映画「ナポレオン」の感想:革命精神ではなく、情愛が世界を駆動する

2023-12-12 11:32:13 | レビュー系
ナポレオンヴェトナムメキシコ」とコロニアリズムのコンボ(何じゃそりゃ)をキめたところで、映画「ナポレオン」のネタバレなしレビューはぁじまるよぉ~。
 
 
まず大まかな評価は75~85点というところ。「驚きはないが、よく練られたエンタメ映画」という印象だが、この作品に関しては、ナポレオンとジョゼフィーヌの関係性を軸に描いているため、二人の演者の魅力についてまずは書きたいと思う。今述べたことを言い換えると、もし二人に強い魅力がなかったら、物語展開に説得力が生まれず、ゆえにただの頭でっかちな映画になっていただろう、ということでもある。
 
 
さて、傲岸不遜さとエネルギッシュさの中にどこか弱さ(臆病さ)を抱えたホアキン・フェニックスをナポレオン役に据え、妖艶さと危うさを持つヴァネッサ・カービーをジョゼフィーヌ役に配した時点で、ある程度この映画のエンタメとしての成功は約束されていた、と言ってよいと思う。
 
 
というのも、監督リドリー・スコットはナポレオンをヒトラー(つまり危険な独裁者)として描こうとしたらしいが、もし仮に、彼を単なる暴君のように描いていたら、そもそも彼が人心を掌握できたことに説得力が湧かず、単にわかりやすい悪を叩いて留飲を下げるだけのしょうもないポリコレ的(あえて言えばイデオロギー的)作品に堕していたと思われるからだ。言い換えれば、ナチスの悪魔化と同じで、なぜ彼が「危険」なのかはついぞ受け手に実感されず、「危ないヤツに騙された愚かな民衆」という図式的・切断的理解で終わっていたはずだ。
 
 
この点、ホアキン・フェニックス扮するナポレオンは、革命理念のような空理・空論を語らず、むしろそういったものに極めて冷笑的である(これは前半で何度となく強調されている)。一方で、ある種のコンプレックスや虚栄心、(半ば母子癒着的な)分離不安に突き動かされているのだが、逆にそういった「剥き出し」の感じが、その軍事的才能と結合した時に、巨大なカリスマとなって共和政フランスを一種の熱狂の渦に巻き込み、己を一代で皇帝へのし上げるまでに到った、という表現の仕方になっている。
 
 
で、そのような彼の行動原理の軸はジョゼフィーヌなので、当然そこに強い説得性がなければ話にならない。彼女にそれだけの魅力がなければ、ナポレオンは「ショボい女に振り回されたショボいヤツ」になってしまうからである。その点でいえば、ヴァネッサ・カービー扮するジョゼフィーヌは・・・どう控えめに言っても最高だ😍初見から圧倒的な官能性を振りまく彼女にナポレオンは遠目から釘付けになって、そこを彼女に問い詰められると小学生みたいな反論をする様が笑いを誘うのだが、大の年上スキーである私としても、その抗いがたい魅力は納得のいくところで、ボナっち(誰だ)とは美味い酒が飲めそうだと思ったとか思わなかったとか・・・ただ、手紙攻勢はまじキモ過ぎだけどもwww
 
 
閑話休題。
以降の物語は、ジョゼフィーヌへの愛に振り回されながらのし上がり、結果としてその立場上ジョゼフィーヌと離別せざるを得なくなって、最後はその身を破滅させていくという展開を取る(彼の失脚は歴史的事実なので、さすがにネタバレの範囲外ということで書きましたよとw)。これは要するに、ナポレオンがその才能と虚栄心、そしてその時代性から分不相応な地位を獲得したことが、ナポレオン・ジョゼフィーヌ両人にとっても、そして(欧州)世界にとっても悲劇であったことを暗に示している。そして同時に、革命精神をヨーロッパに波及させた人物という英雄像を、その根底にある俗物的欲求の発露(の結果にすぎない)という形で相対化しているものと思われる。
 
 
この点、昨今さらに強くなっているコロニアリズム批判などに倣ったものだと思われるかもしれないが、それだけとは言えないだろう。というのも、以前毒書会でテーマにしたマンハイムの『イデオロギーとユートピア』でも紹介されているように、イデオロギーを「現実政治から遊離した空理・空論(もしくはそれを唱える者たち)」の意で用い始めたのはナポレオンその人だし、あるいは「愚者は過去を語り、賢者は現在を語り、狂人は未来を語る」といった言葉にも、その行動原理を読み取ることは容易だからだ(とても乱暴に言えば、「保守」とか「革新」みたいなのを真面目に論じるのはアホのやることで、あくまで今現在自分が人気を博し、それを維持するために有効かどうかが重要なのである、てこと。この辺はル・ボンの『群集心理』などを読むのも参考になる。まあそんな彼が人気を得たのは、革命によって民衆の発言力が増しただけでなく、ロベスピエールやサン・ジュストらが行った恐怖政治への反発ってのも背景にあるのだけど)。
 
