呉座勇一『武士とは何か』:歴史(学)に関する最良の入門書の一つとして

2024-12-15 11:31:25 | 本関係
「入門書」と言うと、そこまで詳しく知らない人に対して、基礎的な事項を列挙すればよい、という意味で極めて容易なもののように思われかもしれない。しかし実際には、「相手がどこまで知らない前提で説明するのか」「どこまで説明する必要があるのか」というまさに根本的領域のさじ加減が極めて難しく、仮にそこを徹底して吟味し加除訂正に全精力を傾けたとしても、内容が無味乾燥なファクトの列挙では初学者の集中力が続かない、ということもままあるものだ(もちろん、こういうケースについて著者にのみ原因を帰するのはさすがに酷というものだが)。
 
 
このように考えた時、「歴史の入門書」というのはいかにもレンジが幅広く、何でも扱えるように見えて、実は何を取り上げるべきか難しいもののように思えるかもしれない。しかしその点、「武士」を対象として、そのメンタリティや社会通念を歴史的人物の名言(とされる)を枕にしつつ、その歴史的背景や真偽を同時代史料や先行研究を元に分析していく呉座勇一の『武士とは何か』は、歴史の、わけても歴史学の最良の入門書(の一つ)と言ってよいのではないか、と私は感じた。
 
 
色々な論点があるが、まず本書では武士というものがどう自己認識をしていたか、そして当時の社会がどう捉えていたかを、同時代史料や二次史料を用いながら具体的に説明している点を最初に取り上げたい(なお、一つも具体例を挙げないのは何なので、戦国時代の『世鏡抄』で描かれるドライな契約関係に基づく武士像と、江戸時代の『葉隠』で描かれる忠義に篤い多分にエモーショナル紐帯も含めた関係性の対比は興味深い部分の一つだろう。これは別の機会に中世ヨーロッパの封建的主従関係などと対比しながら取り上げる予定だ)。
 
 
この時に重要なのは、そこにしばしば創作も含まれているという点だ。これは「創作であっても面白ければ蓋然性の高い記述と同等の評価をする」ということでは決してない(ちなみにトンデモ論や陰謀論を生み出したり、あるいはそういった釣り針で容易に引っかかる人々は、この点の意識が決定的に欠けている)。
 
 
むしろ他の史料と比較考慮しながらその真実性を吟味し、「なぜそのような創作が生まれたのか、その背景の考察から何が予測できるか」という具合にして、人々のバイアスであったり、デマの広がり方、創作物の特性といった、歴史を物語る人間が持つ抜きがたい性質を豊富な事例から(再)認識することに繫がるだろう。そしてこのような事例を、平安末期の源義家から江戸初期の伊達政宗まで実に33名もの人物の名言を軸に見ていく中で、読者は歴史学に必要不可欠な批判的眼差しというものが何であるかを、言葉でくだくだしく教えられずとも、自然と理解していくのではないだろうか(ちなみに。古典教育の件で触れた周辺情報の重要性もここに関連する。例えば、伊勢物語の「東下り」を読むにあたり、東山でさえ「京」には含まれず、宇治ですら隠居する場所といった当時の貴族の地理感覚がわかっていないと、京都から今の静岡くんだりまで来た主人公たちの心細さは理解しえないし、その状態で掛詞だの何だのと和歌の解釈などをやったところで、一体何の理解が深まるのだろうか?その後に何が残るのだろうか?と私などは思うのである)。
 
 
つまりここで重要なのは、歴史学とは歴史に関する知識をただただ頭の中に詰め込んでいくということではなく(ここを誤解をしていると、容易にトンデモ論者・陰謀論者になる)、与えられた情報を、その周辺材料と突き合わせながら吟味し、蓋然性が高いと思われる像を構築していく行為であると、たとえ初学者であっても体得しやすい構成になっている点にある(ちなみに著者の呉座自身が『陰謀の日本中世史』『戦国武将、虚像と実像』などを書いており、俗説の発生とその由来の検証過程を一般に広く紹介する行為を学術的・娯楽的に両立させる方法論をある程度確立している点も大きいように思われる)。
 
