子はもっと悲惨だった。
もうすぐ施設に入るみっちゃんは、弁当を持って来れなくて、昼休みは水をお腹いっぱい飲んでいた。
たまに、卵焼きを口に入れてやるのだが、それだけでは腹の足しにならず、「腹がへった」と日に何度もつぶやいていた。
みっちゃんはB子のような泣き虫ではなく、そんな境遇にも平然としていた。
週2回、コッペパン、粗末なおかず、脱脂粉乳の給食があり、皆と同じものを食べられるその日は、二人にとって最高に幸せだった。
お祭りで買ったひよこが大きくなり、卵を産むようになったとき、みっちゃんに食べさせたいと思った。
お父さんに隠れて弁当箱にご飯をつめ、卵と一緒に学校へ持っていった。
学校の小屋に住みつき、雑用をしているおっちゃんがいて、その鍋を借りて卵焼きを作ったが、焦がしてしまった。
焦げた卵焼きをご飯に乗せ、みっちゃんに差し出した。
悪ガキ達は、「まーる焦げ」とはやしたてたが、みっちゃんは
「すげぇうめぇなぁ」
と大きな声で言って、B子に笑顔を見せた。
悪ガキ達は、いつものように「にっこり弁当」とB子の弁当をからかったが、みっちゃんのその声を聞くと不思議に涙は出ず
「うめぇなぁ」
と大きな声で言ったのだった。
ひとつの食べ物にも、それぞれの人の歴史と思い出がある。
そんな思い出を集めた「食べ物語」という本があるが、その中から印象に残った2編を紹介しよう。
当時8歳だった著者(A男)の一家5人は、戦争で家を焼かれ、お父さんは火傷を負う。
お父さんを乳母車に乗せて歩き、夜は野宿して、次の日の夕方、知り合いの家に身を寄せた。
最初こそ同情してくれたが、3日もすると疎まれるようになった。
隣の家に放し飼いの鶏を飼っており、A男は庭に産み落とされた卵を拾って、その家のおばさんに差し出した。
おばさんは最初きつい目をしたが、「あげるから持って行きなさい」と卵をくれた。
お母さんは、1個の卵を子供3人に分けて卵かけご飯を作ってくれ、それはこの世のものと思えないほどおいしかった。
お父さんに栄養をつけさせないといけないのだが、お父さんは子供に食べさせるように言ったのだ。
A男は、あくる日も隣の庭で2個の卵を拾い、「おばさーん」と呼んだが返事がない。
あちこち回ったが見当たらず、卵を持って帰った。
「また頂いたの?」
「うん」
だが、お母さんが隣へお礼に行き、すぐにうそがばれてしまった。
お母さんは顔を引きつらせて帰ると、A男をたたいて、たたいて、最後は泣きながら抱きしめた。
そのことが原因で、二日後、知り合いの家を出た。
お父さんからも叱られると覚悟したが、お父さんは死ぬまでそのことを話すことはなかった。
次も、卵にまつわる思い出。
昭和30年代、著者(B子)のお母さんは病気で、お父さんが弁当を作ってくれた。
いつも、丸い卵焼きを二つに折って、ご飯の上に乗せたものだった。
それが、笑った口元に似ているので、悪ガキ達から「にっこり弁当」とはやしたてられ、そのたびに泣いていた。
お父さんに心配をかけてはいけないと思い、「卵焼きを切って」とは言えなかった。
だが、みっちゃんという女の子はもっと悲惨だった。
もうすぐ施設に入るみっちゃんは、弁当を持って来れなくて、昼休みは水をお腹いっぱい飲んでいた。
たまに、卵焼きを口に入れてやるのだが、それだけでは腹の足しにならず、「腹がへった」と日に何度もつぶやいていた。
みっちゃんはB子のような泣き虫ではなく、そんな境遇にも平然としていた。
週2回、コッペパン、粗末なおかず、脱脂粉乳の給食があり、皆と同じものを食べられるその日は、二人にとって最高に幸せだった。
お祭りで買ったひよこが大きくなり、卵を産むようになったとき、みっちゃんに食べさせたいと思った。
お父さんに隠れて弁当箱にご飯をつめ、卵と一緒に学校へ持っていった。
学校の小屋に住みつき、雑用をしているおっちゃんがいて、その鍋を借りて卵焼きを作ったが、焦がしてしまった。
焦げた卵焼きをご飯に乗せ、みっちゃんに差し出した。
悪ガキ達は、「まーる焦げ」とはやしたてたが、みっちゃんは
「すげぇうめぇなぁ」
と大きな声で言って、B子に笑顔を見せた。
悪ガキ達は、いつものように「にっこり弁当」とB子の弁当をからかったが、みっちゃんのその声を聞くと不思議に涙は出ず
「うめぇなぁ」
と大きな声で言ったのだった。