金峯山寺蔵王堂から左手に移動し、後醍醐天皇による吉野朝の残滓を見る。私は正統云々よりもむしろ、そのようなイデオロギー(cf.神皇正統記)がどのように成立したかとか、あるいは楠木正成にまつわる伝説のように、それが後世にどのような影響を与えたかの方に興味がある(ちなみに以下の動画は旅行より後のものである)。
というわけで、さして長居もせず次の場所へ。
密教式の仏壇を撮影。
さらに西へと進む。
あ、なんか途端に俗物っぽくなったなw
まあでも、修験て要するに民間の行者ってことだから、それが祀っているものも勢いこんな感じになるよな。
ながーい階段を降りると、
龍王院へ到着。
建物自体は新しいので、これでなにか感銘を受けるということはないが、
周囲の雰囲気は最高!ここで宿泊して、朝の景色を拝んでみたいものである・・・
おん?そら蕎麦てい。そわか・・・なんてまるで呪文ですなwてかソラソバディーって聞くと、タイのドバラバティーとかを思い出すね。まあどっちも古代インド由来だから当たり前ではあるが(・∀・)
カタカナにするとまるで記号化して呪文みたいにしか見えないけど、実際には様々な関連性が存在する。例えば「スールヤヴァルマン」と聞いてもよくわからないが、スールヤ=太陽神で、チャンドラー=月の神みたいな理解をすると、古代インドのマウリヤ朝やグプタ朝のチャンドラグプタ王の由来がわかるだけでなく、インド・ヒンドゥー文化と、東南アジアの関係の深さを知る契機になるというものだ(ジャワ島のシャイレンドラ=シャイラ+インドラ=山の神や、スマトラ島のシュリーヴィジャヤ=シュリ+ヴィジャヤ=聖なる勝利も同様。そこから、ヴァスコ・ダ・ガマも訪れた南インドのヴィジャヤナガル王国も、「勝利」関係の名前であることが容易に推察されるとか何とか)。
カタカナによる記号化は外来文化の丸呑みを可能にした一方で、深い理解からは遠ざかるのが難点よなあ。前にも書いた「ノビスパン」がヌエバ・エスパーニャの原形をほとんど残しておらず、よってその名称からメキシコ→本国スペインのように知が外へ広がっていかないようにね。こういうのは翻訳文化的暗記ゲー(暗記至上主義・点数至上主義)とは神話性が高いが、まあそこ止まりである(知らないよりはマシだけど)。
ま、まあ・・・そのおかげで、RPGの武器や敵の名前とかは、特に由来も気にせず色々なガジェットと戯れられるって説もあるんだが(FFに武器として登場するエクスカリバー<ラグナロクとかねw今では多少有名になったけど、ロンギヌスやゲイボルグなんかもそうなるかな)。ま、その意味ではアカシックレコードよりネタの方が重要ですな(・∀・)
とか何とか考えながら、次なる場所に移動することにした。
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