前に「犯人に告ぐ」の分析をやったので、豊川悦司繋がりで「接吻」の感想を書いておきたいと思う。
一応シネマトゥデイの解説・あらすじを載せておこう。
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映画『UNloved』の万田邦敏監督が殺人犯に共鳴し、心に惹(ひ)かれていく女性の姿をスクリーンに焼き付けた究極の愛の物語。殺人事件を通して出会った死刑囚と平凡な女性、そして弁護士の奇妙な緊張関係をじっくりと映し出す。映画『犬猫』の小池栄子がこれまでのイメージを一新し、ヒロインを鬼気迫る演技で熱演。豊川悦司や仲村トオルらベテラン相手に堂々と渡り合う。一生に一度の愛にすべてを賭ける主人公が選んだ驚きのラストシーンに注目。
坂口(豊川悦司)は一家惨殺事件の犯人として自ら名乗りを上げ、テレビの生中継で自身の逮捕劇を放映させた。そのニュースを見ていたOLの京子(小池栄子)は、坂口がカメラに向かってほほ笑んだのを目の当たりにした瞬間、自分たちは同類だと直感する。それまで孤独と絶望の中で生きてきた彼女は仕事も辞め、無我夢中で事件を調べ始める。
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犯人は無差別で一家を惨殺し、その後も警察やマスコミに自分の情報を流すという不可解なことをやっている。しかも、金銭目当てに思わせるために金を引き出したり、監視カメラを確認した上で電話したりというほどの徹底ぶりだ。その動機づけは自分を見下してきた(迫害してきた)世間への復讐なのだが、やられる側としてはたまったものではなく、「そんなに生きにくいのなら勝手に自殺でもしてくれよ」と言いたくなるだろうし、ましてやその犯人に寄りそい、結婚までしようなどという行動・思考様式など全く理解できないところだろう。
ゆえにもしそれを描こうとするなら、その反応を乗り越える工夫が必要となる。一番わかりやすいのは、犯行に到るまでの背景を徹底的に描き、受け手の理解できるレベルに落とし込むか、逆に全く動機づけを描かないことで理解できない異常な存在として表現する手法のどちらかだろう。簡単に言えば、理屈で完全に理解できる存在にするか、全く理解できない存在にするか、ということである。しかし、この映画では意識的にそのどちらも取らない。例を挙げよう。犯人の兄が、犯人の生い立ちを語るシーンがある。そこからは「家族の愛情に飢えている」だとか「見捨てられた記憶」といった犯行の動機づけ(寄る辺のなさなど)が見いだせるのだが、それを説明させた上で、「でもそういう境遇にいたからといって犯行が正当化されるわけじゃない」と犯人に最も近い立場にいるはずの主人公がバッサリ切り捨てる様は印象的だ。これはもちろん、
この映画においては、「沈黙」が重要な意味をもって描かれている。簡単に言えば、
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