高等教育にまつわる負のサイクルと労働力不足を断ち切るには:高卒待遇改善と大学統廃合について

2025-02-21 11:13:33 | 日記

 

 

 

 

 

 

 

 

結局のところさ、何をやりたいのかも決まっていなければ、(それも相まって)特別に何かを勉強したい訳でもないのに、「キャリアパスのためとりあえず大学に行かなければならない(またはそう思い込んでいる)」層があまりに多く、そこに無駄なヒト・カネ・時間が投下されていることが、最大の問題なんじゃないのかね?

 

つまり、さしてモチベーションのないまま大学「には」行き、多額の奨学金(借金)まで借りた上で、仕事で使うワケでもない知識をゆるーく学んで、就ける職業は高卒就職者の収入とさして変わらない(まあどういう職種で比較するのかって話もあるが)って状態になると。もしその人が高卒から正社員として働き続けていれば、奨学金の分と合わせれば1000万近い差がすでに生まれている訳で、それは当然20代~30代前半という時期での結婚にも(特に地方では)影響してくるだろう。

 

思うに、このような立ち回りは就職氷河期やリーマンショックなどの頃であれば、それなりに合理的なものだったと考えられる。というのも、企業の人手不足が深刻ではなかった上、パワハラ・セクハラの認識も浸透しておらず、大量の入れ替え可能な人材が世に溢れていた状況では、高卒組はボロ雑巾のように使い倒され壊されるリスクが大卒組よりも高かったからだ。それゆえ、親に一定の収入さえあれば、生存戦略の一環として、一部モラトリアムも兼ねた大学進学という選択を採る途はそれなりには有効であった、という話である。しかし今や空前の人手不足であり、かつパワハラなどは社会悪認定が進んだことによって、人が辞めるどころかSNS拡散で当該行為で自らの首を絞めかねないため、合理的・戦略的な意味でも待遇改善は必須の状況となっているため、その頃の発想で考えるべきではないと言える。

 

なお、今の少子化は婚姻者からの出生数ではなく婚姻数自体の減少、すなわち小母化が原因だと指摘されているが(ちなみに日本の婚外子出産率は1割を切る)、現在の大学進学の構造は少子化にも大きな悪影響を与えている可能性があると言える。ここでは婚活市場において「大卒以上」が条件とされるケースが見られるとの指摘もあるが、そうやって条件を絞り込んだ人間たちが死屍累々となる様が今後の日本ではそこここで観察されるはずなので、それが若年層にとっての反面教師として上昇婚志向を抑止する可能性は十分ある、と述べておきたい(「一面では合理的に見えるリスクヘッジの生存戦略が、むしろ自分たちの首を絞めかねない」という気付きなしに、行動パターンは変わりようがない。そこに加えて「一定年収未満なら、キャリアアップと上昇婚を目指すより、収入が同程度か若干下の人間と生活のパートナーシップを結んだ方が将来は安定しやすい」ということが教育を通じて周知されれば、ミスマッチも今よりは減るでしょうという話。さらに言えば、大学進学する割合が減り、絞り込まれた大学進学者への公的援助が手厚くなれば、子どもが大学に行っても行かなくても教育=子どもに必要な投資額も減るため、出産・育児がしやすくなると考えられる)。

 

このように考えてみると、「無駄な高学歴化」を抑止することにはメリットしかない(まあそもそも日本の場合は、大学院卒の扱いを見ればわかりょうに、学歴社会ではなくて「学校歴社会」なのだが)。なるほど確かに、海外で働くことを考えれば(中身はともかく)大卒資格があると便利ではあるが、そこまで戦略的思考をしている人にとっては、そもそも今回のような「自動機械的大学進学者」の話は当てはまらないと考える。

 

とはいえ、だ。日本の経済衰退に伴い将来への不安がどんどん膨らんでいる現状において、「とりあえずリスクの少なそうな方へ行こう」とか「可能性を狭めさせたくない」といった本人自身や周囲の大人の「合理的判断」を止めることは難しいだろう。とするなら、ゲームチェンジをする以外には方法がない。それに向けて少し考えてみると、例えば以下のような取り組みが考えられる(ライフステージごとにまとめるのが見やすいとは思うが、それぞれ関わる機関・組織も全く異なるので、とりあえず列挙してみる)。

 

・人手不足解消も兼ね、高卒の待遇を圧倒的に良くする(政府・社会レベルでの取り組み)。DX化などで労働力転嫁するのでも可

・できない会社には潰れてもらう(ゾンビ企業は救わないことで選択と集中を行う)。ただし復職のケアは手厚く行い社会不安を防遏する

・ブルーカラーの待遇改善(これは外国人含め安価な労働力が出てこなければ、自然とそうならざるを得ないが)

・待遇改善は人件費の高騰と費用転化(サービス料や製品などへの価格上乗せ)を避けられない。それによる消費冷え込みや好待遇の企業のダメージを抑止するため、政府は高卒採用・好待遇の企業優遇や減税措置などで対応

・普通科高校の抑制や統廃合と、商業高校や工業高校の復権促進

・「とりあえず大学」という発想を抑止するために、小中高でのファイナンシャル教育やキャリアパス教育は徹底して改善

・高卒正社員の収入モデルケースと、家族形成に関わる費用などの提示(一低収入未満におけるダブルインカムの生存戦略の合理性提示)

・大学の新設要件はもちろん、定員充足率と補助金要件を厳格化し、大学の統廃合を促進(いわゆる「Fラン大」の撲滅)

