俺は楽しめる範囲は広ければ広いほどいい、と考える。食べ物の好き嫌いが少なければ、より豊かな食生活が送れるのと同じようにね( ̄∀ ̄)もちろん、今の自分はあらゆるものを受け入れられる態勢にはないぜ。たとえばスカ・・・・ンジナビア半島的なものはリアルじゃ完全にアウトだしね(^_^;)もっとも、かつては二次元でさえキャパオーバー&ホワイトアウトしていた「大」も少しづつ受け流せる状態になってきて、今ではもう「エレクトさわる」のだったらエロスさえ感じるレベルにまでチャクラが開きましたぜJガイルの旦那的状態だけどw
・・・・草稿では、ここからさらに色々な「属性」の話をし、梵我一如という言葉まで飛び出していたが(笑)、本題から逸れまくるので省略とwさて、この前は「かわいければ、男だろうが女だろうが何だろうが私は一向に構わん!」と書いたわけだが(笑)、この態度に様々な「問題」が含まれていることぐらい、賢明な読者諸兄はすでにお気づきだろう。たとえば、それを「楽しめる領域が拡大すること」という具合に表現しているけども、「面食い」という点で結構ターゲットが絞られるんじゃないのん?とかね(そういや成ル談義では「顔の不平等性」の話も出ていたな)。俺は整形を肯定する、というかそれを否定する「メンタリティ」(法律的に否定するのは不可能なのでこう表現する)に異議を唱えたことがあるけど、まあ「面食い」的なものと結びつくとちょっち面倒な事にはなりうるわな。おそらくここで訳わかしまづ状態の人もいると思うんで入口だけ書いとくと・・・たとえば社会が理想とする女性のプロポーションのイメージが無言の圧力状態まで及ぶと、どうなるだろうか(なお、アメリカみたく肥満体型だと昇進とかに影響する社会もある)?それって例えば、「臨死!江古田ちゃん」について書いた、「『猛禽』と適応」や「『萌え』、無害化、ノイズ排除」とはどう関係するの・・・てところか。まあこれは個人的な好き嫌いと社会的な扱いをディバイドするのが当然(≒法と道徳の分離)という構えができてれば無問題、てことで話は終了するんだけどね。
ここでちょっと話はそれるけど、ショタ・男の娘・女体化といったジャンルの確立は言うまでもなく、二次元よりハードルの高いリアル女装子の写真集さえ堂々と発売されている現状を見て、俺はある感慨を抱いている。大学時代に『クィア入門』なる本を読んでいた時のことだが、著者・インタビューワーの伏見憲明がやたら「マン・ヘイティング」を強調しているのに違和感を持った。「マン・ヘイティング」っつーのは要するにmanlyとされるものに対する嫌悪感(ムサいetc...)が社会的に広がっているんじゃね?という話なんだけど、正直俺は考えすぎじゃんと思っていた。で、その後大学院時代に『網状言論F改』を読んだ時、そこで「やおい」やら「ショタ」やら「ふたなり」が出ていて、その説明として男性読者が女の子になりたいんじゃなかろーかと書いてあるのを見て、自分に全くそういう観念がないこともあり、牽強付会な意見だと感じもした。しかし、ライトな漫画調のカバーをした女装入門書、男性のメイク動画、女装写真集、女装オナニー動画などが増えてきたのを見るにつけ、前述の本で言われていたことが、的を射ていたのだと考えざるをえない状況になっている(ふたなりや男の娘の流行は、たとえば俺のように(笑)、「可愛い子が射精するのにエロスを覚える」という理屈で説明がつくが、女体化がジャンルとして成立する理由は全く説明できないよと)。ま、ワシが節穴アイだったっつーだけのことだが、この傾向が加速すると汗臭いだけで訴えられる時代がきたりしてねw
そういや、岡崎京子の作品で定年したお父さんが女装を始めるって話があったなあ。大学生くらいの息子は外聞が悪いと言うけど、お前も親の言うことを聞かず好き勝手に生きてるのに俺が好き勝手に生きて何が悪い、とか反論されて何も言えなくなると(この辺うろ覚えだが)。息子の様は何にあぐらをかいて生きているのかも知らず、自分の都合だけ主張する人間の愚かしさが淡々と描き出されたものだけど、自分も人のこと言えんわと身につまされた覚えがあるわい(^_^;)
と閑話休題。他にも「問題」は様々あるわけでして・・・
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