火の河原
2022-02-04 | 風景
前回紹介した川辺ダムのダム湖に架かる橋を渡って、万之瀬川左岸の支流を上流へ行くと火の河原(ひのこら)集落があります。
山道を進むと、やや広い谷に出ます。火の河原集落は左側にあります。水田は休耕田が多いです。
集落に着きました。小学校跡の前の通りです。
鹿児島市立福原小学校火の河原分校跡です。
校庭。
火の河原とは変わった地名ですが、「火」はここで製鉄や製炭が行われていたことによるものです。また、砂鉄を水洗いする必要があり、製鉄には水車の動力によるふいごが必要であったため、「河原」であることが立地条件でした。いわば「たたら」の集落だったのです。
校庭から見た校舎。
木炭は砂鉄の10倍必要であったため、このような広葉樹のある山間地で製鉄が行われました。砂鉄は喜入前之浜から人や馬で運搬しました。
山懐に抱かれた校舎。明治44年創立で、昭和51年閉校です。
閉校から46年たっていますが、地元の方が整備しているとみえ、校舎も校庭も荒れていません。
正面です。校舎は昭和38年に竣工しました。
二宮金次郎像。
集落を上流へ行きます。
数軒の人家、廃屋、倉庫などがあります。
上流から集落を望む。
同じ鹿児島市内に、周囲から隔絶された山深い集落があることに驚きます。今はダムができて簡単に行けますが、昔は秘境だったことでしょう。製鉄は他藩に秘密にする必要もあったのです。
耕作している田んぼもあります。
休耕田にはクヌギなどが植えられています。
40年以上前に廃校になった学校が残ってるなんて、時が止まってますね。
公民館がわりに使ってるのかもだけど。
鹿児島市内に、こんな隠れ里のようなところがあるのは驚きです。
校舎はまだ立派です。
地域の人が活用しているかもしれません。
とっても穏やかな表情で まるで仏像のようですね。
>地元の方が整備しているとみえ、校舎も校庭も荒れていません。
半世紀近くも管理なさっているとは頭が下がりますね。
きっと卒業生やご家族 思い出がたくさんお有りなのでしょうね。
>製鉄は他藩に秘密にする必要もあったのです
なるほど・・・そうですよね~
ここは、訪れる人も少なく、ひっそりした集落です。
周りから閉ざされたようなところです。
それが、製鉄をやっていたというのですから、神秘的な雰囲気もあります。
学校は、地区のシンボル的な存在で、今でも大切にしているんですね。
出身者にとっても、大切な場所でしょう。