 
つまり、彼は実際に典型的かつ天才的なポピュリストであり、それは後のルイ・ボナパルトも真似たボナパルティズムに象徴される。そしてそのような彼が、(アレクサンドロスやカエサルを範としながら)己の虚栄心に突き動かされるままに皇帝となってヨーロッパ中に派兵し、未曾有の死傷者を生み出したのが18世紀末から19世紀初頭にかけてのヨーロッパだった、というのがこの作品の主張したいところなのだろう。
 
 
その意味で、美大落ちのオーストリア人(cf.ナポレオン=フランスからすると田舎生まれのコルシカ野郎)が、そのルサンチマンから練り上げた民族主義によってヨーロッパを席捲しかけた第二次世界大戦の頃の様相と類似している、と見ることもできる(するとロシア遠征なぞは当然独ソ戦と重ね合わされるわけだ)。このことは、ナチスが第一次大戦終結後すぐには泡沫政党でありながら、敗戦のルサンチマンや経済危機という不安にヒトラーの演説能力と誇大妄想が融合し、急速に成長していったことを想起したい。この辺、若干ためらわれる表現ではあるが、ヘーゲルの「時代精神」という文言を思い出すのもそれなりに有益だろう(注)。
 
 
さらに言えば、グローバリゼーションと成熟社会化の進展によって、民主主義・資本主義・国民国家というトリアーデが崩れかけた状況への不安に人々が苛まれ、そのバックラッシュ的傾向を利用して排外主義を旗印にしたD.J.トランプやFNのマリーヌ・ル・ペンなどが支持を得ている現状も意識されているのではないかと思われる。なお、ナポレオンの言動とのアナロジーで言うと、例えばトランプが粗野で稚拙な言い回しによって、むしろ親近感が持てる存在として多くの有権者に受け入れられた、ということを想起したい。これはかつてのゴアとブッシュという大統領候補者同士の討論番組の反応もそうで、議論が整然としていたのは前者だったが、むしろ「頭が良さそうなアイツは、どうも俺たちと違う存在としていけ好かないし、信用できない」とばかりに後者の支持が高まったことなどが思い出されるところだ(注2)。
 
 
というわけで、ここまで作品の表現方法の特徴をネタバレなしで述べてきたが、この作品がナポレオンを危険な独裁者として描くのに成功しているかと問われると、若干の疑問を感じる。というのも、粗野だが正直で魅力的な存在としてのし上がっていくナポレオンに対し、しょうがねえヤツだなと呆れながらも魅力を感じる人は多いのではないかと予測するが、一方でその危険性を実感することは難しいと思うからだ。
 
 
まあまずは興行として成功させねばということでエンタメ性を十分に確保し、テーマについては伝わる人に伝わればいいやということで最後の数字を入れたのかもしれないが、例えばスペイン支配とゲリラの抵抗とか(ゴヤの絵が有名)、ハイチ(サン・ドマング)に対する抑圧と独立運動とか、気付きのために入れられる要素はあったんじゃないかと思う(あるいは彼の分離不安的な面で言えば、愛するおかんが皇帝即位式への参加を「あんたみたいな田舎モンが皇帝とか思いあがってんじゃないよ。今に恥かくよ!」とばかりに断ったのにブチ切れ、ダヴィドに母親が列席している戴冠式の絵を捏造させたエピソードなんかを入れてもよかったんじゃね?と思うw)。
 
 
まあその辺は、「縁なき衆生は度し難し」じゃないが、これが単なるナポレオンの生々しい魅力を伝える作品にしかならない人にとってはポピュリズムの有効性の証明となるし、一方その危険性に気付く人たちにとっては、ポピュリズムの抗いがたい強さを共有できる効果をもたらす(正論だけ言っても止まりませぬ)、という製作者の意図なのではないか?とここでは評価しておきたい。
 
 
 
(注)
まあヒトラーの場合は、ナポレオンと違ってイデオロギーの要素が極めて強いので、彼と同一視することはもちろんできないのだが。
 
ちなみに、前の記事でも紹介したように、そもそもナショナリズムの高揚はフランス革命を契機としており、それが欧州に広がった契機がナポレオン戦争だったからで、つまり今ある仕組み=近代社会の始まりをなしたのが本作で描かれる時代と言うことができる。ついでに補足しておくと、近代には産業革命という要素も必要で、市民革命がいち早く起こり産業の自由化が進んでいたイギリスでは18世紀後半にはそれが始まっていた。
 
一方、農業が強く、しかもジャコバン派による無償の土地分配の影響で小農民が大量に生まれていたフランスでは、土地へしがみつく人々が多くてナポレオン政権下では産業革命が遅々として進まず、ゆえに工業力では英国の後塵を拝していた。そのため、ロシアなど大陸諸国は「産業革命で量産された英国の安い製品を輸入し、自国の穀物を英国に輸出する」という関係をやめることができず、作中でも言及される大陸封鎖令は必然的に失敗せざるをえなかった。
 
 
 
(注2)
なお、こう述べると政治にしか関係ない話だと思われるかもしれないが、以下の動画で言及されるイーロン・マスクのキャラクター性・カリスマ性も類似したところがあって興味深いので、お時間ある時にどうぞ。ちなみに排外主義的な性質をこの記事では否定的なものとして扱っているが、それが人間の抜きがたい性質から来ていることにも触れられている点、注意を喚起したい。
 
 
 
 
 
 

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