学校であった怖い話の「傷痕」

2019-01-07 12:07:50 | ゲームよろず

ドロイゼン=D、ビューロー=B

 

D
新年ついでに己を省みると、「学怖」で言えば新堂(S)・荒井(無印)・風間(無印)を足して3で割らない感じだなあ(←既知外)と思ったムッカーですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 

B
いや誰に向って挨拶しとんねん・・・

 

D
元々普通に書こうと思ってたら、雲行きが怪しくなってきたんで対話篇になった名残のようだ。

 

B
メタ発言乙。それはともかく、何でいきなり「学校であった怖い話」?

 

D
2011年に「学校であった怖い話 特別編」をプレイして以来ずっと遠ざかってきたけど、学怖無印の曲を聞いてたらまた興味が湧いてな。調べたらなんか色々新しいのが出てるみたいなんで、これを機会にちょっとやってみようかと思ってる次第なんよ。

 

B
ほう、さよか。

 

D
まあそれでさ、何で「学校であった怖い話」という作品はここまで印象に残るものになったんだろう・・・って考えてみたところ、以下のような結論になりましたよと。

 

B
色々調査でもしてみたのかい?

 

D
not at all!!

 

B
「個人の感想」案件やんけwなるほどそれで普通に書くんじゃなく、突っ込みをゴリゴリ入れながらやれる対話篇にしたと。

 

D
というわけでドッグマンな学怖の探求編はぁ~じまぁ~るよぉ~。

 

B
くにおくんかよ!

 

D
「ホラー」という言葉を聞いて何を思い浮かべる?

 

B
そらまあ言葉通り「恐怖」かな。

 

D
じゃあたとえばさ、印象的なホラー映画って何がある?

 

B
映画限定?うーん、たとえば邦画なら「リング」や「呪怨」、洋画なら「ジョーズ」や「黒い絨毯」、「ジェイソン」といったあたりかね。

 

D
「マタンゴ」や「ゾンビ」は入らないの?「エクソシスト」や「スクリーム」、「キャリー」は??てか全体的にチョイスが古スギィ!

 

B
そういうの言い始めたらもうキリがないわwってことで、とりあえず「多くの人が見てはいなくても一応名前は聞いたことがある」ような古典を挙げてみました(;´∀`)

 

D
さいですか。ところでさ、そういった作品群を見た時、洋の東西を問わず恐怖演出とそれによる危機的状況からの生還という二つが、カタルシスとして機能していると言っていいんじゃないかしらん。逆に言えば、見終わった後にすごい引っかかるものがあるとか、割り切れない物が残る、というホラー作品てあんましないように思うがどうですかね?

 

B
「リング」や「呪怨」は死んでるし、「キャリー」は中間的な作品だと思うがね。新しめので言えば「ドントブリーズ」もそうじゃない?

 

D
ほらな、バンバン突っ込みハイルじゃんよ(´;ω;`)だから論文調は無理やと思ったんや。

 

B
(ああメンドクサ・・・)はいはい、概して言うと、恐怖と解放のカタルシスを主軸とする作品が多いってことね。

 

D
Exactly!で、「学校であった怖い話」というのはその逆の要素が強いんじゃないか、と思うわけよ。そしてその典型が「1:殺人クラブ、2:人形、3:花子さん」の三つではないかと。

 

B
あれだけ沢山話があるのにその三つ?とは思うが、まあ印象的な物語として持ち出されることが多いヤツではあるね。

 

D
うむ。ではまず1の内容から確認しよう。これはそもそも、6人の全てが作り話で、実は皆で自分を殺そうとしていたというもの。それまでは「あれ、この展開だと何でこいつこの話を知ってんの?まあ一応七不思議を聞く会なんだから、出所が怪しい話もあるか・・・」ぐらいに思ってたら、全てが引っくり返される。そして、豹変した語り部もとい騙り部たちのクレイジーな言動の数々と、いきなりのサバイバルゲーム開始。そしてこの難易度が鬼畜なこと鬼畜なこと・・・展開的には「死刑!」「異議なし!」「異議なし!」攻撃を部室で食らった後なので今さら驚かねーよって感じですが、それでも福沢の観察日記とかは結構なクレイジーぶりで、中学生当時プレイしながら戦慄を覚えた記憶がある。

 

B
「怖い話」って言うと連想するのは異界や異形の何かと思いがちだが、実は人間が一番怖いじゃんよ、ってヤツね。映画だと「シャイニング」や「ミザリー」がそうだけど。

 

D
そうそう。で、攻略本なしでクリアすんのは無理ゲーじゃないかと思うから、生還エンドを迎えられなかったプレイヤーも少なからずいるだろう。しかしそれでも、「そもそもの舞台設定自体をひっくり返す」、「人間が一番怖いということを印象付ける」という意味で、いわゆる「こっくりさん」や「トイレの花子さん」的なものを予想してた側からすると、度肝を抜かれる展開だっと言ってよいのではないかな(例えば大人たちの群像劇であるはずの「かまいたちの夜」とかと比べても、学生しか出てこない殺人クラブの方が圧倒的にクレイジー度が上というね・・・)?

