今現在「ケルト神話」などで言われるケルトって元々のケルトと繋がってなくね?という話はなかなかに興味深い。というのも、例えば「現代ウズベク」や「現代ウイグル」など、今普通に「ウズベク」と言われる人々はティムール帝国を崩壊させたウズベク族とは連続性がなく、今日「ウイグル」と名指される人々は、突厥を駆逐してモンゴル高原に覇を唱えたウイグル(回骨)とは別の存在である、といった事実を連想させるからだ(中央アジアに国を作っていく際にロシアの側が名前を与えていった、という流れ)。
まあ一応言っておくと、ケルトの場合は「過去になされた雑な同定が時代を経て様々な方面から検証できるようになるにつれて、その一部の共通性はあるものの、同じではないとわかってきた」という現象であり、ウズベクやウイグルは「そもそも別物とわかった上で、お墨付きとして過去の著名なトルコ系部族の名を後から与えた」というものなので全く同じ流れではない(そもそも国民国家の枠組み自体が、作られた伝統含め付会と捏造に満ちている点は今更指摘するまでもないだろう)。
しかしそれでも、同じ言葉で名指される対象の内実が実は全く異なるものになっているという事態は、「言葉が同じ=既知ゆえにわかっていると思い込む=検証の意識が弱まりがち」という意味でも注意しなければならないだろう(遠い世界の話に思えるかもしれないが、家系図の捏造などは割と日本でもよく知られた話で、前に紹介した「椿井文書」などは悪い意味でそのグレードアップ版と言えるだろう)。
まあこういう問題意識は、自分がドイツの次にウズベキスタンを訪れた理由の一つであるのだが、そちらの旅行記事はとても今は用意する時間がないので、来年暇を見つけてちまちまアップしたいと思っているところである。対馬というマージナルな世界に旅行する予定はあるので、そのついでに別の角度から掘り下げて考えてみるのも面白いかもね。
とまあ今回はま兎鞠のない感じで終了とさせていただきやす(・∀・)
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