中居正広報道を見ていれば、大手マスメディア衰退の必然性がわかる:(特権を)何事も忘れず、(教訓を)何事も学ばず

2025-01-10 17:12:46 | 感想など

 

 

 

 

いやはや中居正広-フジテレビの件は毎日動きに事欠かないことですなあ。なお、事件の詳細に関するスタンスは、最初の動画で紹介されたものが最も賢明だと思うので、ここでそのそこに言及するつもりはない。

 

ただ並行して重要なのは、オールドメディア以外のオルタナティブがいくつもあって、この話題性のある出来事に多くのチャンネルがこぞって取り上げ、そして情報に植えた雲霞の如く殺到する中、沈黙を守ってほとぼりを醒めるのを待つ・・・という戦略がどれほど愚昧かが改めてわかった、ということである。

 

もちろん、デイリー新潮の記事にも出てくる見解のように、「(主に)被害者側の主張しか出てない以上、軽々には判断できない」というのは受け取る側の倫理・戒めとしてはまさしく正論だが、とはいえ、もう片方が何も言わなければどういう状況になるかぐらい、少なくとも普段報道に携わっている賢明な方々であれば、想像がつきそうなものだろうし、それを踏まえて対策も打つはずだろうにね・・・と思う。

 

あ、でもジャニー喜多川問題が取り沙汰されていた2023年に本件が起こっていたことを踏まえれば、学習能力は推して知るべしってことですかね(・∀・)さらに言えば、フジテレビの出して声明とその稚拙さって(全く無関係です!的なアレ)、まんま吉本興業がやらかした初動ミスと同じなんだけど、それはつまり直近の比較的身近な失敗事例から何も学ばなかったことも意味しているのでwほいで見事に第二段でフジテレビの上司の話が出てきたわけでしょう。自らフラグを立てにいってどうするのかね?まあ(かつての特権は)何事も忘れず、(自らの窮状については)何事も学ばず・・・てところか。こりゃタレーラン先生じゃなくても呆れ果てるところですワ😇

 

なお、どうして今のように嵐が過ぎ去るのを待つスタイルがまずいかというのは、テレビ局の力が減衰した結果、スポンサー依存が進んでいることが大きく影響している。つまり、マスメディアと芸能界の中だけでビジネスが問題なく成立しているなら、たとえスキャンダルのようなものがあってもそれは(城で言えば)石垣に向けて放たれた一本の矢程度のもので、それが仮に数十本になっても、籠城していればいずれ包囲網は解かれ、また「平穏な日常」が戻って来ることだろう。

 

しかし、今は城内の資源がどんどん枯渇している状況であり、外からの補給がなければ到底立ち行かないことになる。そうである以上は、外界との交流を一時的にでも断つことはできず、結果として、「マスメディアー芸能界」という内輪とは異なる外界のロジック、すなわちSDGsなど含めたコンプライアンスの影響を結果的に受けざるを得なくなるのである(その是非はともかく、キャンセルカルチャーを発動するなら、対テレビではなく対スポンサーと言われる所以だ)。

 

である以上は、テレビ(+クロスオーナーシップで繋がっている新聞)が沈黙していたとしても、その外側でSNSやYouTubeなどから燎原の炎は広がっていき、それがスポンサーの不安を煽るから(東洋経済この記事からもわかるが、わざわざヘイトを買うため広告費に金を払うバカはいない)、補給に拠らざるをえないマスメディア側にも影響が出て、結果的に自主規制をせざるを得なくなって、自分たちが対手としていなかった(したくなかった)側の主張に事実上屈服するかのうようなムーブが繰り返されている、となぜ気付かないのか(そしてこれこそが、問題が多いにもかかわらず、週刊誌報道が注目される・されてしまう理由でもある)。

 

もっとわかりやすく言えば、今になって「ガーシーは正しかった」という話(再評価?)さえ出てきているわけだけど、それに倣えば今のマスメディアはその「ガーシー以下」ってことである(私はガーシーという存在には問題も多かったと考えるので、こう表現しておきたい)。

 

 

 

 

さて、ここまで書けば、本件はオールドメディアの愚鈍さ・醜悪さを伺わせるだけでなく、それらがなぜ衰退から抜け出せないのかということも理解されるところだろう。つまり、こうして信頼を落とし続けているオールドメディアは、ますますスポンサー依存が進み、それゆえにいっそう自主規制が増え、厳しい情報を出せないことによって、不信感の増大を避けることができない。そして、スポンサーの影響を受けやすい=SNSなどの外圧の影響を受けやすくなることもあって、その価値が相対的に下落し続けることになるからだ(資金力も取材力も番組構成力も落ち続けるメディアが今よりその立場を強化できると考える向きには、一体それはどんなアクロバティックな論理構成なのか、ぜひご高説を賜りたいものである)。

 

なお、時折大手マスメディアの価値を主張する意見が見られ、私はそのこと自体に反対するつもりはない(当たり前だが「ネットにこそ真実がある」などという見解こそ愚昧なものはないので)。しかし、今述べたような構造にどうメスを入れるのか・そしてそれが受け入れられるにはどのような手法が有効なのか、といったことを真剣に考え提示しない限り、そんな理想論は全く説得力のない発言として虚空に吸い込まれていくに違いない。

 

今回の中居正広ーフジテレビの一件は、そういう大きな潮流とその特性を再確認できたという意味で、重要なものであるとひとまず評価できるだろう。また、この件を踏まえれば、コンプライアンスから外れた行動は、容易に数十億レベルの損失を生み出しうることはいっそう周知されたはずだ。

 

つまり、どれだけ人格が劣悪だろうと、その思考力が救いがたいほど魯鈍ではない限り、今回のような行為に手を出すことは直接・間接関係なく身の破滅を意味しうることは理解できるわけで、結果として自己防衛・組織防衛のためにこれら行動の抑止化が進むのではないか、とは思うのである(よく勘違いされるが、道徳に訴えれば行動を変えられる人間をコントロールするのは、「正義感」で暴走する危険性があるとはいえ、そこまで難しいことではない。しかしそれでも動かない人間を、いわば損得勘定でもって、本件のようなリスク要因となる行動は回避すべきだ、という方向にマインドセットできるかが重要なのである)。

 

そういう観点で言えば、少なくとも今回の被害者側の訴えが今後の抑止の一因にはなりそうだ、とは言えるのではないだろうか(これは以前書いた「据え膳食えば一生の傷?」という記事にも関連してくるが)。以上。


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