 
しかも、一つ一つの名言については、その由来のみならず歴史的評価の変遷も述べられているため、それぞれに言わば序破急的なメリハリがあり、決して事実の羅列にはなっていないため、毎回毎回の展開を楽しみながら読むことができる。しかもこのようにエンターテイメントとしても優れているだけでなく、歴史的評価の変化にも含まれる、有力な通説の変遷を様々見ていくことは、「先行研究を参照することは必須である」という、これまた学問に関わる上では極めて当然の構えを理解することにも繫がるのである。
 
 
日本史において最も典型的なものを上げれば戦前の皇国史観であり、私も何度か触れてきた平泉澄はその代表格と言ってよいが、一方で戦後もマルクス主義史観の影響が強くなり(先行研究の件で触れているロシアの碩学バルトリドの例も参照)、一揆や武士の評価が進歩史観的な枠組みの中で過大・過小に評価される事例もしばしば見られた。もちろん、現代もそのような「偏り」から自由であるはずもない。例えば徳川綱吉の生類憐みの令は、確かに江戸幕府の気風を武断政治から文治政治に移行する上で重要な役割を果たしたものの、そこに過剰な動物愛護とそれを評価するようなバイアスがかかっていないと果たして言えるだろうか?といった穏健な懐疑主義の眼差しは、常に持っておく必要があるだろう。
 
 
とこのように字面にすると非常に抽象的で取っつきにくいように思われるかもしれないが、著名な歴史的人物の名言を取り上げる形で構成される(上に一つ一つは短い)ので、非常に読みやすい点は前述した通りだが、そうして繰り返し名言の評価と分析に触れる中で、批判的眼差しが自然と醸成されるような内容となっている点が、入門書として最適であると私が評価する所以である。
 
 
少し前にある記事で、
 
 The absolute essence of science is that it offers a mechanism for you to identify the right explanation. Anyone with imagination can construct a tale that neatly accounts for the ways the world behaves- where rain comes from or what happens when something burns. But these are no more than entertaining stories unless you have a reliable way of selecting which is more likely to be correct.
 
 Scientists construct a best-guess story based on their prior knowledge and what’s already been established; and if this story withstands the tests of experiments or observations many times, it is considered a well-informed theory and we can have confidence in using it to explain other unknown aspects. But even then, no theory is ever a “final” theory. Any theory can be undermined later by new observations it cannot account for, and replaced by an explanation that offers a better fit to the data. The essence of science lies in repeatedly admitting you were wrong and accepting a new, more inclusive model.
 
という英文を引用したが、要するに科学というものは知識(「おもしろおかしい物語」)の集積ではなく、検証の手法そのものであるという話である(ここでは「オッカムの剃刀」やポパーの「反証可能性」のような言葉を出した方がわかりやすいかもしれない)。これを今回の話に結節させるなら、歴史(学)を学ぶ行為はただ知識という名のガラクタを頭に次々と放り込む作業ではなく(それはAI以下になることを意味する)、様々な情報を突き合わせながら、新たな、と言って語弊があるなら、より正確な世界像を構築するための有機的な建設作業そのものである、と言い換えることができるのではないだろうか(ちなみにno theory is ever a “final” theoryという部分も重要で、構築された世界像がより正確な検証や新たな情報=新史料などによって更改されうる、という期待と戒めを常に持っておくことも重要である。あるいは少し違う角度から見れば、以前毒書会で取り扱ったマンハイムの『イデオロギーとユートピア』なども参考になるだろう)。
 
 
とまあ話の抽象度が一気に増したので一度話を戻すと、繰り返しになるが、本書はこういったおよそ学問をする上で最も基本的かつ重要なスタンスを読んでいるうちに自然と理解できるような構成となっている。そしてその点こそ、繰り返しになるが、「最良の入門書」の一つと私が評価する所以である。
 
 
以上。

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