小学時代の同級生で集まったら、なぜかディープな性癖話になった件

2024-12-31 21:01:08 | 不毛


帰省当日、小学時代の同級生たちと集まる。


しかし家飲みとは大学生以来じゃないかね?何かスゲー懐かしい感覚だわ・・・






土田鮮魚の刺身やらピザ、酒などを持ち寄り宴開始。


メンバー四人のうち一人(仮にここでは「アヒル」と呼ぶことにしよう)は中学以来30年ぶりぐらいの再会なため、あれこれ近況を聞いていたら、なぜか性癖の話になり、緊縛に中学で目覚めたという衝撃のカミングアウトが(・∀・)単に眺めるだけくらいかと思ったら、熊本の「シークレット」というSMバーにも行って緊縛師の技を見せてもらったらしい。


まあ昨今ではどっかのVtuberコンビ(獅子王クリス×大浦るかこ)が緊縛ショー参加レポを配信する時代なんで、興味本意もありえると言えばありえる。


ただ、一切跡を残さない緊縛術の見事さに性的興奮よりその技術力と身体への理解に感心したという話を聞き、ガチ勢じゃったか・・・という訳でこちらも解放せねば無作法というもの、とモードを切り替えてSMの件を掘り下げる。


一般的(?)には、Sとは相手をいたぶりたい人、Mとはとにかくいたぶられたい人ぐらいの雑駁なイメージがあるが、それはプレイと拷問(よく言って虐待)を混同した危険な勘違いである。


例えばSMには、「女王様が鞭をふるう」ぐらいのイメージがあるかもしれないが、いわゆる鞭打ち刑の鞭を人に使用すれば、みみず腫れどころか最悪ショック死すらありえる代物だ(ここでバキを参考文献にすると民明書房みたいでアレだがw)。


しかしプレイ用の鞭は、音こそ良いものの、人体をひどく損壊する器具としては作られておらず、あくまで「適度な人体への刺激」を目的としており(いわゆる「スパンキング」を類例に考えてみるとよい)、その落差を正しく理解している必要がある(これは低温蝋燭などにも当てはまる話だ)。


とはいえ、人体への強い刺激を伴うものであることには変わりなく、前述のスパンキングもそうだが、例えば顔を打ってしまうなど、一歩間違えれば相手にひどい怪我を負わせうる行為であることを肝に銘じなければならない。


これだけでも、SMという行為が相手に対する理解と思いやり無しには成立しないことがわかる。というより、それが無ければプレイというよりむしろ拷問や虐待と呼ぶべきだろう、という話なのである。


さらに言えば、行為に際しては相手の心の襞を慮る姿勢がなければ、これまた極めて表面的「ごっこ遊び」としかなりえない。


というのも、身体の造りはもちろん、快ー不快の境界線にも個人差があり、その境界線を適度に侵犯(変成意識状態にした)上で、しかも相手の尊厳を破壊しきることは決してないようにしなければならない、という他者理解に基づいた絶妙なさじ加減が求められるからだ。


そしてこのように考えた時、「優れたMは優れたSになる」というテーゼが、本質を突いたものであることも理解できるはずだ云々。


と年末に数十年の時を経て再会した場で、なぜかディープな性癖の話が展開されたのであった(・∀・)


ちなみに今偉そうに書いたが、当たり前のように、そんな単純な二項図式で説明できる訳じゃあない。例えばやり取りの中で縄の代わりに有刺鉄線を用いる女性の話が出てきたが、これはかなり自傷的行為と区別が難しいものだ。


また、以前「彼女なぉた」というVtuberの紹介をしたことがあるが、彼女が以前やっていたという「殴られ屋」(DVがオプションに入った性行為)は、彼女の虐待に伴うメンタルヘルス、あるいは自傷・ODの繰り返しという履歴からしても、プレイというよりはそれを通じての自己否定・自傷行為の側面が極めて強いように思われる・・・といった具合に。要は、明確な線引きができる訳ではなく、グラデーションだと表現した方が実態に近い、ということである(この辺は、価値観が多様化しているがゆえに公的な許容可能範囲がどんどん狭まるという問題と、一方で価値観の多様化ゆえの個人領域での複雑化という問題の両方に関わる。これは前に述べた個人→リバタリアン、社会→リベラリズム・リバタリアンパターナリズムという自分の考え方にも関連してくるが、ここでは詳述しない)。


・・・え、お前はどうなのかって?ワイはSMはようやらんなあ。てのは、自分がとにかく痛いのが苦手で、かつ人がそういう目に遭っているのを見るのもストレスになるんで、どちらの立場に立っても強烈な精神的負荷が先にきて、悦しむとか開拓するどころじゃないんだよねえ(というスタンスの原点には、高2でやった「虜2」というエロゲーがあるわけですがw)。


まあローションストッキング攻撃を経験したことで、快楽がイキ過ぎると拷問と区別がつけにくくなることは知ったと以前レポートしたが、幸いにしてと言うべきか、そういう「気付き」を得る機会は最近とんとなくなっている(゜∀。)


まあ応報感情はそれなりに強い方だと思うんで、怨み・つらみがある相手にはやらんとも限らんが(もちろん何重にも精神的歯止めは用意してるけどね)、それは先に言ったように「プレイじゃなくてただの拷問」と表現するのが適切なわけでありマス。


ちなみにその中で熊本に(も)「LIBE」というニューハーフや男の娘専門の風俗があるとか(これは確かタイでレディボーイとバーリトゥードしまくった話から出てきたと記憶w)、「レッドバー」というゲイバーがおもしろいらしいとか諸々出たが、それはまたそれで別のお話。






とまあ何ともディープな話をする中、仕事の話もしたり、熊本の名店をあれこれ教えてもらったりしつつ、時には家主のサックス演奏や家主が習得中のドリップコーヒーを堪能するなど大変濃い時間を過ごした後、解散したのであった。


ここ数年でも最もディープで亜空間な年末として、ワイの記憶に深く刻み込まれるだろう(・∀・)

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