都会でしっかり働いた後はそこそこインフラの整った場所に引っ越して、のどかな風景とそれなりに安い地価の中で悠々自適の暮らしをしたい・・・というような夢を抱きたくなるものだ。しかし、場所やそこでの過ごし方を吟味しなければ、むしろ他者の眼差しと排他性によってそこは地獄と化す、というのがこの記事である。
まあ自分の地元は県庁所在地だったこともあってか極端に思えるローカルルールや排他性は感じなかったが、それでも町内会の役員に誰が就くのかであったり、その仕事をどう進めていくのかについては色々ゴタゴタがあったようだ。また今回の記事のようにトラブルとして表面化はしてなくても、ネットのローカル掲示板のドロドロした内容からすれば、推して知るべしというところであろう(ただ、公開のスペースに犯罪に関わる内容まで平気で書いてあるのは、それほど内情が荒んでいる証拠なのか、それとも一部のリテラシーが低い発言者によって、「ならば私も」的に細かな不満の粒子が噴出し、拡大再生産されているのかは定かではない。まあ元々公開の場での議論があまり好まれない環境では、SNSやネットがホンネの掃き溜めになるのは必然的なことではあるが)。
ルールというのは「他者が共存するための知恵」であるが、一方その地域に長く住んでいる人間が多くて他者の包摂という観点が弱い場合、そのルールが(作り上げられた経緯がきちんとあるにしても)外側からはわかりにくい上に、そこに従わないように見える人間を排除する格好の材料となる。ローカルルールに限らず、制定した当初は仕方なしの「手打ち」=微温的な決定が、時間を経過して変更可能であったり変更した方が合理的なのに、そのまま放置されてしまうケースが少なくない。しかも、そういう不合理な取り決めに質問や意見をすると、現状に照らし合わせてのルールの検証や経緯の説明ではなく、現状=自分たちの営為を否定する輩としてまさしく感情的に排除しようとしてしまうのだ(これは丸山正男の言う「作為の契機の不在」と同じことで、要するに戦略的・合理的に決めたはずのシステムがそこにいる人たちにとっての「空気」となり、それに水を差す連中は自分たちの基盤を脅かす者として否応なしに敵とみなしてしまう、という反応である。ちなみに、そういう理由で「保守」という自認している人間については、それが人間の不完全性や旧来のシステムの背景に思いを致しての構えなのか、単に思考停止して現状にぶら下がっているだけの権威主義的な姿勢にすぎないのかをよく観察しないととんでもない思い違いをすることになる。後者を高邁なものと勘違いするのがありがちな錯誤ではあるが、一方で前者をただの懐古主義者などとみなして顧みないのも危険な傾向である)。
もちろん旧来からの住民にとっては色々言い分もあるだろうが(実際「新しく越してきた人が全然ゴミ出しルール守りゃせん!」みたいなやり取りはどこの地域でも起こっていることだろうし)、このご時世人が流入せねば多くの地域はそのまま少子高齢化&過疎化まっしぐらなわけで、ルールがあるならそれを理解してもらうようわかりやすく提示したり努力したりするのが本当に地方を愛する者の筋というものではないか。ま、そういう「営業努力」をやりたくないってーのなら、近隣の幼稚園ウザいと言って子どもが育てにくい社会を招来し、もって日本の滅亡に貢献する人たちよろしく、気持ちの良い共同体にしがみついてそのまま底なし沼に沈んでいくとよろしかろう。
余談
こういうローカルルールというか暗黙知については、自分がいる会社もかなりそういう傾向があるので、それが出来上がったり機能する背景はよくわかるところである(まあ有能な人が上にいて、そういう傾向を防ぐために「そこまで決めるか?」的なものを細々決めて各部署に掲示させたりしてるので、全体としてはカタストロフが防がれているが)。それにしても、記事のコメントにもあったが、地方の実情がある程度情報化されていると旧住民・移住者とも不本意な思いをしなくて済むようには思うが(入れたくない共同体には人が来ず、そのままシュリンクしていく。開放的であろうとする共同体には人が来て、それが維持ないし拡大される、というある種の市場原理が機能するということ)、まあ利権とか色々絡みそうで機能させるのは大変だろうなあ・・・
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