ゼミでJUWAT先生が紹介された本です。
大学準教授を辞して老人介護施設に転職した六車さんの著書です。
介護や福祉の話題は
その経験があればあるほど内容を納得して読み進めることが出来ると思っています。
私自身も母親の関係で
ケアマネによる介護認定、
デイサービスの利用、
グループホームの見学、
介護付き有料老人ホームの選定など、
それなりに関わりをもって、
経験を積んできています。
だからこそ、六車さんが実践された施設に入居している老人からの聞き取りは大変な忍耐力をもっての聞き取りであったろうと想像することは容易です。
たぶん、老人たちは何度も何度も同じことを繰り返して話をしたでしょうし、
話題があっちこっちへ飛んだのではないかとも・・。
年何回かだけですが、私は老人ホームに住まう母を訪問しています。
そこでの会話は毎回ほぼ同じ内容の繰り返し。
いや、意識して私が同じ内容の話題を提供して会話をしているのが実情です。
親戚・親・兄妹の名前、
○○は生きているか?それとも亡くなったか?
背広を縫う下請けをしていた頃の洋裁の話、
かつてのスーパーの精肉店でのパート、
特に旧姓等をキーワードとして反応のある話題については、
何度も何度も問いかけて会話?をしています。
私は医療の専門家でも、介護の専門家でもありません。
しかしながら、まだらな記憶それぞれは鮮明であること、まだらな記憶もその真否は別にしても会話によって一部繋がれていくことを経験として感じています。
ホームを訪問して、母と目があうと
声には出さないが母は「来た」という表情を見せます。
母は意識して、私には近寄らずに日当たりの良いリビングの定位置に移動。
毎回のことですが、息子の私は彼女の心を少しずつほぐしていくのです。
まずは、私が母に質問する。
「わたし誰だっけ?」
私が自ら答える。
「MIだけども」
すると母は毎回同じ返答をする。
「MIは東京に行っちゃったよ。」
(真実であるが、この返答がある度に心が痛み、少し申し訳なさを感じてしまう)
それにめげずに母の横に座り、
手を触りながら年のわりに皺が少なくて奇麗な手だねと褒める。
話をしながら、自室へと誘い、自室のソファーに座って会話して帰宅。
介護はする者とされる者の相互行為ではない。
する者はいやならいつでも逃げられるけど、される者は逃れられない。
施設には本当に感謝している。
何人もの老人を抱えている介護職員は、その面倒をみるだけで手いっぱいでもある。
ホームでは「指示を出してやらせる。やってあげる。手伝ってあげる。」
そんなことが日常行われています。
時間がかかっても尊厳を持って老人の言葉を聴いてあげることの大切さを読後に再確認したしだいです。
ぜひとも今週のどこかで、静岡に行ってこようと思っています。
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