あーそーゆーことね完全に理解した(←全く原作見てない)。どうもムッカーです。「若おかみは小学生」という作品(以下「若おかみ」と表記)が一頃評判になってるけどどんな内容なのかな?と思っているうち今に到るわけですが、山田玲司の解説を聞いて色々おもしろかったのでそれについて書きたいと思い〼。なお、4人の評に差があり過ぎるというコメント・評価があるようですが、この作品のレビューという点ではむしろそれが上手く機能していると感じました。なぜなら、後にも触れるように感動モノとしてよくできているので、その構造を論じること自体が「野暮」だと感じられ、反発されてしまう可能性が少なくないからです。ゆえに、「素直に感動した久世、構造をわかった上であえて乗っかった=プロレスをした奥野、乗れなかった清水、その構造を解析する山田」という立ち位置の違い自体が、コンスタティブ(内容)な面以上にパフォーマティブ(行動・演出)な面で、この作品とその需要環境を浮かび上がらせるプレゼンの仕方として適切だったように思うわけです(ちなみに子供のぐずってる姿すら可愛く感じることがある俺は、この作品を見たら確実に泣く気がするw)。
ちなみに私がこの話をこのタイミングで持ってきたのは、この動画で語られる若おかみの構造と需要のされ方が、前に書いたundertaleと非常に対照的だと思うからです。二項対立的って悪手のように言われるけど、語る側に回ると理解されやすいので使い勝手がいいってはっきりわかんだね(・∀・)
さて、くだくだしく述べるのもあれなので、結論から言ってしまえば、若おかみの作風って「ノイズ排除によって包摂が可能になった」世界ってことのようですね(詳しくは動画を見ていただければと思いますが、ノイズとは例えば地方にしばしば起こる閉鎖的社会ゆえの軋轢などです)。はい、もうこの時点で本作が好きな人はいやーな感じを受けると思いますんで、良い風な表現を用いると、「ウェルメイドな感動モノ」ってことです(構造的問題の指摘≠作品としての価値を認めない、ということです。作品としては質が高いという点は注意を喚起しておきます)。しかし、もう一回書きますが、それは「ノイズ排除によって包摂が可能になった」ことで成り立ってるんです(ちなみに、ノイズを排除した構成が心地よい演出であり、かつそれが危険な欺瞞であることを、パフォーマティブに提示したのが傑作アニメ「ソウルイーター」である)。
この恐るべき矛盾。
いや、ゲーテッドコミュニティや、グローバル化と移民問題からもわかるように、実はノイズ排除と包摂は密接な関係があるんや。そしてそれこそが今世界で問題になっていることやで。一体どっからどこまでが「我々」なのかってね。つまり何がノイズか、何が包摂の対象か、それがとても微妙かつ恣意的な線引きに過ぎないのさ。え?そんなもん国境線やんって??ご冗談でしょう、ファインマンさんwwwアメリカでなぜトランプ現象が起こってるか言うたら、ラストベルトの人たちがエグゼクティブやマイノリティ=民主党的・ヒラリー的なるもの(もちろんこれはレッテル貼りで、サンダースとかもいるんですがね)を信用せん方向で団結したからでしょう。あるいは何でブレグジットが起こったのかというと、その要因の一つは地方(反グローバリズム)と都市(親グローバリズム)の対立図式でしょう。そして日本においては、反対する意見の人間に「外国人」などとレッテル貼りしたり、あるいは苦境に陥っている人間や被害者に対して自己責任の連呼が日常茶飯事に行われてるわけでしょう。さらにカタルーニャ独立問題etcetc...こういった現状を見てなお、国境線がノイズ排除と包摂のラインだと言えますか?って話ですわ。
・・・っとまあ冒頭と違うテンションで書いてみましたが、こういった現状認識に立てば、動画内で山田が言っている「日本人がバラバラ」って話はむしろ当然のことだと理解できるでしょう。まあ元々が「想像の共同体」にすぎないんで、それが可視化されるようになった、と言ってしまえばそれまでなんですが。
ちょっとノイズ排除と包摂の話が長くなりました。まあこういうのが現実だから、みんな考えたくなくなる=ウェルメイドな感動モノ最高ってなるってことですわ( ̄▽ ̄;)ところで、山田の話でもう一つ興味深いのは、共同体への回帰の件。
今の状況って、そもそも戦後の貧しい状況を克服するために、出稼ぎやら都市化が進み、そして戦前的なものが否定的に語られナショナリズムなどが批判的に捉えられる中で共同体が解体して生まれたものなわけだよね(ちなみにやたら自己責任論がこの国で幅を利かせるのは、権利=恩恵的な権利意識の低さ、それと裏表にある忍耐の美徳化、そしてナショナリズム否定→同朋意識の欠如→リベラルナショナリズムの解体といった要因が背景にあると思うが、この見方が正しいなら、ナショナリズムを否定することが正義であるかのような認識と言説を振りまいてきた連中はこの状況に一定の責任があると言えるだろう)。
その結果として、シャッター商店街や限界集落の話を持ち出すまでもなく、地域差こそあれ共同体はもうかなりの程度空洞化してるわけだけど、そもそも解放を望んでたのってまさしく自分たち自身じゃねーの??にもかかわらず、都合が悪くなったらそのことを忘却して「昔は良かった」とか言うわけかい?そして現実にはシステムに埋没しながら、「今さらやめられない」とか言う訳かい??それってまさに思考停止の極みだと思うんだがね・・・ということから、前にも引用した宮台真司のインタビューを連想した。
なるほど(宮台風の言葉を使えば)ホームベース(=いざという時の寄る辺)が必要である、てのはいい。しかし、それは自分が食い詰めた時のリスクヘッジ(=損得勘定に基づいた行動)だと言うなら、「不況で仕事ねーから都市に出るしかねーわ」ってのと何が違うんだろうか?要するに、パトリオティズム(愛郷心)なき地方礼賛も、田舎者の東京リスペクトと根っこは同じで実に薄っぺらなもんでしかないって話。
で、ここで山田の若おかみ解説に戻るが、「多くの人には老舗旅館(のごとき多少余力のあるホームベース)がない」どころじゃない。これから日本経済が下降線を辿ることは確実であり、中間層が崩壊して下層(アンダークラス)が増えていくだろう。そんな先細りの機運に薄々感づいているから、みんなリスクヘッジに躍起になってるんだ(子どもの教育、不動産投資など。あるいはビットコインみたいなものへの投資で一発逆転&逃げ切りゴールを狙う)。
え?んなことわかってるけど、そういう現実に目を向けると精神が持っていかれそうになるからノイズなき感動モノが見たいんだって??
うーん、そりゃまあわかるんですけど、その私らの生活ってさ、新興国からの経済的搾取で成り立っていることはちゃんと認識してんのかね?百円ショップしかり、アップルの部品製造しかり、外国人研修生制度しかり。それなくして、俺たちはこの苦境の被害者だってだけ言うなら、申し訳ないけどそりゃ「無知は罪」ってもんだぜ。そんな人は若おかみと合わせて「愛しのアイリーン」を見るよろし(・∀・)
なーんてね。とはいえ、やれることはいくらでもある気はするけどね。そもそもこの作品に号泣メンになるのって、もちろんこの作品がよくできてるのもあるだろうけど、それだけ自分の置かれた状況が苦しいからでしょ。だったら、その荷物を時には他人とシェアすることのできる・しやすい社会にするとこから始めるのがいいんじゃない?少なくとも、自己責任を連呼して首絞めあってる社会には、未来なんかねーよ。
そんなことを思った素晴らしい作品評でした、ということでこの稿を終えたい。
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