「神の見えざる手」の末路:あるいは限界ニュータウンが生まれた社会的背景

2024-10-13 16:48:39 | 生活

 

 

限界ニュータウンが生まれた社会的背景と、それが孕む諸問題か・・・

 

最初ダイアモンドオンラインだったかプレジデントオンラインで関連記事を見た時は興味本位だったが、掘り下げれば掘り下げるほど単なるネタではなく、そこに歴史や経済、さらには人口動態や娯楽のあり方など様々な要素が絡んでいて、とても刺激を受ける内容である。

 

ちなみに、今回の題名は「神の見えざる手」という発想の失敗というちとキャッチーなものにしてみたが、実際はそうではなく、日本全体の人口増加や都市部への人口移動に伴い、住宅不足が起こって都市開発が勧められるにあたり、行政は市街化区域と市街化調整区域を設けて開発の促進と抑制のバランスを取ろうとしていた。

 

しかし、紹介されている千葉の奥地などは東京へのアクセスが大変不便であるため住宅のニーズもそうそうなかろうと区分けをしなかった結果、そこを一種の「穴場」としてアピールする業者と(誇大広告あり)、それに乗っかろうという投機筋、そして急激な地価高騰の中で東京近辺に住宅を購入するのが困難な人たちが何とか居住先を探した結果、こういった中途半端な開発でそもそも再建築すら無理な場所や人がごく一部しか居住しておらず、コミュニティとして維持困難な限界ニュータウンや放棄分譲地なるものが生み出された、というのが実情である。

 

つまり、言わば「法の穴」を元に、急激に成長する日本の様相から今後も同じことが続くだろうと期待して行動した結果が、この惨状ということであり、「市場原理主義を信頼して任せた結果」という評価は不適切と言えるだろう(その際に行われた不動産屋の強引な手法や誇大広告の諸々があって現在では規制が厳しくなっているという意味でも、単純に「なすに任せよ」をやっていたわけではない、ということ)。

 

今では、過疎化や少子高齢化、人口減少など諸々の事情により、増え続ける空き家の対策が急務となって、限界ニュータウンに限らずその扱いに関する法整備やコスト負担をどうしていくかが大きな問題となっているが、すでに明確な経済衰退の中で、こういった「コストをかけてもマイナスをゼロにはできるがプラスは生まない」事業に税を投じていかねばならないことが、ますます日本の今後を厳しいものにしていると言えるのではないだろうか。

 

ちなみにこういった限界ニュータウンや放棄分譲地の話は10月に次なる旅行先の話(茨城の天狗党関連史跡や成東の集落など)で触れたばかりで、突然どうしたと思われるかもしれないが(まあいつものことかw)、小学時代の旧友(ケンシロウ)が夏に上京して飲んだ時に、ケンシロウが不動産の仕事をしているので、TSMC(台湾の半導体企業)の進出による熊本への影響をあれこれ聞いたのが大きい。

 

その時には、工場近くの大津(菊池郡)どころか、山鹿(山鹿市)まで開発が及んでおり、菊池在住の地主との取引も具体的に進めていて成約の報酬などについても効いたのだが、自分が見た菊陽町(菊池郡)にある広大な農地や空き地の話をしたところ、そこでまさに市街化区域と市街化調整区域の話が出て、そもそも開発が抑制されている地域だと聞いたのである。

 

これまで、光の森や57号線といった開発の進んだ地域の隣にエアポケットが如く存在するこの領域に対し、自分はただ落差の眩暈を楽しむだけだったが、それが人為的なものだということを知り、改めて集落の作られ方の作為と不作為について興味が湧いていたところ、前に見ていた限界ニュータウンや放棄分譲地の記事が思い出されて、今回動画を集中的に見まくることになった次第。

 

ちなみに、こういった話題については他にも色々おもしろい動画があるので、参考までに掲載しておきたい。

 

 

 

 


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