前にも紹介した東京三菱UFJ銀行の貸し金庫にまつわる事件と、それに関するテレビ報道への反応(特大ブーメランやんけw)を見れば、なぜ大手マスメディアが苦境に立たされ、かつ復活が難しいのかは容易に理解されるところだろう。
というのは、そもそもこういう報道を独自取材など含めて積極的に行うのが本来期待される役割であり、そのために諸々の権利が与えられているのが大手マスメディアなのである。そしてそれを元に己らを「公器」とのたまっている以上、そこに相応の責任が伴うのは言うまでもないだろう。
とはいえ、かかる「べき論」に立ち返らなくても、普段から企業や個人の問題を取り上げて報道しているのであれば、自身らがより厳しい目で見られるのは当然のことだろう。それは例えば、特に何もないクラスの一員が何かやらしかをした時の反応と、クラスの取りまとめとして問題点を注意などしていた学級委員では見られ方が異なる(本人が望んでいなくともそうなりがち)のと同じである。要するに、その立ち位置からして、人並み以上にその身を律しなければならないのが(大手)マスメディアと言える(極端な表現をすれば、「鉄壁ミュラー」でようやく平常運転という感じか)。
もちろん、実態としてどうであったのかと言えば、歴史的に見てもメディアスクラムなどの過熱報道は昔もあった、というか昔の方が酷かったし、また海外で見ても、「俺たちニュースキャスター」で戯画的に描かれるようなメディア業界の放埓さやマッチョイズムは広く存在していた訳で、日本の専売特許という訳でもない(こういう時すぐ「海外」や「海外の~」を二項対立的に持ち出してきて崇め奉るのは島国根性そのものなので止めた方がよい。これは亀田製菓のAFP報道でも触れた通りであるが、「『神国思想』とその変遷:辺土から小中華へ」でも述べたように、かなり根深い問題なのではないかと思っている)。
ではなぜ今日本のマスメディアに関する問題がここまで大きくなっているかと言うと、以下のような点を上げることができる。
1:コンプライアンスが厳しくなっているし、それを元にマスコミも報道している
(逸脱への評価が厳しくなっているし、自分たちもそれに乗っかっている)
2:期待される役割と内実のギャップがSNSなどで可視化
(今問題視されている「上納システム」はその典型だが、取材時の横柄な対応の報告など枚挙に暇がない)
3:既存のポジションに安住し、組織の構造改革を怠った
(いまだに殿様感覚)
まあその典型は以下の対応を例に挙げれば十分だろう。「公器」を謳いながら実態的には営利団体の私企業として、外圧と実利でしか動かないというのはまあ想定の範囲内としても、ここまでくるともはや渾身のギャグである。こういう組織を動かすには道徳ではなく圧力と実利、はっきりわかんだね(・∀・)そりゃロビーングも止まらんわけだわ。
ちなみに、一部には海外ファンドの買収に向けた布石という見解もあるようだが、少なくともそれはここまで事態が悪化したことで結果論的に出てきたムーブであり、それありきのような陰謀論的発想については、「少なくとも海外の投資家目線で、仮にも大手マスメディアがここまで愚昧な行動をするって読めたと思います?」と問いたいところである(まあ「余りにも頭が悪すぎる・意味不明なムーブであるため、始めから仕組まれていたと考える方が納得がいきやすい」という心情は理解するが、それは不条理な世界を宗教的理屈で体系的に把握したがるのと似た、認知的不協和のなせる業であると注意を喚起しておきたい。まあ文書とか複数の有力証言とかの明確なファクトが出てくれば話は別だけどね)。
もしスポンサーや株主の動きを考えるなら、
上記の動画でも言われているように、むしろ国内株主やスポンサーの(水面下ではなく)表立った行動が無さすぎることの方が問題なのではないか。これは「週刊誌報道に乗っかって猛烈にタレントやメディアを批判せよ」と言っているのではない。こと現状に到っても、「報道内容の重大さを踏まえると、第三者委員会設置などを通じた、精確な調査の実施を強く望みます」という程度のことがなぜ表明できないのか?という話である。
まあ今後の関係性、すなわちタレント起用や自社に対する報道姿勢などを踏まえて穏便に穏便に・・・という発想で動いていると考えられるが、そういった水面下での動きが「なあなあの関係性」としてこういった大手マスメディアの腐敗を温存する一因になった、あるいは自身らがその片棒を担いでいるかもしれない、とは思わないのだろうか?
そう考えると、広報や自社の利益、あるいは社会的公益性との兼ね合いという意味で、今回の一連の報道については、ただ狭い世界だけの話で、他には全て無関係な事案とはいえないのではないか、と私には思えるのである。
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