國友公司『ルポ 路上生活』:その世界の実情から見えるもの

2024-09-25 15:20:37 | 本関係

 

 

 

 

 

 

「路上生活をやってみた」というのはいかにもネタとしてはありそうだが、それが2か月に及ぶとなると、なかなかに珍しい。それが今回の『ルポ路上生活』である。

 

読んでいて確かに最近空き缶を集めてる人見なくなったなあと思ったり、かつて歩いてみた隅田川、荒川、多摩川などの河辺の様子を思い出したりしたが、とはいえ自分の中のホームレス像はまさに「昔のままアップデートされていない」状態だったので、「ホームレスをしているのにお金が増えていく」「生活が厳しいのは冬ではなく夏」など、非常に興味深い事実が色々書かれていて蒙が啓かれた思いだった(そう言えば、エジプトの物乞いなんかはもはやそれが一つの職業として確立しているので、変に自立させようとすると逆に反発される、なんて話を昔聞いたことがある)。

 

もちろんこれは東京の路上生活にフォーカスした話なので、他の地域や国との比較対照も必要だろう。例えば炊き出しの件は人口が多く狭い東京だからこそルートを作成して周遊する形で満腹を超えるほどに飯が食えるが、これが例えば福岡、大阪、愛知、宮城などであればどうだろうか、といったことを考えた。あるいはその場合は博多や名古屋、仙台といった地域に人が集中して結局東京と同じことが起きるのだろうか?あるいは路上生活については空き家問題とのマッチングはどのようになっているのだろうか?などなど。

 

また、著者の國友公司もこのルポが安易な福祉叩きにならないように、福祉が本当に必要な人の件については繰り返し言及しているが、私がむしろ思ったのは、生活保護や路上生活の方がむしろ「安定」した状態になる要因、つまりワーキングプアがどのような構造で生じているかを考えることの方が大事なんじゃないか?ということだ。

 

つまり、最低賃金の問題、中小のゾンビ企業の延命、下請け企業搾取etcetc...という具合に、働く人間を安く使い倒す仕組みが温存されているがゆえに、「働く人間がバカを見る」構造が作り出されていることをなぜ問題視しないのか(なお、重要な職業だが賃金の低いエッセンシャルワーカーの問題は、AIが発達してホワイトカラーの存在価値が減じていくようであれば、なおいっそうフォーカスされていくものと思われる)。

 

言い換えると、憲法において保証されている「幸福で最低限度の生活」を行きわたらせようとした結果、むしろダブルワークなどで必死に働いている人間の方がより疲弊して心身を壊していく構造になっているのであれば、路上生活の方にインセンティブがあると感じたり、昔あった「働いたら負け」というマインドの人間が増えるのは、極めて当然のように思うし、その構造にテコ入れをすることなく、ただ福祉を削ったとしても、それは瀕死の奴隷状態にある人間が増え、いつとも知れない凋落に怯えながら毎日ゾンビのように働き続ける地獄の範囲が広がるだけはないか、と思うのである(もちろんそれは現状の福祉を全肯定するということでは全くなく、例えば生活保護ならその金をすぐにギャンブルに注ぎ込んでしまうことが問題だということはすでに指摘されているので、部分的にでもフードスタンプを導入するとか、そもそもギャンブルの仕組みを変えるとか、様々考えらえる施策はある)。

 

というわけで、『ルポ路上生活』とそれを読んで考えたことを簡単に触れてみたが、そもそも私がこの本を買おうと思ったのは、丸山ゴンザレスとの対談を見たことが大きい。著者國友公司は、『ルポ西成』なども読んだ印象として、ナイーブな面を持ちながらも、冷静な突っ込みを入れつつどこか醒めた目で見ている感が強いが、動画の様を見ると、かなり脱力的存在であることが伺える(まあ海外のマニアックな場所に長期間滞在していたり、ちょっとアウトロー寄りの店でバイトしていたりした経験もあるようなので、それらも影響しているのだろう)。

 

おそらくその佇まいが、周囲から「こいつを助けたらんといかん」と思われる要因だろうし、また路上生活のフィールドワークから「魂が帰ってきていない」理由なのだろうなとも思える。

 

そしてそれゆえに、周囲にある意味影響を受けやすいのか、フィールドワークをした場所に応じて雰囲気も変わっているのがおもしろい。

 

 

 

 

こちらは『ルポ西成』発刊後の動画だが、新進気鋭のライターがアウトローの世界を見た経験を朗々と語っているという感じだ。むしろ冒頭の動画の方が、フワフワしていて世間ズレしていない印象すら受ける。

 

 

 

 

こちらは『ルポ歌舞伎町』でヤクザマンションに住んだ時の動画だが、ちょっとやさぐれたアウトローな雰囲気をまとっており、トラブルにこそ巻き込まれていないながらも、自分のいる場所に浸食(?)されている感が強い。

 

おそらくこの柔軟さと危うさの共存が、國友公司の強みであり魅力だと思われるが、それが今後どのような著作として結実するのか、今から楽しみである。


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