異形の正体:田畑に佇む林の来歴

2024-08-20 21:28:48 | 畿内・近畿旅行


安土城跡から出て車で数分のところにそれは存在した。


真っ直ぐな道とのどかな田園風景の中で存在感を放つ林。


それは人を拒む異空間のようでもあり、あるいは身体を横たえる異形のようでもあった。


吸い寄せらるようにそこへ向かうと、入口が目に入った。






おいおい、まるで俺みたいな不埒な放浪者を飲み込まんとする口蓋のようじゃないか・・・







とはいえ、八王子城やトゥール・スレン虐殺博物館のごとき、肌にまとわりつくような独特の寒々しい空気感はなさそうだ(まあ単に真夏だからかもしれんがw)。


ならば、そのいざないに身を委ねるにしくはなし・・・





あにはからんや、ここは神輿の休息所らしい。つまり、確かに人を拒む禁足地ではあるが、それは忌み地ではなく、むしろ聖地(例えば沖ノ島などと類似)の類ということだ。


考えてみると、仕置き場(処刑場)跡のような場所は、放置されるよりむしろ、空き地(荒れ地)になっているケースが多いように思える。


周囲に田畑や家屋があるのにそうなっている点で、雄弁な惨劇の主張者というよりむしろ、存在を否定・拒絶するブラックホールのような空間として、近くを通る者に強烈な違和感を与えるような場所というのが私の印象だ(ちなみにこの林の近くには住宅街があり、そこにある祠を丁寧に避けるように道路が走っていた)。


その意味では、私が今回訪れた場所は、古墳などに近い場なのだろう。


・・・と考えながら周囲を巡っていたら、






「殉教の地」とのささやかな慰霊碑があった。これは浄土宗との宗論で破れた建部と大脇の二人のようだ。


なるほどここは死と結び付けられた場所でもあるのか・・ただ、この慰霊碑が建てられたのは昭和戦後のようで、果たしてこの地が実際に処刑の地なのか、そしてそれがずっと語り継がれてきたのかは謎だ。


ただ少なくとも、田畑の中で自己を主張するこの異形の禁足地が、様々な伝承を飲み込んで実態よりも巨大な幻想を抱かせる存在となった、とは言えそうである。


都市部にいると全く馬鹿げた話のように思えるかもしれないが、その中心東京でさえ、今なお1000年以上前に死んだ将門の首塚が曰く付きの場所として存在し続けているのだから、幻想の体系を知るためのよすがとして、そのあり方を解析することは人間社会を理解する上でも重要な視点だろう・・・


なんてことを思いながら、長浜に向かうため車の元へ戻るのであった。

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