 

B
だから多くのプレイヤーの印象に残る、と。

 

D
そういうこと。まあ正直なところ、このシナリオ(=語りが本当かどうか疑うメタ視点がすでに組み込まれている)の存在ゆえに、たとえば某動画サイトとかで「学怖」のある特定の話を見て、「この話の展開的に何でこいつがこの話を知っているわけ?」と鬼の首を取ったように言ってるYAKARAを見ると、「やはりボーイです・・・」と私は嘆息したくなるわけであります(・∀・)

 

B
まあ隠しシナリオでもない話に「全部嘘でした」展開があるわけだからね。

 

D
次に二番目の人形について。

 

B
これが印象的なのはわかるけど、話としてはそれほどトリッキーではないじゃん?なのに「中間的」の例として出てくるのはどういうこと?

 

D
ああ、正直殺人クラブと花子さんに比べると、人形の件はちょっと毛色が違うかもしれん。しかしそこはちょっと読者諸兄に考えてもらう意味も含めて、取り上げてみました。先を続けてもよろしか?

 

B
Go ahead.Make my day...

 

D
人形の話のポイントは、追い詰められていく恐怖というのは異論ないと思う。もちろん、「人形には魂が宿る」という観念も前提にあるけど。ともあれ、これが学怖の中でなぜ重要かと言うと、「主人公主観ゆえに没入度が高いビジュアルノベルだから」だと思うんだよね。

 

B
それやったら、小説だって想像の幅があるから没入できんじゃね?

 

D
小説・漫画・映画という媒体では、受け手と何かしらの形で距離がある。小説で言えば画像がないこと、漫画で言えば音がないこと、映画で言えばどうしても客観的な視点が入ってしまうことなど(もちろん、それが有効に機能する場合も多々あるけど)。しかしビジュアルノベルの場合、前二者がある上に、プレイヤー視点で映像が表示されるので、没入度を高くする効果があるって話。

 

B
ああ、「ひぐらしのなく頃に」や「沙耶の唄」でも書いてる話やな。

 

D
そうだね。で、そういう没入度の高い状態で、呪いの対象とされ追い詰められていくというのがポイントで、その恐怖と不快感は相当強烈なものがある。しかも語り部がよりによって絶対粘着するマン荒井!直球で来ずに、じわじわ真綿で締め付けるような話し方は、人形の呪いの特性と相まって、最凶の破壊力を発揮するわけですわ。

 

B
なるほど、ゲームシステムと語り部の性質が相まって、内容的には凡庸なはずの人形の話が最恐のシナリオへと昇華したってわけか。没入度の高さと語り部の性質が組み合わさった上で追い詰められる怖さは、岩下の「無限廊下」とかも同じだよね。別の人の話をしているはずなのに、いつの間にか自分が詰められてるという。

 

D
そういうこと。殺人クラブとは違った意味で、この没入度の高さとそれを利用した話の展開が多くの人の印象に残っている点は明記しておきたいところだ。もちろん、映画は映画でいかに受け手を没入させるか様々な工夫をしてる点は付言しておきたい。「アレックス」とか「キューブ」とか、カメラワークなのか舞台設定なのかといった違いはあるにしても。では最後に3の花子さん。 

 

B
これはみんなが消えていくバージョンの方?

 

D
もちろん。有名な話だから細かい説明は省くけど、要は集団暴行で女子生徒を自殺に追い込んだ者たちの子が、次々と死に追いやられる話じゃん。

 

B
ざっくりまとめたけどまあそうだね。その内容について、「親の罪は子どもには関係ないだろ」というプレイヤーもいるけど、これはどうなの?

 

D
この社会を生きる人間の言葉として、俺も全く同意。むしろ誰かの罪を他の誰かに直結させるような、そういう報道を気持ち悪いと思うからね。堅い言葉になるが、いわゆる人権と社会契約で物事を考えるわけや。たとえば道徳と法律は切り離すべきだ、とかね。しかし、果たして世界はどうだろうか?

 

B
世界??

 

D
たとえば人権は紛れもなく虚構だ。無人島でそれを、たとえば生存権を叫んでみたところで命の保証などされないことが端的にそれを表している。また「人を殺してはいけない」もそうで、その根拠はない。人殺しを許容する社会にしたら秩序が流動化して困るから、「殺してはいけない」ことになっているし、またそれに基づいて諸制度が作られている。戦争であるとか開拓期のアメリカを見れば、あくまで社会において「殺してはいけない」ことになっているに過ぎない、てのはやはり簡単にわかることだと思うが。

 

B
おおっと話が激烈にややこしくなってきたんで、軌道修正していいっすか?で、「社会では許容しないが世界ではありえると認識する」とはどういうことなんだ?

