前にも書いたことだが、中学の音楽の授業で聞いたバッハの「小フーガト短調」は強烈に印象に残り、間もなくCDを買いに行った。一方で、高校の時に熊本県立劇場で聞いたドヴォルザークの「新世界より」は全くと言っていいほど印象に残っていない。なぜこのような違いが生まれたのだろうか?そう問えば、年代も曲調も全く違うから当然だという答えが返ってくるだろうが(※)、それにしても「小フーガト短調」が強く印象に残ったこ . . . 本文を読む
この前の「宗教と思索:今日的思考の原点」の元になったフラグメント。
<西欧的?>
宗教と世間と自分。西欧的な部分が感じられるとしたら、むしろそこだろう。他の人と比べれば、はなっから世間は相対的なものだったのかもしれない(※)。しかし自分も信用してない。何度もくだらん思い込みが引っ繰り返されるのを経験しているから(※2)。
※
前回の竜馬の話で述べた内容から考えれば、この記述は誤りである。
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