ドラコンの成文法や古代ローマの十二表法から2500年もの時が経った。それらが制定されたのは、ルールを明確化しなければ不文律の慣習として既得権側がイニシアチブを握り、新規参入側が批判や改善要求をするのが困難になるからである。
さて、今の日本はどうだろうか?
一頃のNGT、ジャニーズ、最近の吉本etc・・・といった具合に芸能界の話題が連日取り沙汰されている。被害者をやたら神聖化する言説もあれば、「闇営業したヤツらが悪い」「暴排条例に引っかかることをしたのが悪い」という言説もあり、不毛な二項思考はここにも顔を出すのだなあといささか呆れるばかりだ。
重要なのは、こういった事例を通じて構造的問題を明確にすることであり、何かを絶対悪として生贄の祭壇に捧げれば終わるというものでもない(たとえば暴力団や準暴力団との関わりを問題視するなら、吉本自体のそれとの関係や歴史を同時に言及しなければ明らかに偏向だろう)。
しかし、そういう時に問題となるのは様々な不文律や暗黙知である(例えば、契約書がないって一体どういうことなんでしょうかね?)。あるいは、なぁなぁでお茶を濁して済ませようとする対応やメンタリティである。なるほど変化が乏しく同質性が高い状況であるならば、それも機能したのだろう。
しかし今は、グローバル化と多様化が進み、変化のスピードも速くなっている。加えて、日本は落ち目な上にこれからの凋落も人口動態や産業構造など構造的に明らかであり、変化を必要としている(もっとも、ぬるま湯が地獄温泉に変わろうとも死ぬまでそこに居続けたい、というのは個人の自由としてあるが)。
しかし、今述べたような不透明性の中では、そもそも何を変えるべきかが判然とせず、よって変化をしないまま放置され、どんどん衰退に向かって行くしかない。
上手くいっている時は「つぎつぎとなりゆくいきほい」(©丸山真男)でも成功という光明によって暗部の誤魔化しがきいたため問題とならなかっただけであり、現在の変化を踏まえず「以前それで上手く行ってたんだから何か問題でも?」と考えるのは端的に言って愚かである。
もちろん、契約とかコンプライアンスなんて面倒くさいことを言われるくらいなら、日本で引きこもって多様性も変化も否定する方向性もあるだろう。そうすると、日本の人口減少の中でパイが小さくなって余裕が失われることにより、ますます変化は難しくなるのは請け合いだが、まあ破滅も一つの選択肢ではある。それにそのような形で大勢力が弱体化すれば、どちらにせよ新規参入のチャンスは媒体の多様化とともに広がるという意味でむしろ歓迎すべきだろう。
ちなみに、これは大手メディアにも同じことが言えて、クロスオーナーシップや再販制度の件を報道しないわ、大手芸能事務所への忖度だらけだわでまあいい具合に終わってるわけだが、こうして幾重にもブラックボックスがある中で、今の日本は変化に取り残され凋落を免れられない、という点は明記しておく必要があるだろう。
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