突然ですが、“KISS”とは親鳥が雛鳥に口移しで食べ物を与える行為と同じであると
デズモンド・モリスの『マンウオッチング』に書かれています。
人間の場合にも離乳後に、親が食べ物を咀嚼して子供に口移しで与えていました。
唇と唇を合わせる、その行為は遺伝的に伝承されているのではないかとも言われています。
それは、つまり食べ物を食べさせる行為、フィーディングです。
本題のスプーンフィーディングですが
「至れり尽くせり」とネットでは表記されていました。
しかしながら、その訳が何となくしっくりきません。
そこで、ここではそのまま「スプーンフィーディング」という語を使用していきます。
「スプーンフィーディング」とは
読んで字のごとく乳幼児、老人、その他障害を抱えている弱者が自分一人で食べることができないので、
援助者によって食べ物を食べさせてもらう行為です。
社会学では自分で食べることができるのに
いつまでも甘えて食べさせてもらっている過保護な状態をあらわすことに使用している表現です。
日本の文化では習うことが主流で、老若男女、様々な教室に通い習い事をしています。
自ら学ぶことを教えることは、
学校教育においては其れほど重きが置かれていないようです。
実際の教育現場においても、学習者の学習に対しての受身的な姿勢が強く感じられます。
多くの生徒や学生の受身的な学習傾向に対応し、
多くの高校や大学は「面倒見の良さ」を売りものにもしています。
現在の大学生は、かつての高校生。
現在の高校生はかつての中学生。
というように精神年齢が一段階下がっているとも言われます。
それは30歳成人説なるものとも同じ発想です。
このような現状を考えると
学校においてのスプーンフィーディング的な取り組みは殆どの学校において必要であると思います。
実は大学院のM2の時に、
中堅の広告会社で3週間のインターンシップを体験したことがあります。
インターンシップの打ち合わせで、
部長に厳しく言われた言葉は今でも忘れられません。
「前年度にきた学生は酷かった。まったく勉強してきていない。」
部長は大学のインターンシップに対しての取り組みや考え方に不満を漏らし、
私に対しても不安でいっぱいという対応でした。
学生はインターンシップを単なる実習、気楽な実習だと考えていたのです。
対して会社は、それを実践練習と捉えていたのです。
その捉え方の差こそ問題であり、
インターンシップ継続の阻害要因にも成りえることを痛感しました。
実際に学校での充分な事前教育というスプーンフィーディングは必要です。
しかしながら、さらにそれに留まらず、
「教えてもらう姿勢から、自ら学ぶ姿勢への転換」の必要性を強く感じます。
受身的な思考では、世論操作の標的になること間違いなしです。
1933年、ヒトラーはベルリンのモーターショーで
「自動車が金権階級のものであるかぎり、自動車は国民を富める者と貧しき者にわけるものでしかない。・・われわれは今こそ、国民のための自動車をもつべきである」
とすべての国民が一台ずつ小型車を持てるようにするという飴を与えて国民の心をとらえました。
現在の日本では、国民一人あたり1万2千円という政策が一人歩きしています。
このようなことも、テレビコメンテイターの意見だけではなく、
自分としてはどう思うのかが判断できるような学びが、
さらに重要になってきていると思います。
*東経大珠研の元幹事新井正彦さんが亡くなったそうです。
桐生一高の野球部出身の新井さんの影響で珠算部がまるで野球部であるかのように朝練習や試合をしたことを思い出しました。
ご冥福をお祈りします。
デズモンド・モリスの『マンウオッチング』に書かれています。
人間の場合にも離乳後に、親が食べ物を咀嚼して子供に口移しで与えていました。
唇と唇を合わせる、その行為は遺伝的に伝承されているのではないかとも言われています。
それは、つまり食べ物を食べさせる行為、フィーディングです。
本題のスプーンフィーディングですが
「至れり尽くせり」とネットでは表記されていました。
しかしながら、その訳が何となくしっくりきません。
そこで、ここではそのまま「スプーンフィーディング」という語を使用していきます。
「スプーンフィーディング」とは
読んで字のごとく乳幼児、老人、その他障害を抱えている弱者が自分一人で食べることができないので、
援助者によって食べ物を食べさせてもらう行為です。
社会学では自分で食べることができるのに
いつまでも甘えて食べさせてもらっている過保護な状態をあらわすことに使用している表現です。
日本の文化では習うことが主流で、老若男女、様々な教室に通い習い事をしています。
自ら学ぶことを教えることは、
学校教育においては其れほど重きが置かれていないようです。
実際の教育現場においても、学習者の学習に対しての受身的な姿勢が強く感じられます。
多くの生徒や学生の受身的な学習傾向に対応し、
多くの高校や大学は「面倒見の良さ」を売りものにもしています。
現在の大学生は、かつての高校生。
現在の高校生はかつての中学生。
というように精神年齢が一段階下がっているとも言われます。
それは30歳成人説なるものとも同じ発想です。
このような現状を考えると
学校においてのスプーンフィーディング的な取り組みは殆どの学校において必要であると思います。
実は大学院のM2の時に、
中堅の広告会社で3週間のインターンシップを体験したことがあります。
インターンシップの打ち合わせで、
部長に厳しく言われた言葉は今でも忘れられません。
「前年度にきた学生は酷かった。まったく勉強してきていない。」
部長は大学のインターンシップに対しての取り組みや考え方に不満を漏らし、
私に対しても不安でいっぱいという対応でした。
学生はインターンシップを単なる実習、気楽な実習だと考えていたのです。
対して会社は、それを実践練習と捉えていたのです。
その捉え方の差こそ問題であり、
インターンシップ継続の阻害要因にも成りえることを痛感しました。
実際に学校での充分な事前教育というスプーンフィーディングは必要です。
しかしながら、さらにそれに留まらず、
「教えてもらう姿勢から、自ら学ぶ姿勢への転換」の必要性を強く感じます。
受身的な思考では、世論操作の標的になること間違いなしです。
1933年、ヒトラーはベルリンのモーターショーで
「自動車が金権階級のものであるかぎり、自動車は国民を富める者と貧しき者にわけるものでしかない。・・われわれは今こそ、国民のための自動車をもつべきである」
とすべての国民が一台ずつ小型車を持てるようにするという飴を与えて国民の心をとらえました。
現在の日本では、国民一人あたり1万2千円という政策が一人歩きしています。
このようなことも、テレビコメンテイターの意見だけではなく、
自分としてはどう思うのかが判断できるような学びが、
さらに重要になってきていると思います。
*東経大珠研の元幹事新井正彦さんが亡くなったそうです。
桐生一高の野球部出身の新井さんの影響で珠算部がまるで野球部であるかのように朝練習や試合をしたことを思い出しました。
ご冥福をお祈りします。
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