・一般教養レベルのリカレント教育は、放送大学を含め、YouTubeのコンテンツを充実させれば十分代替可能(大学進学不要)

 

などなど。なお、実現できるとは言ってない(・∀・)
…という皮肉はさておき、まあ社会モデルをトータルで設計し直すくらい、包括的に様々な部分の組み換えを行っていく必要があるだろう、という話である。結果として、大学の立ち位置と進学率は戦前に一部回帰するイメージで、現在の先進国で言えばフランスやドイツのような仕組みにやや近くなる。言い換えれば、大学は研究者や上級専門職、官僚の養成機関に近い存在へと変わる訳だ。

 

なお、念のため付け加えておくが、これはフランスなどの猿真似をしろとか言っているのでも、戦前日本のシステムこそが正しいなどと言っているのでもない(ありがちな「出羽守」も、江戸時代やら鎖国が云々と言っている懐古厨も、ともに唾棄すべき存在である)。フランスやドイツでは今述べたようなシステムに由来する問題も様々生じているのであり、そもそも「瑕疵の無いシステム」などというものは存在しないからである(これはユートピアがその字義通り「どこにも存在しない」のと同じである)。さらに言えば、このような仕組みを全面的に採用しようとすれば、それは「格差拡大の促進」や「階層社会の固定化」という形で大きな反発を受け、そもそも構造転換自体が死産を免れ得ないだろう。ここで重要なことは、不必要な大学進学を強いるような「行き過ぎたメリトクラシー社会」を抑止し、もってそこに投下されている不毛な金銭・人材・時間を別のものへと振り分けることで、あくまで社会の最適化を行う点であることを強調しておきたい。

 

ちなみにこういう形で大学進学を目指す高校生の層が絞られれば、現在上滑り気味の「探究」と呼ばれる教育方針も、対象とする層が成績・学習意欲とも上位に限定されることで、今より機能しやすくなるだろう。なお、この話は公教育として古典教育を行うのは妥当か、という問いにも関連する。単純化して言えば、普通科高校の教育というものが一般的になり過ぎたために、それが対象とするレベル層が広がり過ぎ、結果として高等教育の目的達成が極めて難しい人間の割合が増えつづけているわけだが、このことは「Fラン大学」と呼ばれている学校の英語教育のレベルを知れば、思い半ばに過ぎるというものだ(高校卒業程度を対象とする英検2級どころか、英検準2級の水準すら達していない)。

 

現在の大学の多くは、「大衆に開かれた」と言えば聞こえはいいが、実際にはキャリアパスやステータスなどと結びつき、若年層(やその保護者)の時間と金を浪費する存在となり果てており、一旦それをリセットすべきだろう(社会人になった後で教養を身に着けたいならYouTube含めいくらでも学びのツールはあるし、それに飽き足らず教育機関でゼミや研究発表を行いたいなら、社会人を経験した後に大学へ入ればよい)。

 

ただ、それらの国を見ていてもわかるように、ブルーカラーは仕事の面で移民と競合しやすく(エッセンシャルワーカーはさらにその傾向が強い)、それは後者の政治的権利や移民二世の包摂問題などとも相まって、国内の対立を呼びやすい(当たり前のことだが、「安価な労働力」とは都合の良い時にだけ使える存在ではなく、「自分の意思を持った人間」なのでね)。

 

よって、「移民に(過度に)頼らない社会づくり」を真に目指すのであれば、国内の労働力不足を改善することが必須であり、そのためにブルーカラーの待遇改善と同時にDX化なども進め(かつこれはホワイトカラーの削減とパラレルに進め、人件費の調整・移転を行うべき)、その入口として教育構造や国民のキャリア意識の変革を大々的に行っていかなければならないと言えるだろう(例えば移民関連で噴き上がっている記事が散見されるが、そんなに社会のことが気になってしょうがないのなら、オールドメディアのミスリードに乗っかって企業叩きとかする前に、こういうトータルな視点で考える時間くらい取ってみたらどうなのかね?とワイは思うのだがどうですかね)。

 

逆に言えば、こういったトータルな構造転換に向けて動いていかない限り、「定年退職後の(後期)高齢者や移民を利用して目先の労働力を確保し、短期的には何とか生き延びる」といった、営利企業の基本的な生存戦略を変えることは決してできない。当然の事ではあるが、グローバル化した資本主義社会は日々国際競争にさらされており、よほど余裕があって名の知れた企業でもない限りは、社会的名声がごときどれだけ売り上げに貢献するのか不透明なものよりも(まあ炎上は避けたいとして)、目先の利益と自社の生存を軸に動くのは必定だからだ(あえて極端な例を出せば、誰も「闇市でコメ買うのは許されん」と言って餓死した裁判官のようにはなりたくないですよって話)。

 

以上のような前提に基づけば、「企業の合理的振る舞いを変えるために、社会構造や仕組み自体を変える」しかないという話になるわけだが、今回はそのための高卒就職者優遇とそれにまつわる諸々の改革という方向性で書いてみた。

 

まあトータルでいじるべき部分があまりに多すぎるため、そもそも制度設計者側が不作為を選択するか、あるいは関係各所と調整をしているうちに社会の変化により手遅れになるのいずれかの可能性が極めて高いというのが自分の予測だが(→ハードランディングと加速主義)、まあ思考実験をしてみる機会はあってもいいだろう、ということで書いてみた次第。

 

以上。


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