薩摩半島南西部の坊津から笠沙の海です。

坊津の秋目浦近くの海岸。
このあたりは、リアス式海岸が続きます。

秋目浦。
鑑真が上陸したところです。

笠沙美術館と、沖秋目島(枇榔島)。
このあたりは神話のふるさとでもあります。
ニニギノミコトがコノハナサクヤ姫(木花咲耶姫)と出会ったところとされています。
二人の子供が海幸彦と山幸彦、曾孫が神武天皇で、コノハナサクヤ姫は日本を創った母といえる人です。

沖秋目島近景。

野間半島を望む。

前の写真を撮ったところに、斉藤茂吉の歌碑があります。
神つ代の笠沙の碕にわが足を
ひとたびとどめ心和ぎなむ

野間半島の付け根から南を望む。
槍のようにとがった岩が、天を突くようにしてそびえています。

谷山というところにある谷山の段々畑です。
ここに段々畑が築かれたのは、江戸時代後半以降です。
平成6年頃までは耕作が行われていましたが、今はされていません。
さつまいも、麦、菜種、きぬさやのほか、マーガレット、菊などの花卉栽培も行われていたそうです。

アップ。ブロック積みのところは国道226号。
景観を守るため、草払いなど手入れはしているようです。

絵手紙、始めました。
まだへたなのですが、絵手紙は「へたでいい、へたがいい」そうなので・・・
たまにUPします。
これは、島バナナをもらった同級生(女性)へのお礼状。

坊津の秋目浦近くの海岸。
このあたりは、リアス式海岸が続きます。

秋目浦。
鑑真が上陸したところです。

笠沙美術館と、沖秋目島(枇榔島)。
このあたりは神話のふるさとでもあります。
ニニギノミコトがコノハナサクヤ姫(木花咲耶姫)と出会ったところとされています。
二人の子供が海幸彦と山幸彦、曾孫が神武天皇で、コノハナサクヤ姫は日本を創った母といえる人です。

沖秋目島近景。

野間半島を望む。

前の写真を撮ったところに、斉藤茂吉の歌碑があります。
神つ代の笠沙の碕にわが足を
ひとたびとどめ心和ぎなむ

野間半島の付け根から南を望む。
槍のようにとがった岩が、天を突くようにしてそびえています。

谷山というところにある谷山の段々畑です。
ここに段々畑が築かれたのは、江戸時代後半以降です。
平成6年頃までは耕作が行われていましたが、今はされていません。
さつまいも、麦、菜種、きぬさやのほか、マーガレット、菊などの花卉栽培も行われていたそうです。

アップ。ブロック積みのところは国道226号。
景観を守るため、草払いなど手入れはしているようです。

絵手紙、始めました。
まだへたなのですが、絵手紙は「へたでいい、へたがいい」そうなので・・・
たまにUPします。
これは、島バナナをもらった同級生(女性)へのお礼状。