源義経が実際には死んでおらず、大陸に渡ってチンギス・ハンになった・・・という「義経伝説」なるものを初めて知ったのは、高校の時だった。それも歴史ではなく古文の授業で、教師が「義経は大陸に渡ってチンギス・ハンになったんじゃないかと俺は思う」と言い、その根拠として「(モンゴルから)東方を見ながら懐かしそうにしていた」だの何だのと語っていたのが印象的だった(それについて自費出版までしたそうだから、相当なものである)。
方言などで色々おもしろい知見(例:「舞うごつ」→「まご」といった由来)を教えてくれた教師ではあったが、さすがにその話は当時から「オイオイそんな根拠でええんかい😅」と思ってたところ、大学に入ってモンゴル帝国の前に高原を支配した突厥やらウイグルやらの事を勉強していた際に、当時の師匠から義経伝説が江戸時代の軍記物に由来することを教えてもらったのだった(まあチンギスのように最初から有名じゃなかった人間って、雑に言えば有名になるまでの記録が空白だったり混乱してたりするんで、ブラックボックスゆえに何とでも言えてしまうんよねえ。そしてその欠如を利用して史料的根拠なしにあれこれ当て推量で言えてしまうなら、極端な話「私は神の生まれ変わりだ」も成立してしまいますよって話であるwまあこういうのは、建文帝生存説であったり、プレスタージョン伝説やルイ17世生存説など色々あるので、日本の専売特許というわけではもちろんないのだが)。
とまあ義経伝説はそんな由来を持つわけだが、今回の動画においては、判官びいきによる偶像化はともかくとして、奥州藤原氏の元に居た頃から様々な島への冒険を記した書があり、それが内容的に鬼ヶ島へと転換したり、蝦夷へと転換したりしながら、最終的には大陸まで拡大していった・・・というより詳細な変化の足跡を知ることができ、大変興味深かった。さらに言えば、義経伝説の創成・拡散が近世や近代の領土拡張(前者は蝦夷、後者は満州)とも関わっており、版図拡大を正当化するための根拠として半ばオフィシャルに広められていったという点も興味深かった(こういうのは好太王碑文などに関しても指摘されてきたことだが。「方言、俗謡、オーラルヒストリー」で触れた、日露戦争後に作られたと思しき日本の大陸進出を謳った俗謡も参照)。
なお、こういう使われ方をするがゆえに、軍記物などについて、「虚構だから別にいいじゃん」というスタンスはいささかナイーブに過ぎると思うわけである。もちろん、空想を巡らすのは自由だし、それを楽しむのものいい。しかし、そういった虚構の領域が容易に現実を浸食するのを止められないってのが人間の宿痾なので、無意識のうちにそこへ引きずられることになる(なお、私は見ていないのでよく知らないのだが、「ハリー・ポッター」でとある役を演じた俳優がそのイメージの影響でリアルにおいても嫌われて苦労した、というのを聞いたことがある。もしこれが事実であれば、人間の認知の歪みの酷さは容易に想像できるというものだ)。
それゆえ、「遠い時代の話なんだから別にいいじゃないか」と油断してると、いつの間にか出自の怪しい世界観に絡め取られていることも少なくないのである(これは戦国時代に関する理解が江戸時代の軍記物の影響を大きく受けており、旧日本軍さえ軍記物を元に理解している場面がしばしばあったこともそうだし、先日書いた「忠臣蔵」などに見られる武士の理想像や組織運営と、近代の暗殺事件の連続性およびその歴史的影響などを想起したいところだ)。
その具体例としては、先の「忠臣蔵」以外にも、『三国志演義』と勧善懲悪的思考、架空戦記物と山本五十六の評価の変遷など枚挙に暇がないが、今回取り上げられた義経像の変化と義経伝説の来歴についても、非常に参考になる一例だと言えるのではないだろうか。
以上。
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