YU-NOレビュー復活第二弾。前回は設定などにあれこれ触れずとりあえず言及だけしたと書いたが、結局押えきれずに色々書いてしまいましたよとwしかしまあその辺の理屈付けがさっぱりわからんでも普通に楽しめるゲーム性の高さ、そして思わずのめり込む壮大な世界観こそがこのゲームの魅力やからねえ。最近忙しくて1年くらいロクにゲームやっていないけど、もしYU-NOがリメイクされるなら何とかかんとか時間作ってやりまくるね、間違いなく。こういう比類なきゲームに出会ってしまったのは幸福なのか、不幸なのか・・・
<原文>
俺の中でゲームの最高傑作はYU-NOである(パソコン版ではなくサターン版の方)。シナリオ、世界観、ゲームシステム、テーマ性などのあらゆる点でハイレベルであり、かつそれぞれが密接に関係しているからだ。
どのゲームにもセールスポイントが存在する。君望なら(声の)演技、感情表現、テーマ性であり、沙耶ならシナリオ、雰囲気、視点、テーマ性といった具合に。だが、それに(A.D.M.S.のような)ゲームシステムが伴うことはない。逆に、アリスソフトのようにゲームシステムが優れたソフトを出しても、そこに哲学・科学・歴史・近親相姦など様々なテーマを破綻なく組み込むことは不可能に近い。
だがYU-NOはそれをやってしまった、驚くべきことに。しかも重要なのは、それだけ様々なテーマや世界観を持ちながら、その8割方はそれほど苦労なく理解できることである(仮にそこまで理解できなくても、プレイ自体にはほとんど支障がない)。それだけ説明と進行が巧みだと言える。それと同時に、真剣に内容を把握する人に対しては非常に作りこまれた構造や行動の理由が用意されている。一例を挙げると、「カオスの矯正」と事象ツリーがある範囲内に留まる理由、ケイティアが自殺する理由などである。内容が詳しくはわからない人もゲームシステムやSF的な雰囲気によって楽しくプレイでき、詳しく知りたい人間には並列世界の深奥な構造が用意される…これこそ万人が楽しめる、しかも精緻に作られた作品ではないだろうか。
ゲームシステムとテーマ性を同居させるのは難しい。そこにシナリオや世界観をも伴わせるのはおよそ不可能だ。さらに万人が楽しめるよう作られているとあっては、(ED以外)死角がないとすら断言できる。この販売競争の中では、おそらく永遠にYU-NOを超える作品が現れることはないだろう。
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