8月末は毎週のように吉祥寺に行っていたが、その時駅構内から撮った写真がこれである。ぱっと見大手銀行のビルが連なっていて栄えている印象を受けるが、ちょっと遠くに目をやるとそこにはもう高い建物がないことに気づく。そう、これこそが吉祥寺の感覚である。
駅構内とatreが繋がっていたり、北口は縦横に渡ってアーケード商店街があったりと、都市的な特徴は備えている。しかし、さっき書いたようにそれを過ぎると突然「普通の」、つまりおよそ都心という言葉からは連想しづらい一般的な住宅街が広がっていて駅前とのギャップに驚くのだが、実はアーケード街の中も(少なくとも建物・立て付けは)昔ながらの肉屋・天ぷら屋があったりして、しかもそれは寂れた状態で残存しているのではなく、かなり賑わってもいるのである(アングラ感はそこまでないが、上野のアメ横とかを連想してもらうといいかもしれない)。それと同時に、ハモニカ横丁と呼ばれる非常に小さい店が林立している場所もある。
ことほどさように、吉祥寺は新宿から乗ってきた時に感じる「都心」的な名残と、その先にある三鷹や武蔵境(たとえば後者は駅前にイトーヨーカドーがあって、あとは基本的に整然とした住宅街)と連なる特徴を同時に持っている町と言ってよいように思われる。ゆえに、既述のごとく武蔵境という駅は存在しているのだけれども、吉祥寺こそが正しく武蔵野の境目ではないか、というのが私の実感である(まあ住所的にも隣駅の西荻窪までが杉並区で吉祥寺から武蔵野市=23区外にもなるしね)。
私は高い建物の多くない開放的な街並になると思考も開放的になるという習性があるのだが、この吉祥寺に関しては駅前をちょっと外れるとすぐにミッシェルの「武蔵野エレジー」が脳内で再生されエレキギターとウッドベースとともに妙なノスタルジーが押し寄せてくるのである。
というわけで皆の衆、書を捨て吉祥寺に逝こう。