を勝手に「博愛主義」のようにレッテル貼りし、差別的言動を繰り返す者や、あまつさえ他者へ暴力(ゲバルト)を用いる者さえ肯定・包摂せよなどと言う。
全く愚かしいことだ。
リベラリズムの根源にあるのは共生の作法・知恵の模索であって、無批判な全肯定でもなければ、ましてや「博愛」などでは全くない。ゆえに、そのことを踏まえぬ批判など、ただ因縁をつけているのと変わるところがなく、為にする言説でなければただの時間の無駄と言わざるをえない(まあ日本の中で「リベラル」と名指される連中の多くに辟易する気持ち自体はよくわかるが)。
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