はいどうもこんばんわカラヤン伯です。草稿がたまって投稿日時を延長し続けるのも疲れたので、この機会に大量リリースします。今までの傾向として、書きかけの記事を見てたら突然シャーマンのごとく何か降りてきて記事が完成してた、なんてことは今日日起こりえないのでね。というわけで、まずは「ダンジョン飯」で有名な九井諒子の他作品に関するレビューをば。元は「竜の学校は山の上:『人間』と『共生』を描く珠玉の短編集」の中に入る予定だったんだけど、こんな長くなったら収集つかんわ!ということで切り離して放置プレイ→今に到るという感じです。正直なんか色々例上げ過ぎてテーマがボヤけるわただのひけらかしに見えるわで切り捨てて正解という感じです。では、タマキン=カラヤン伯が粗大ゴミ、そちの身でとくと味わうがいい(意味不明)!
【原文】
まずは1からいこう。最初に言っておくと、私は「異形」が人間を映す鏡だと思っている。たとえばヴァンパイア、サイクロプス(鍛冶屋・もののけ姫)、化け猫、霊魂。あるいは神の罰(これは科学技術についても同じで、だからこそ人工知能の によって浮き上がるものを私は見たいのだが)。無矛盾な存在としての「神」の措定や「魔王」も同様である(シューベルト)。
存在する・存在しないではなく、そこに を見る人間の精神性に興味がある(これはたとえば偽史の話やヒストリオグラフィー、あるいは忠臣蔵、三国志演義といった史実を元にした文学作品の作られ方)。
そのような思考態度を持つがゆえに、私はたとえば「LIVE A LIVE」を高く評価する。「魔王」を倒せば平和が訪れるどころか実は・・・。ちなみにこのような善たる人間と完全悪たる魔王の戦いという視点 の は、人間間の争いに絶対的善悪を持ち込まない(というかそのようなナイーブな規定を容易に信用しない)という態度にもつながる。それは「父親たちの星条旗」・「硫黄島からの手紙」・「フューリー」などの映画、あるいがゲームで言えばゾイド2、ドラクエ4、メタルギア。このような観点に立つと、「インディペンデンス・デイ」のような作品はいかにもナイーブである。
いわゆる「オフビート」感の溢れる作品群。counscious looseness。
人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し、
「異形」「アウトサイダー」の存在によって人間の在り方が浮き彫りになる作品群というものに私はとても興味がある。「現代神話」を見て移民問題を想像することはたやすい。「竜の学校は山の上」。生物の絶滅のみならず、生物の保護もまた人間のエゴに過ぎないのだが(でなければ、どうして は保護されるのにツェツェバエやマラリア蚊は保護されないのだろうか?要するに、保護の対象は人間側の事情で取捨選択されているのである)。第三者的に見ることによる気づき。
ドタバタがネタとしておもしろいというのはある。しかし特にここで取り上げている作品群は「共生」の問題を意識的に扱っている。
ヒヤマケンタロウの妊娠
ミノタウロスの皿
灰羽連盟
フタナリ
このような観点ではまさしく「沙耶の唄」こそ一級の傑作だろう。
俺のようなマージナル・マンからすると興味深い、って「ボーダー」と表現した方が適切かw
素晴らしい作品に触れる機会を与えてくれたpokosukeに多謝。
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