 

D
これはイーストウッドの「ミスティックリバー」を見てもらうといいんじゃなかろうか?観た人の中にはあの終わりに疑問を持つかもしれない。罪と罰が徹底されていない、とね。だけど、そもそもの事件が不思議で恐るべき「縁」によって引き起こされたのだと気付いたのなら、あのエンディングで殺人者が赦された、もしくはハッピーエンドなどと錯覚はしないんじゃなかろうか。まさに「因果は巡る」なわけだ。だからこう思う。彼は司法とか社会という観点では裁かれない。だけど彼の罪は、この先何らかの形で彼やその家族に大きな悲劇をもたらすであろう、と。「神託」が絡むのでちょっと趣旨と外れるけど、ソフォクレスの悲劇「オイディプス」も似たような性質を持ってるよね。

 

B
それが、花子さんの話における復讐に納得する理由か?

 

D
納得とまで言っていいのかわからんが、そういうことはありえる、という認識だな。「世界が体系化された合理の中で動いているというのはただの信仰にすぎない」と俺が考えるようになったのはもう20年ほど前の話だが、この話にある程度の理解を示すのも、そういう理由。

 

B
隙あらば自分語り~(・∀・)

 

D
(・∀・)まあでもさ、これと同じとは言わんけど、今言った「因果は巡る」的発想に多少なりとも慣れ親しんでいるから、みんなこの話を完全に納得はしないにしても、ある程度受け入れてんじゃないの?実際「あなたの犯した罪があなただけで終わるとは思わないで」という花子さんの言葉が印象に残ったという人も多いみたいだしね。

 

B
確かに。無印のバージョンだと、非常にもの悲しいオルゴールなのもこのシナリオの扱いを象徴してるよな。

 

D
哀しいけどどこかズレていて怖い、どこかズレていて怖いけど哀しい・・・というのは花子さんの存在をこれ以上なく表現しきっているよね。

 

B
で、3つの話の説明が終わったようだが、まとめるとどういうことなんだってばよ。

 

D
「殺人クラブ」と「花子さん」はともに驚愕の展開とともに、生還しても割り切れないものを残す。言い換えると、話の展開が受け手の前提を覆すがゆえに、生還したとしても「解放されてよかった」という単純なカタルシスにはならない。それどころかむしろ、受け手に確かな「傷痕」を残す。

 

B
なるほど。さっき話題に出た映画の例で言うと、「ドントブリーズ」なんかが近い性質を持ってるな。では2の人形は?

 

D
受け手の没入度が高いシステムとキャラクターを生かした語りのために、主人公の状況を高いレベルで追体験できるところが大きい。そして実はここに、以前書いた「学校という舞台的な共通前提」と「ノスタルジックなグラフィック及びクラシック系の音楽」という要素が加わるんや。

 

B
まとめ段階にきて追加要素とは恐れいったわ(;・∀・)もうちょい上手く展開を考えんかい。そんなんじゃ騙り部になれないゾ( `ー´)ノ

 

D
七人目は日野パイセンに依頼してどうぞ。話を戻して、「学校であった怖い話」が今も印象に残る作品として語られる理由をまとめると、以下のようになるのではないか。

1.プレイヤーの没入度が高いシステム

2.受け手の多くにとって共通体験となる学校が舞台

3.画像・音楽含めノスタルジーを感じさせる要素を強く持っている

4.プレイ終了後も単純にすっきりして終わらない

だからいつまでも印象に残るし、また議論の余地が様々あるため長く語られる、ということ。 

 

B
あーそーゆこーことね完全に理解した。突然ぶっ込まれた2・3について言うと、2がこないだ書いた「ブギーポップ」「雫」と共通する部分ってことやな。3に関しても学怖に限らないよね。ドット絵に強い郷愁を抱く人たちもいるし、音楽も8bitの方がなぜか極めて印象に残るケースもあるし。

 

D
さすがヒゲオヤジの盟友(・∀・)飲み込みが早くて助かるわ。ちなみに、今述べた2~4の要素が集約されたのがエンディングだと俺は思うわけよ。

 

 

B
「終焉」が?確かにいい曲だとは思うが、そいつは一体どういうことだい?

 

D
生還しても死亡しても、無印版のエンディング曲って変わらないじゃん?これがどこまで意図的なのかはわからないけど、結果的に単純なカタルシスを得る作品じゃないって印象を残すんじゃないかと。わかりやすく対比すると、Sの方だと極めて残念なことに安っぽいノスタルジックな生存エンド曲と、これまた安っぽいホラーな死亡エンド曲に分かれてんじゃん?でも、無印の方はたとえ生還しても、画像こそ違うけど、まるで長い迷路を彷徨うような旋律を聞かされるわけよ。しかし最後には、一条の光が見える、そんな曲をね。そこには、「非日常を体験した者が、仮に日常に戻っても最早そこを同じ日常としては認識できない」という心持ちが端的に示されていて、迷妄・安堵・望郷といった諸々の感情が見事に表現されているように俺には思えるんだがどうだろうかね?

 

B
なるほど、Sへの批判含め、一つの説として受け取っておくよ。後は学怖という作品の受け手一人一人に考えてもらうとしよう(-。-)y-゜゜゜ところで思ったんだけどさ。

 

D
あん?

 

B
この長大な考察のクレイGな感じ、いかにも荒井っぽくね?

 

D
死ぬんだよヒゲオヤジくん! 

 

B
それ俺じゃねーし。

 

D
お後がよろしいようで・・・


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