「言ったもん勝ち」な社会を止めるために必要なこと

2024-02-09 11:43:19 | 生活

最近になって週刊誌報道への注目が集まる中、「言ったもん勝ちの危うさ」もまた指摘されるようになっているが、この点については私も全く同感である(そもそも週刊誌報道≠真実は、何度も強調してきた通りだ)。

 

ただ、それらの指摘を見ていて問題だと思うのは、指摘するポイントが単発というかシングルイシューにフォーカスしていて、構造を正しく捉えていない点だ(例えば、「なぜ週刊誌報道がこれほど注目されるようになっているのか?」といった点を分析せずにただその内容だけ批判しても意味がない。ちなみに大手メディアへの不信とその影響という観点では、「『性加害告発』『聖クシー田中さん問題』で露呈したメディアのダブスタ・・・その先に待つ“恐ろしい未来”とは?」といった記事も参照)。

 

ではどんな問題点があるかと言えば、簡単に列挙するだけでも以下のようになる。

1.告発自体は、偽証でもない限りは権利として認められている

2.にもかかわらず、告発がしばしば抑圧されてきた

3.「推定無罪」という近代司法の原則が共有されない社会的風潮

4.その上、急速なスピードと不正確さで告発が拡散されるSNS時代の特性

5.代用監獄制度のような人質司法の問題(例:リンク先にもある痴漢冤罪の事案)

6.それを促しかねない取り調べの不透明性(極めて限定的な可視化)といったシステム的な問題

ここでは民事・刑事事件の峻別まではしていないが、要するに近代司法の仕組みを理解しない「世間」(批判もあるが、川島武宜『日本人の法意識』などを参照)、内部告発などを含んだ正当な権利を潰そうとする閉鎖的組織及びそれを放置プレイする司法&行政、SNSで横行する私刑的行為、冤罪を生み出しやすく「中世的」と諸外国から批判されてきた司法システム・・・といった具合に、様々なレイヤーで問題が存在しているのである。

 

昨今の松本人志の性暴力疑惑に限らず週刊誌の報道が注目されるようになっているのは、テレビを始めとする大手マスメディアの隠蔽体質ジャニーズ問題などでイヤと言うほど2023年に明るみ出てその信頼が大きく毀損されたことの裏返しもあるが、もう一つはそこからの連続性として1や2の点で大きく社会の潮目が変わりつつあるからだということを、まずきちんと踏まえる必要がある(この話がピンと来ない向きには、ビッグモーターや宝塚ダイハツの事例などを挙げれば十分とも思うが、その他にも一昨日の記事で出した「社畜ジャパン」の口コミなどを見てみるとよいだろう)。そしてこれまではその部分に大きな問題が存在していたのだから、1・2の動きを妨害するような言行をしていないか、極めて慎重になる必要があるだろう。

 

もちろん、偽証や単なる誹謗中傷、理不尽なクレームもあるから、そういったものにはむしろ毅然と対応していくように全体として変えていく必要がある。というか、「お客様は神様」のごときクソみたいな発想をしている暇があったら、その前にまず法律をちゃんと守れよという話だし、これからますます社会の不透明化や多様化は進んでいかざるをえない=他者との共通前提がゴリゴリ削られて暗黙の了解がどんどん通用しなくなっていく以上、そういうマインドで企業や社会が運営されていくように変えていくべきではないかと思う。

 

その上で、3や4のような部分はすぐに変えられない上に問題も大きいので、記事を記名制にして責任を明確化するとか(これはすでにやっているメディアも一部存在する)、SNSなどでの誹謗中傷の告発手続きの簡略化とその広がり(そういや先日Vtuberの天開司がそんな動画を出してたなあ・・・)といった取り組みの中で、かつての利根川の如く徐々にその流れをコントロールしていくしかないと思われる(ちなみに5や6の項目については、「死刑制度の是非:二項対立の不毛、既得権益、思考停止」という記事などでも書いてきたが、要するに死刑という不可逆なシステムの存在からしても、人質司法の廃止は極めて重要ということだ)。

 

というか、木村花の出来事があった頃からあれだけ問題視され、2023年の諸々の告発とバッシング=セカンドレイプの数々を見てもまだ何も学ばないのか?思いついたことを即座にその場で書かないと死ぬ病気にでもかかっているのか??と・・・7000件近いブログ記事を書いてきたこの俺ですら不思議に感じるわ(・∀・)

 

しかしながら、匿名をやめとも誹謗中傷が止まらず今なお自死者を出し続けている韓国であるとか、あるいは陰謀論にハマって自分の意見に否定的なもの=全て敵=悪魔みたいな感じにさえなっているアメリカのWeb上魔女裁判などの様子を見ていると、そもそも人間という「思い上がったサル」のコントロール可能領域とはその程度のものであって、むしろそれを前提にどうアーキテクチャーを設計していくか(=リバタリアンパターナリズム的視座)が重要とも言えるだろう。

 

以上。


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